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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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想像力 - はてな読み
クローズアップ現代 放送記録

2月10日(火)放送

才能を開花させよ

~どう支える発達障害児~


人とのコミュニケーションがうまくとれず、周りの状況にあわせた行動が苦手な高機能自閉症アスペルガー症候群。知的な発達に問題ないのに読み書きや計算など、特定の学習だけが極端に苦手な学習障害(LD)。落ち着いて物事に集中することができない注意欠陥多動性障害(ADHD)これらの知的に遅れのない「発達障害児」は、文部科学省の調査によると、通常学級に在籍する小中学生の約6%にのぼると言われ、いじめの対象になることもあり対策が急がれていた。国は、昨年度から全ての小中学校で発達障害児を支援する学習・生活指導を行うことを定めたが、専門家不足や教師への研修体制などが整わず、全国で模索と混乱が続いている。得意分野では極めて優れた能力を発揮する発達障害の子供達の教育はどうあるべきか?30年以上前から取り組むイギリスでは、社会人になるまで一貫した長所を伸ばす教育で、研究者や芸術家として成功する例が少なくない。発達障害の子供達を社会に適応させ、才能を開花させるために、どんな支援体制が必要なのか考える。

(NO.2696)


スタジオゲスト : 上野 一彦さん

    (東京学芸大学教授 )

番組ではイギリスを好意的に紹介していた。結果的に「社会の利益になる」と考えて手厚く支援しているというニュアンスだった。実際のところ、どこまで本当なのか、それはわからない。また、諸外国と比較することで日本が遅れているという印象を持たせただけで、それ以上に踏み込んだ提案もなかったような気がする。

何よりも気になったのは「障害のある子は本当は出来る子なんです」という論調だ。では、そんな可能性を秘めていない病気の人たちはどうすればいいのだろう。「社会の役に立たないのならば放置してもいい」とNHKが考えているわけではないが、ああいった切り口だけでは不十分なのではないだろうか。それがちょっと気になった。ただし、社会に参画することでそういった障碍者のかたたちへの偏見が和らぐ効果があるのかもしれない、とは思った。

まずこの、クローズアップ現代の放送記録の要約を読んだ感想だが、結論から言うと、非常にチグハグな印象だ。

知的に遅れのない発達障害児が増えているのは、大部分は、幼児期において健全なる家庭教育がなされていないことによるものである。だから、小中学校で支援するのはもちろんだが、より根本的には、就学前の子どもたちが置かれている環境を改善するための取り組み、バカ親からいかに子どもを守るか、バカ親をいかに教育するか、バカ親にいかに分かっていただくか、というところに、全力を挙げて焦点化していかないと、いつまで経ってもこの問題は解決しないのである(※1)。

心理の専門家の数が足りないのではない。学校の教師の指導力が低下したからというのではもちろんない。
しいて言えば、「家庭の教育力を上げてくれそうな人たちが、学校の教師か心理の専門家くらいしかいなかった」というふうに言ったほうが、まだ妥当しているだろう。

もうちょっと具体的に言うと、幼少期の子どもが家の中においてテレビを見る時間を制御できるのは誰か? 幼少期の子どもは何を食べるかについての決定権を行使できない。じゃあそれを代行的に行使しているのは誰か? 子どもがご飯を食べる時間を制御できるのは誰か? 親ですよ。親権者ですよ。親権者以外に誰がいるんですか?

これをもうちょっとちゃんとする。だけでだいぶ変わってくると思いますよ。

それをなんだ、幼少期からの才能開花がどうのこうのという例でお茶を濁しているのは、どういう料簡であらせられるのか。rhbさんのご指摘ももっともである。これでは、NHKは「社会に貢献しない人たちは切り捨てられてもしかたがない」という主張を暗に認めていると言われてもしかたがない。なんというか、日本ではこういう論調がウケるんだよね。もう一度言うよ、日本では、「社会に貢献しない人たちは切り捨てられてもしかたがない」という論調がウケるんだ(ひどい話だけど)。これがウケるから、こういう主張を暗に認める、こういう主張が暗に感じられる番組の視聴率が上がるというか、視聴者の多数派に心理的満足感を付与することに成功するというか、そういうことがあるわけ。
こういうおもねり方はちょっと捨て置けんな、と思った次第。


※1 バカ親っていうのはどちらかというと第三者的な側に立った表現で、当事者的には、頼れる人がいない、っていう、藁にもすがりたい気持ちで、助けてくれる人を求めている、っていう現状があると思うんだよね。
だから、助けてもらいに学校の先生のところに相談にいったら、「あんたがバカなのが原因」って言って一蹴しちゃうのも、これはまたなんか違う気がするんだ。近年のモンスターペアレント、的な問題とも関連するんだけど、学校とか行政に文句を言う親たちって言うのは、要するに、「子どもの扱い方を知らない」んだ。「子どもの扱い方を知らないから教えてくれ」って言ってきてるんだ。文句を言っているんではないんだ。文句を言うというかたちで、助けてくれって言ってるんだ。
ようするにツンデレですか、その、今日さ、なんでこれだけツンデレがはやってるのかというのもこのへんに理由がある気がするんだ(なんという強引な結びつけ(笑))。なんというか、いまの日本社会では、助けてくれって叫ぶことが恥であるかのような風潮があるわけね、だから、助けてくれって素直に言えない。だから、文句を言うという、婉曲的なかたちを経てしか、それを表現できないんだ。
こんにち文句を言う人が増えたのは、消費者マインドだから、ゴネ得だから、という理由もあるだろうけど、助けてくれっていうのが恥ずかしいという文化があることもまた一つ噛んでると思うんだ。
「助けてくれ!」って叫ぶと、「何? 助けてほしいの? きみ、いくら払える?」というふうに即座に聞き返す輩が増えたから、というのも噛んでるかな。こういうふうに聞き返されるに決まっているから、「助けてくれ!」って叫べないというか。
あとそれから、じゃあ、助けてくれって言うのが恥ずかしいって文化は最近できたのかっていうと、これもまたちょっと違うかな。
あのね、昔はね、助けてくれって言わなくても助けてくれる人がいたわけ。なんとなく、思わせぶりな態度を示せば、そのシグナルを敏感に感じ取って、助けに来てくれるスーパーマンがたくさんいたわけ。オトメゴコロに対する感受性が豊かな人たちがたくさんいたわけ。
そういう人たちが減ったから、そうじゃなくてなんでもかんでも明文化・成文化するのが是だって文化がはやりすぎてしまったから、そのしわ寄せが、こういうところに来とるわけですよ。
たぶんね。そんな気がしますよ。
(んで、オトメゴコロを熟知しているのは誰?って話になって、「それは老人たちですよ」って話になって、「いまこそ老人たちの力を引き出すべきときダ!」みたいな結論が見えたんだけど、それはすでに一度書いていておもしろみに欠けるので今回はやめとこう)


コメント
この記事へのコメント
> 発達障害児が増えているのは、大部分は、幼児期において健全なる家庭教育がなされていないことによるものである

赤字で強調されているここ、ちょっと意味がよくわからんのですがどゆことですか?
家庭教育は発達障害の「原因」とはまた違う話だと思いますけれども。
2009/03/09(月) 12:54 | URL | Yuu Arimura #SK37aRGQ[ 編集]
> > 発達障害児が増えているのは、大部分は、幼児期において健全なる家庭教育がなされていないことによるものである
>
> 赤字で強調されているここ、ちょっと意味がよくわからんのですがどゆことですか?
> 家庭教育は発達障害の「原因」とはまた違う話だと思いますけれども。

コメントありがとうございます。

ja.wikipediaの「発達障害」の項目を見ますと、生物学的原因に帰するものだけを発達障害と呼ぶ、というようなことが書いてあるので、発達障害の原因を家庭教育に求めるのは、定義的に矛盾していると言えそうですね。

しかし、仮にもしそうだとすれば、「発達障害児が増える」いうこと自体が、生物学的にほとんど有り得ないことなのではないか、と、私には、一見思えます。

僅か十数年の間に遺伝子レベルで集団的に変異が蓄積されるとは考えにくいからです。(文化・文明はどんどん変化するけど人間そのもの(の生物学的特徴)はなかなか変化しない。)

じゃあどういうふうに考えればいいのかというと、それは、「学校や社会の側が暗黙的に考えている「世の中にとって困る人」の概念がここ十数年の間に急速に変化しているからである」という見方ではないでしょうか。

社会の急速なる変化について行けてない子たちが、発達障害のレッテルを貼られていると。
そういうふうに考えれば、生物学的原因に帰するものを発達障害と呼ぶ、という定義を採用しても、無矛盾でいられます。



ここまでは、よろしいでしょうか。


%%%%%%


でですね。

私が特に指摘したいのは「そういうこと」ではないのですね。


そうではなくて、

私が相手にしようとしているのは、「発達障害に関する学問的知見が豊饒化するにつれ、また、社会の変化速度がますます急速になるにつれ、ますます、上の定義上の『発達障害児』が増える」という現象に便乗して、

子育て経験の乏しくかつ周囲に相談できる経験豊富な人がいない親御さんが、自分の子どもにおいてちょっとでも困ったことが起こっただけで安易に「発達障害児ではないか」とか「いや、発達障害児だよ」というような憶断を決め込み、それが徐々に確信を形成して、世論的にも無視できないレベルに発展していくことの、恐るべき有害性についてなのです。

わかりにくい話ですまない。

平たく言えば、「発達障害児だったらどうだというのだ?」ということです。

「発達障害な子もいる。発達障害じゃない子もいる。そういうもんでしょ? それ以上なにを騒ぐ必要がありましょう?」というか。



医師から「学習障害の疑いがある」と言われた子どもを(勉強面で)指導したことがありますが、別に「この子は学習障害児だから…」とか、そういうことは意識せずに、ふつうに指導していました。

私のこの対応に対して、「先天的に障害がある子に、障害がない子と同じ努力を強いるとは何事か!」叫ぶことはおそらく妥当ではないです。

というのは、そのように叫ぶ方の子どもたちに対する扱いは、「子どもたちそのものよりも、我々の(たかだか数十年の蓄積しかない)チンケな心理学的知見のほうを信じる」ことに基づく扱いでしかないからです。
我々のチンケな二分法を、子どもという集団に対して一律に適用し、「発達障害である子」と「そうでない子」を幼少期からはっきりと区別してしまうやり方でしかないからです。
これを差別と言わずしてなんといいましょう。

私たちが、完全に差別というものを排除しつつ、子どもたちを取り扱う方法は、論理的には2つあります。

「すべての子を区別して取り扱う」か「すべての子を同じように取り扱う」かです。

このうち後者は、これまでの学校教育がやってきていたことでした。
しかしいま、この後者では対応できなくなってきている現状がございます。その現状というのはさっき言った、「発達障害児が増えてきている」とかいうやつですね。たとえば。

だ か ら 、というのはちょっと変かもしれませんが、今後は、論理的にあり得るもう1つの方法、「すべての子を区別して扱うにはどうしたらいいか」ということを考えながら教育にあたる必要性、必然性がますます高まってきているということではないのか、と、私はうすうすながら感じています。


二分法が悪いとは思いません。一つの二分法だけに執着してそれに囚われてしまうことから脱出できないことこそが問題なのです。

発達障害児を特別視する姿勢のなかに差別や偏見の萌芽が潜んでいるのだとしたら、そのときに私たちができることというのは、発達障害児を特別視しない(発達障害児を発達障害児だと認めない)ことではなく、発達障害児でない人も同じくらい特別視されるような基準を呼び込むことなのではないかと私は思います。
2009/03/10(火) 21:36 | URL | heis101(管理人) #QyEQ/AbM[ 編集]
>知的に遅れのない発達障害児が増えているのは、大部分は、幼児期において健全なる家庭教育がなされていないことによるものである。だから、小中学校で支援するのはもちろんだが、より根本的には、就学前の子どもたちが置かれている環境を改善するための取り組み、バカ親からいかに子どもを守るか、バカ親をいかに教育するか、バカ親にいかに分かっていただくか、というところに、全力を挙げて焦点化していかないと、いつまで経ってもこの問題は解決しないのである(※1)。

ここを読むと、heis101さんは親のしつけのせいで発達障害が発生すると考えているように見えます。Yuu Arimuraさんのコメントを受けた後も特に本文の訂正などされていないので、そのままの理解でいるととらえてよろしいでしょうか。
だとしたら、heis101さんの認識は間違っています。

以下が参考になると思います。
http://kids.gakken.co.jp/campus/jiritu/conferences/backnumber/03_0809/top.html
http://kids.gakken.co.jp/campus/jiritu/medical/backnumber/02_11/top.html

また、heis101さんに悪気がなかったとしても
「子供が発達障害を持つのは親の教育のせいであり、バカ親にいかにしてわかってもらうかが大事だ」
などと書いてあるのを発達障害を持つ人やその親御さんが読んだら傷つきますよ。バカ親バカ親と大きい文字で書いてあって、その上に目立つ赤字で「発達障害児が増えているのは、大部分は、幼児期において健全なる家庭教育がなされていないことによるものである」などと書かれていたら、多分発達障害を持つ人やその親御さんたちは、悲しみと怒りでheis101さんが本当に言いたいことを追うことなんてできなくなりますよ。それで誤解したまま、無知と無理解に深く傷つけられたという理不尽な気持ちだけが残るんです。

障害を持つ子供をかかえた親の心理については、こちらを読むと勉強になると思います。
http://kids.gakken.co.jp/campus/jiritu/conferences/backnumber/03_1011/top.html
2009/03/11(水) 13:30 | URL | tinkoji #-[ 編集]
tinkojiさん、貴重なコメントをありがとうございます。


> ここを読むと、heis101さんは親のしつけのせいで発達障害が発生すると考えているように見えます。

親のしつけのせいで発達障害に類似する症例が発生することがあるということです。
そういうこと「も」あるということです。すべての場合がそうだと言っているわけではありません。


> Yuu Arimuraさんのコメントを受けた後も特に本文の訂正などされていないので、そのままの理解でいるととらえてよろしいでしょうか。

Yuu Arimuraさんのコメントは、「発達障害」の専門的定義を調べるきっかけをくださった点において、私にとって意義のあるものだったと受け止めています。

そして、「発達障害」という言葉を、専門的定義として捉えるならば、私が赤字で強調した箇所は、定義矛盾を起こすであろうということは、すでに昨日のコメント欄に書いています。

私が本文を訂正していないのは、「発達障害」という言葉をその専門的定義として捉えること自体の意義が、この場合、非常に少ない、と捉えているからです。



> 以下が参考になると思います。
> http://kids.gakken.co.jp/campus/jiritu/conferences/backnumber/03_0809/top.html
> http://kids.gakken.co.jp/campus/jiritu/medical/backnumber/02_11/top.html

紹介ありがとうございます。拝見しました。


> また、heis101さんに悪気がなかったとしても
> 「子供が発達障害を持つのは親の教育のせいであり、バカ親にいかにしてわかってもらうかが大事だ」
> などと書いてあるのを発達障害を持つ人やその親御さんが読んだら傷つきますよ。バカ親バカ親と大きい文字で書いてあって、その上に目立つ赤字で「発達障害児が増えているのは、大部分は、幼児期において健全なる家庭教育がなされていないことによるものである」などと書かれていたら、多分発達障害を持つ人やその親御さんたちは、悲しみと怒りでheis101さんが本当に言いたいことを追うことなんてできなくなりますよ。それで誤解したまま、無知と無理解に深く傷つけられたという理不尽な気持ちだけが残るんです。

そうですね。そういう親御さんも出てくるでしょう。
しかし、それは、親御さんにとって、無意味なことでしょうか。
親御さんご自身の成長にとって、害をなすものでしょうか。

私はそうは思わないのです。

むしろ、心理学の専門家や保育士さんなどの現場の人たちが建前的に上のような言葉「だけ」を開陳してしまうことのほうが、親御さんにとって失礼だし(つまりはそれは「親御さんをバカにしている」ということになるから)、また逆に、真実や本音が何かの機会に漏れてしまった場合に、逆に深く傷ついてしまうと思うのです。

私はそういう、支援者と被支援者の信頼関係を大きく損なうような事態だけは避けたいと考えています。



あるいはまた、次のような説明も可能かと存じます。

なぜ、素人らしき人が言っていることを聞いて傷つくのでしょうか。意味が分かりません。
傷つくということは、傷つく人は意味が分かっているということでしょう?

例えば、自分がデブだと思っていない人は、いくら「デブだデブだ」と言われても、ちっとも傷つきません。

デブと言われて傷つくのは、「自分がデブだと思っており、なおかつ、そのことがもしかしたら恥ずかしいことなのかもしれないと薄々感じてしまっている人」だけです。

同じように、「子育てがうまくいかないのは親が悪いからだ」と言われて傷つくのは、「自分が子どもを上手く育てられていないと感じており、なおかつ、そのことがもしかしたら恥ずかしいことなのかもしれないと薄々感じてしまっている人」だけです。

結論から言いますと、最初から子育てがうまくいきまくる人なんてのはほとんどいなくて、たいていは試行錯誤、失敗の連続です。大事なのは、それが自然なんだと思える心というか、それは恥ずかしいことではないと思えるようになることというか、そういうことなんですね。

そのためには、「心理学的知見を援用して、「それは先天的なものが原因」とプロに言ってもらうこと」が処方箋になることも確かにないわけではありませんが、私自身は、その処方箋だけでは解決しきれない問題が潜んでいるとにらんでいます。

親御さんに勘違いしてもらいたくないのは、「(原則として)子育ては親がすることであり、医者や臨床心理士がするのではない」ということです。
子育てについての全責任を医者が引き受けるなどということはありえないということです。
医者や心理士は、支援することはできても、子育て自体を代わってあげることはほとんどできないということです。

ここんところを、勘違いしてもらいたくないです。ないですし、私はそのために、少々過激かもしれないことをも、できるだけためらわずに開陳しているのです。

このentryを読んだ一部の親御さんは、一時的には衝撃を受けるかもしれませんが、その衝撃を契機として、親御さん自身のさらなる飛躍的な発見や学びや成長がきっとその方の内側に起こるだろうと私は信じています。

このブログでは、一部の方々にとっては辛辣に映ることも平気で書いていますが、それは、決して、彼らを傷つけたいからではなく、彼らを敬意をもって受け入れたいという気持ちからなのです。
2009/03/11(水) 16:49 | URL | heis101(管理人) #QyEQ/AbM[ 編集]
私には自閉症の妹がいます。私が子供の頃は自閉症への理解がそれほど広まっておらず、両親は多くの親戚、隣近所から責められていました。傷つくのは「判っているから」ではなく数多くの「無理解」ですよ。
2009/03/12(木) 16:09 | URL | s_shisui #HfMzn2gY[ 編集]
s_shisuiさん、訪問&コメントをありがとうございます。


> 傷つきました

「傷つきました」と言えば相手が謝罪してくれるとお思いですか。
いや、別にそうお思いであろうとお思いでなかろうと別にいいんですけれどもね。

それこそ、あれですよ、そういうのは、「個々人の自由」でございますから(^^)


> 私には自閉症の妹がいます。私が子供の頃は自閉症への理解がそれほど広まっておらず、両親は多くの親戚、隣近所から責められていました。傷つくのは「判っているから」ではなく数多くの「無理解」

無理解の場合が多いということは存じております。
しかし、類似する似たような言明が二つある場合に、それが相手の無理解から生じているのか、それとも、単に無理解とは判定しかねる何かから生じているのか、その二つは区別した方がよろしいんではないかと思います。

もっとも、その二つを区別なさらない、若しくは、区別してみようとしてみることすらなさらない方が、たいへん多いことは事実ではありますけれどもね。


自分の子どもが奇異な振る舞いをするがゆえに、いわれのない非難を、同年代のお子さんを抱えた親から指摘されてしまう、という例は、なにも昨日今日に始まった話ではありません。

むしろ、そういう経験を積まれた親御さんのほうが、かえって「図太く」なって、ちょっとやそっとしたことでは驚かないように、成長されていかれる、というような例もまたこれもまた、昨日や今日においてのみ見られるような例ではありません。

「傷つきやすい少女」が「傷つきにくいおばさん」に成長するに当たってですね、それは必要な試練、ではなかったのではないかと事後的には内省されるところであります。

もちろん、試練のヴァリエーションはごまんとありますから、すべての親が自閉症の子どもを抱えるというわけではございません。

しかしながら、自閉症の子どもを抱えない親御さんにおきましても、きっと、それ以外の点で、自分の子どもに対してなにがしかの悩みを抱えておられるに相違はないのでございます。

自閉症のお子様を抱えていらっしゃるs_shisuiさんの苦労は察するに忍びありません。しかしながら、それがs_shisuiさんのもとにのみ訪れている苦労ではないはずなのだということをも、どこかで感じて頂くことができたなら、幸甚に思うところであります。

s_shisuiさん、そして、s_shisuiさんのお子さんのご健闘・ご健康を祈念いたします。
2009/03/12(木) 21:33 | URL | heis101(管理人) #QyEQ/AbM[ 編集]
>親のしつけのせいで発達障害に類似する症例が発生することがあるということです。
そういうこと「も」あるということです。すべての場合がそうだと言っているわけではありません。

統計的根拠とか資料をお持ちですか?
少し勉強されてから発言された方がよろしいかと。

あなたは、発達障害でもない子供に「発達障害」というラベルを貼ることに加担しています。ひどいダブルスタンダードですよ。
2009/03/13(金) 09:26 | URL | kiku-chan #-[ 編集]
なんでも、かんでも発達障害かもしれないと分別してしまう時流は、どうしたものかと思うフシがあります。

私の場合、妻と死別し、3歳まで息子を一人で、育ててきて公的な乳幼児健診の際に発達障害の可能性があると言われた時は、不安で仕方なかった。

3歳の段階(早い段階)で、そういう障害がわかった方が良いと思う人と、そうでない人もいるわけで、なんでもかんでも予防線のように、レッテルを貼る社会的な風潮もどうかと思います。

個人的には、子供に「発達障害」があると意見されるよりは、親がバカだと言われる方が数倍、マシだと思いました。
2009/03/13(金) 12:51 | URL | m_san #-[ 編集]
>kiku-chanさん

> 統計的根拠とか資料をお持ちですか?

いかようにも根拠はございます。
私がこの場で、kiku-chanさんが期待するような根拠を示さないのは、「それをするのは残酷であり、かつ教育的でない」と判断しているからです。


> 少し勉強されてから発言された方がよろしいかと。

「どの程度まで勉強すれば発言してよいのか」の判定権は誰にあるのか、という問題を論理的且つ公正に解決することができない、ということがあるがゆえに、このような貴殿の問いかけは不毛であると考えます。

結局、「疑問に思ったらそれを素朴に口にする」ということが、もっとも有益であり、かつ、社会的公益を最大化するための合意形成への近道であろうと考えています。


> あなたは、発達障害でもない子供に「発達障害」というラベルを貼ることに加担しています。

私は、「発達障害と認定されている子どものなかには、発達障害でない子どもが含まれている可能性が高く、かつそのことが親御さん及びそのお子さん自身にとって、長期的な視点で見たときに幸福をもたらさない」ということをご指摘申し上げているのであって、おっしゃっていることとは真逆のことをやろうとしている、ということになろうかと思います。私は、過剰にラベルを貼ることに加担しているのではなく、過剰に貼られたラベルをはがすことに加担しようとしているのです。



>m_sanさん

私の意図を酌んでくださってどうもありがとうございます。

専門家の多く或いはそれを伝えるメディアの多くは、「発達障害というラベルを貼ってもらったほうが、お子さんも親御さんも幸せになれる」と捉えている節があります。
それは部分的には間違いではないと思うのですが、一方で、それとは逆のケース、発達障害ではないのに発達障害であるというラベルを貼られてしまって困惑してしまうケースというものがあり、こちらが、(前者のケースばかりが過剰かつ選択的に喧伝されるがゆえに)見逃されがちになっているということは、あろうかと存じます。
2009/03/13(金) 19:08 | URL | heis101(管理人) #QyEQ/AbM[ 編集]
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