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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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近藤社長「未熟だったと思う」 はてなが目指す“脱IT系” (1/2)
「自分でプログラムを書いて動くものを作っていると、どうしても視野が狭くなる。現場から離れれば、現場で出てきたものをたくさんの人に使ってもらえるかを考えるようになる」――そう考えたからだった。

一般的に言って、動くものをつくる人は、視野がせまくなりがちになる傾向がある、のかな。


ものづくり出身のトップが引っ張る、GoogleやApple、任天堂のような会社の方が好きだ。「もうかるかどうかではなく面白いかどうかが基準になる。ビジネスモデルや売り方ではなく最後はものづくり側の論理で動く会社」――はてなもそうありたいと思う。

いいことおっしゃる。なんだろう、ものづくり屋と売り屋が分離していることから来るマイナスってのが結構あって、会社の規模が大きくなるとどうしてもある程度はそうならざるを得ないんだけど、存外この大切なところが忘れ去られがちというか。
ほら、昔も書いたじゃない。高度分業体制になればなるほど忘れがちなことがあるって言うのは、「会社の規模がでかくなればなるほどその会社に所属する個々人は気を付けなくちゃいけないことがあります」ってのとほとんど同じ言明なわけでして。


数カ月前から、コードを自分で書くのをやめた。

でもさ、コードを書くのをやめたらやめたでさ、ものづくり屋サイドから、あいつはもうコード書きじゃないんだ。現場を離れちゃった人間なんだよって、遠い目で見られちゃう可能性もまたぬぐい去れないわけでして。

だから、そういう意味では、現場もやりつつ、売るのもこなすってのが一番理想なんだけど、分離したほうが少なくとも傍目には、機械論的には高効率なんだよね。なんでもそうですよ、分担すると効率があがるのはほとんど自明。
問題は、分担しちゃうと、自分が分担しない仕事に従事している奴がどんな気持ちで、どんなことを考えながら、どんな理想を夢見て、日々その仕事に携わっているかということを忘れちゃいやすいということなんだ。
だから、俺はそんなん忘れるはずがないって言う人間ばっかりなんだったら、そりゃ、分担したほうが、機械論的にも人間論的にも高効率なんだよ。でもね、往々にして組織っていうのはでかくなっていくにつれて、人間的な高効率性というものが存在するんだということを、忘れちゃうんだ。なんで忘れるかというと、最初は「全部自分でこなす」って段階から初めているから。その一番最初に体験している状態の、たいへんありがたい側面というのは、やっぱり人間、忘れちゃいがちになっちゃうんだよね。
だから結論としては、その、どういう大きさの規模の組織に属していようとも、つねに私たちは、機械論的な高効率性と人間論的な高効率性のトレードオフというジレンマにさいなまれるわけでして、このさいなみをさいなみと思っておくことが重要というか、これがトレードオフであるという事実を失念してしまうと、どちらかに傾きすぎて、組織が内部から破壊される引き金になっちゃう、というようなことは、十分にある気がしますね。


じゃあ任天堂はどうやってるのか、っていうのが次に気になるな。


近藤社長「未熟だったと思う」 はてなが目指す“脱IT系” (2/2)

だが日本に戻ることを決断した今、あこがれの対象は、Googleから任天堂に変わった。任天堂があったからこそ、日本に戻ろうと決断できた。あこがれより少し近い「ロールモデル」。目標としたい会社だ。

 Googleは、高学歴なエンジニアを集めた国際的な米国企業。日本の企業がまねできるかというと、おそらく難しいだろう。だが任天堂は、日本の京都でものづくりをし、世界を熱狂させている。技術者トップが率いる組織に面白い人たちが集まり、これまでのゲームの概念をくつがえすようなハードやソフトを組織的に作り、世界中を楽しませている。

 世界に通じる「本当に面白いもの」は、米国でなくても、Googleのような会社でなくても作れるということを、任天堂は、日本の京都で、証明してくれたのだ。


だから、なんだろうな、本気で自分たちがおもしろいと思えているかどうかっていうのは、とっても重要なキーだと思っていて、これが欠けると、やっぱりその、感情伝播力が著しく損なわれるよね。
もちろん、Googleの人たちがおもしろがってないとは思わないけれども、そこにはなんというか、欧米的な面白がり方と日本的な面白がり方というようなものがそこには存在していて、任天堂は、その、日本的な面白がり方を体現している存在なんじゃないか、というようなことは言えるんじゃないかと思うんだ。


そのころには、はてなを毎日使う人がもっと増えていてほしいと思う。サービスを拡大し、会社を大きくして、長く残していきたいという。なぜそう思うのかは自分でもよく分からない。ただ「多くの人が使う、インフラのような存在になりたい。ユーザーを10倍、100倍にしたい」という。

 目指すのは「任天堂のゲームのように楽しく、Googleのサービスのように便利なもの」を提供できるものづくり企業。楽しいからまた来てしまう。便利だから毎日使う。そんなサービスを作りたい。

う~ん…、ぼくはねえ、便利なものよりも楽しいものを追い求めるべきなんじゃないかと思うんだよね。便利なものへの追求ってのは、もうこれまで、かなりやり尽くされているというか、いや、もちろんね、これからもどんどん、便利なものは出てきつづけると思うけれども、便利なだけじゃだめなんだよ。人々の感情をつかまないから。楽しいってのは人々の感情をつかむ。この差はでかいよ。

なんでいままで、便利であるというだけでものが売れ続けてきたのかというと、それは、「便利であることイコール善、快楽」みたいなイデオロギーに大半の人たちが賛同していたことによるところが大きいんじゃないかな。
便利であることは善ではない、って言い出すことがためらわれすぎていたというか。ほら、利便性への信仰ってのはどちらかというと欧米由来だから、見習うべき欧米さんの言うことを否定することにはどうしてもためらいがあるわけ。

でも、これを否定する技法を任天堂は思いついた、便利であることよりももっと価値の高い概念を引っ張り込んでくれば、人々はそっちのほうに引き寄せられていって、自然と、相対的に便利であることの価値が下がるというか、そういう仕方でね、現在、日本的な面白がり方というものが今一度見直されてきていて、その代表例として、いまの任天堂の栄光というものがあるんではあれば、これは、なかなかに、その、歓迎したらいいと思うし、素直に喜んでいいんじゃないかなって言うふうに、思います。

あと、はてなの今後について言えば、そうだね、他者の言明に対する評価方法、のIT的表現というものは、どういうものがあるのか、ということを徹底的に考えることから、始まるんじゃないかなって気がしています。
もちろんこれは簡単なことではなくって、2つのセンスが要求されると思う。
(1)自分が何を面白いと感じるかという、その、自分のおもしろさに対する感性が磨きまくれているかどうか、ということと、
(2)技術的な側面について、いまどのようなことが可能で、このさきどのようなことが可能になるか、というところに徹底的に思索が及ぶか、想像が及ぶか、
というところが、一つのキーになるんではないかなと、思います。

あ、べつにこれははてなに限ったことじゃないかもね。任天堂さんには任天堂さんなりの「これは面白い」と感じるポイントがあり、はてなさんにははてなさんなりの「これは面白い」と感じるポイントがある。そのポイントの微細なズレが、企業の、それぞれのオリジナリティを担保しているわけでしょ。
これからはきっと、そういうオリジナリティ以外のものは、だんだんと、オリジナリティとして認められにくくなっていくような気がするから、ということはどういうことかというとつまり相対的に、おもしろさに対する感性がもたらす独自性の価値が上昇するってことやな。

それぞれが感じている、おもしろさに対する感性が、人々の間で共感を巻き起こし、それが、それを必要としている人のところにしっかりと波及する。皆さんのご活躍を願っています。

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