@heis.blog101.fc2.com

分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
まあ、臓器移植問題はなにも今に始まった問題じゃないのだけれど、
クローズアップ現代を久々に見て、「これからも議論を重ねていかなければいけない」等という微妙に平和的・予定調和的で微妙に無責任な締めだったので、「おいおいそれは違うだろ」って思ったのでさっそくうp。



岐路に立つ“渡航移植”(NHKクローズアップ現代)
海外に渡って臓器移植を受ける"渡航移植"が、いま外国から厳しい視線にさらされている。今週、世界的な臓器不足と国境を越えた不正な臓器売買の実態を憂慮したWHOは、理事会で「臓器移植は国内で行うべき」という指針の改定案を承諾。臓器移植法の施行から10年あまり。国内での移植件数が伸び悩む中で、ドイツやアメリカへの"渡航移植"に一縷の望みをつないできた日本の移植医療関係者や患者に波紋が広がっている。なぜいま海外で渡航移植の制限に向かう動きが広がっているのか。国内で臓器提供が進まない背景にどんな問題があるのか。臓器移植を取り巻く世界の現状と日本の課題を探る。
(NO.2689)

スタジオ出演 : 平沢 公敏
    (NHK科学文化部記者)

まあ、たぶん、今から100年後200年後というのはですね、紆余曲折を経て、「世界国家」みたいな一つのでかい国ができてるか、或いは、3つくらいのでかい国に収斂して、その3つくらいの国が互いに役割を明確にしてやっていってるーみたいな構図が思い浮かぶわけですが、そういう時代が来るまでにはまだまだ下積みが必要で、だから、今はまだ世界に約200?くらいの国があって、それぞれの国でそれぞれの仕方でそれぞれの価値観に基づいて統治をしてて、ってな感じなんだけれども、そういう状況というか趨勢の中でね、出てきた指針だと思うんだ、この「臓器移植は国内で行うべき」って指針はね。

まあそりゃそうですわな。金持ちの国の人たちは脳死になっても全然臓器提供せんくていい優遇的な状況がある一方、貧しい国の人たちは臓器を売ってでも生活しなくちゃいけないというようなこともあるわけで、なんで命に準ずるものが売買されにゃならんのか、っていう不公平感が、どの国でも勃興してきだすっちゅーことは、まあ理解できることや。

でね、じゃあ、日本も諸外国と同じような法整備にしたらどうよ?ってことなんだけれども、ここで問題がある。遺族(?)感情というやつやな。番組では実際に遺族の方が出ていて、まだ二十歳に満たない娘の病態が、医者に「脳死です」って判断されたときに、どうやら脳死らしい娘を臓器提供者とすることに同意したお母さんは、一生、「あのときの選択は正しかったんだろうか」ということを、問い続けて生きて行かなくちゃいけない、っていう苦悩がある、という内容だったんですね。

でね、じゃあ何が問題なのかということなんですが、これはひとえに「重要な決断を本人ができないことが問題」なんですね。僕は思ったよ、もし僕が脳死っぽい状況に陥ったとしたらどうするかって。そのとき思った、「俺が脳死かどうかは、俺が判定したい。それなら、もしその判断が間違っていたとしても、納得できる」ってね。そうでしょ? 自分が脳死かどうかを自分で判定することができれば、自己責任の原則がここでも貫徹されてめでたしめでたしなんだけれど、臓器移植問題は、この「自己決定の不能」というサブプロブレムを抱えているがゆえに、問題らしい問題になっとるわけやな。

さて、あなたならどうやってこの問題を解きますか?

ちょっと考えてみてね。考えてみた? じゃあ僕の考えを言うよ。まずね、結論から言うと、

自己の概念の書き換え以外に解決方法はありえない

ってこと。これはどういうことかというと、まあ、脳死っぽい状況に自分がなったときに、医者が「脳死ですけど、どうしましょ?」って訊く相手というのは基本配偶者や家族・親族で、じゃあ「なんで配偶者や家族・親族なのか?」って考えてみると、「アイデンティティを共有してるから」ってのがその答えなんだな。

いいかい。家族とか、親族とか、カップルとか言うのは、アイデンティティを共有している共同体なわけですね。いや、共有という言い方はよくないかもしれない。その構成員全員がそろったときにはじめて成立するアイデンティティ(というのはどういうときにどういう行動を取りそうかということであるが)、というものを、構成員全員がちゃんと、十分に、強く、思い浮かべることができていてはじめて、配偶者や、家族・親族は、同胞の脳死という状況において、医師の判断に従うべきか従わざるべきかを判定する資格があるわけで、逆にそうじゃないと、その資格がないわけや。

だから、皮肉めいた言い方をすると、臓器移植問題がいつまでも問題で有り続けることができるのは、アイデンティティといえばイコール「個人」みたいな、それだけしか、そういう短絡的発想しかできないくらいに想像力が貧困であるおかげだ、と言うことができるわけ。もう少し共同体のアイデンティティというものがいかにして成立可能となっているのかということについて思いを馳せてみたほうがいいと思うよ ------ とも言いたくなってくるよね。

だからぼくは予言するよ、この国の人たちがいまよりももっと家族を大切にするようになって、(あ、家族を大切にするっていうのは、家族全員が共通に思い浮かべることのできるイメージというものがあって、かつそれを生身の自分自身と同じくらい大切にしてるってことね。) いまよりももっと離婚率が減って、いまよりももっと「結婚とか恋愛と言ったものを利害の一致不一致といったフレームワークでしか捉えられない人たち」が統計的にも有意に減ってきだした頃にこそ、この臓器移植問題は自然と解決すると。


09.01.31追記:

trackbackを頂いて触発されたので、新しくentryを書きました。

→ 二人の命の価値は比較することができない

コメント
この記事へのコメント
こんにちは。

初コメになります。

娘に邪魔されながら、仕事してます。

なので、なかなか仕事が進みません(笑)

そんな最中、読ませてもらいました。

また、夜にでもゆっくり寄らせてもらいます。

それではまた、失礼します。
2009/02/05(木) 17:19 | URL | ☆KEEP BLUE☆ #-[ 編集]
☆KEEP BLUE☆ さん、ご訪問&コメントありがとうございます。
ごゆっくりご覧くださいませ。

☆KEEP BLUE☆ のサイトを少し拝見しました。
娘さんのこれからの成長が楽しみですね。

実は、就学前の段階における学びのあり方について、少しentryを書こうと思っていたところです。
思い立ってからもう何日も過ぎています(笑)
気長にお待ちください(^^;

それでは失礼します。
2009/02/06(金) 06:46 | URL | heis101(管理人) #M/TJw2k2[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://heis.blog101.fc2.com/tb.php/82-d554b423
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
脳死は人の死か、以前に、脳死は臓器移植のための死です。
2009/01/31(土) | 50万円から小豆御殿 ~商品先物取引ブログ~ 只今投機休業中
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。