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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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池田信夫氏は、とあるCSの番組において、非正規雇用者解雇の問題についてのよくある意見である「企業の内部留保を労働者に回せ」という意見に対して、「それをしちゃうと企業への出資者がいなくなってしまう。ただでさえいまの日本の企業は新興諸国に比べて利益率・配当率が低いのに・・」というような見解を示していた(参考:日本的福祉システムの終わり)。

ここで私は思ったのは、そもそも、

なぜ出資者に配当を配らねばならないのか

ということだ。

「それは株式会社だからだ」というのが教科書的な答えだが、すべての企業(組織)が株式会社というわけではない。


http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080803/p1
企業は、経済的な富を生み出すことを目的とした唯一の社会的機関です。

経済的な富を生み出すことこそが、企業の社会的使命です。

--- 略 ---

ただ、企業にとっての成果が「経済的な富の創出」であるのに対し、

非営利組織の成果は、多くの場合、「変革された人間」です。

治癒した患者、学ぶ子供、自尊心を持った成人となる若い男女。。。

ようするに、変革された人間の人生そのものです。
fromdusktildawn氏は、「経済的な富の創出」と「変革された人間」というふうに、企業と非営利組織を社会貢献の種類によって分けているが、私は、この2つを区分しない見方にも意味があるように思う。


話を単純化して考えてみよう。

この世のあらゆる仕事のための組織を「企業」と呼び、そのうち、出資者が配当をもらえることが前提の企業を「株式会社」、もらえないことが前提の企業を「NPO」と呼ぶことにしよう。
(NPOを企業の範疇に含めることに違和感がある人がいるかもだが、そこはご愛嬌ということで^^;)

さて、さきの、よくある意見に対する池田氏の回答は、企業が株式会社であるという前提に立てば、たしかにもっともな話であるが、これがNPOということであれば、全然もっともな話でない。

NPOにおいて、出資者は、配当を期待して出資していない。NPOにおいて、出資者は、社会貢献を期待して出資しているのである。

つまり、こういうことである。

株式会社に資本家が出資する意味は、「配当」+「社会貢献」というこの2つの効用があるから、ということであるが、
NPOに資本家が出資する意味のなかには、この「配当」がなくて、「社会貢献」だけが効用としてある、ということになる。


企業といえば株式会社だろう、というような考え方にどっぷりと漬かっている人々からすれば、

配当がないのに出資する奴なんているかよ!

というところであろうが、もし本当にそうなのであれば、NPOがこれほどまでに普及するはずがない。


私は、これは、要するにマインドの問題ではないかと考えている。

株式会社の起源はいまから約400年ほど前のオランダであり、日本においては明治以後に取り入れられている。

そして、その株式会社という制度が広まり、グローバルスタンダードとなることが、いかなる変化をもたらしたのかというと、まあ平たく言えば、

戦前の、列強による弱小国の国土のぶんどり合戦とそこからの搾取

を実現せしめた、ということなのではないだろうか。

列強各国が、自分の国の利益のみを追求するゲームをすることに参画し続けた結果、私たちの一昔前の世代の人たちは、二度に亘る世界大戦というきわめて凄惨な経験をしてしまった。そして私たちは、その反省から、人権なる概念がどの人にも等しく存在するという幻想を抱くことに同意署名することにした(私もそういう幻想を抱くから、君も同じそういう幻想を抱いてほしい)。

いいですか、1948年の

人権宣言以前以後では、世界の常識は180度変わっている

のです。


そして、株式会社というのは、この人権宣言が宣言される何十年も何百年も前につくられた制度に過ぎないのです。

ですから当然、株式会社という制度は、この人権宣言が人々の間で同意されていることを前提していません。

もしかしたら、

株式会社という制度は、人権宣言の合意とは相容れない

のかもしれないのです。

そんな、相容れないかもしれないものを、いまだに使い続けているのです。


資本主義に代わるシステムは無い。でも、株式会社に代わるシステムはあるのではないか。

もうそろそろ、「株式会社は前世紀の遺物である」という考え方に同意する人が、一人また一人と加速度的に増えてきてもいい時代に突入しているんではないか。

きたるべき22世紀には世界中の組織のほとんどはNPOになっていっても、別段不思議ではないのではないか。

そんな気が、します。



多様性共生が共存する現代社会において、人権宣言は、金という共同幻想に類比しうるほとんど唯一の共同幻想です。

これは、「金にまみれて、或いは、金をことを考えたくないのに金のことを考えなくてはならず、或いは、今日の拝金イデオロギーへの偏重傾向に憤懣やるかたない思いでおられる方々」にはとてもハッピーなニュースだと思います。

あなたの私の価値観は違う。だから、金という共通の同意に立ち返ろうじゃないか。

これはこれで一つの機能ですが、

あなたと私の価値観は違う。だから、人権という共通の同意に立ち返ろうじゃないか。

こう考える人が、もっと増えてきたら、或いは、私たちは、いま世界で起きてしまっている実に様々な悲惨な出来事を、或いは食い止めることに貢献できるのかもしれません。

そんな気が、するのです。

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