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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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前回の続き。


前回私は、「金のことなど気にしなければいい」というようなことを言ったが、一方で、「それでも資本主義の世の中で生きている限り、どうしても金は必要だ。それがないんだ。それがないから困っているんだ。」とおっしゃる方もおられよう。

そこで今回は、金がない研究者の卵はどのようにして金を調達したらいいかについて解説する。





まず、最も現実的で利用者も多いのは、旧育英会奨学金(今は日本学生支援機構というのかな)だろう。
育英会の奨学金は、大学院生は学部生に比べて通りやすくなっている。
また、家計を支える者の急死など、特別の事情が急に発生した場合は、緊急採用という制度もあったと思う。
それが無理なら、民間の教育ローンを使うというのも手かもしれない。

もしそれも無理だったなら、指導教員or友人or知人に相談するという手がある。
大きな声で言っていいのかどうか怪しい気もするが、私の知っているとある元大学院生は、実際に相談に行き、なんとかしてもらったようである。

そんな借りをつくりたくない、という人もいるだろうが、

困ったときは助け合う

のが相互扶助というものではないのか。


変なプライドを捨てて指導教員や知り合いから金を借りorもらい、研究が続行できることと、

変なプライドがあるばかりに金を借りるorもらうことができず、研究が続行できなくなること

とどちらをあなたは選択するのか?


変な借りの感覚を覚える必要はない。

相手はきっと、「自分が出資したおかげで、あなたが研究を続行できていることを心から喜んでいる」はずだ。
と思うことができさえすれば、変な借りの感覚とか、変なプライドはそもそも持つはずがないのだ。

だって、あなたが貧困なのは、たいていの場合、あなたのせいではないのだから。
自分のせいではないことが原因でお金を借りるorもらうのだから、なにも申し訳なさそうにする必要はない。首を吊る必要などもちろんない。




こんな話を思い出した。

何年も(←かなり長かったと思う)浪人をしてようやく医学部に合格したのだけれど、最初に払うお金(2000万円くらいだったと記憶している)が全然用意できず困っていた人がいたのだが、
その人とその人の友人らは、お金を貸してくれる人を必死に探した結果、医学部入学のために必要な2000万円をプレゼントしてくれるという人に巡り会うことができたという話(実話です)。
そのくれるという人は、年配のお医者さんなのだが、子どもがいなかった。
なるほど、そういう事情がおありか。私にできることはわずかですが、自分のこのお金が将来の医者を育てるということなら、よろこんで私は支援します」ということだったと記憶している。

こういうことをあまり大きな声で言わなくなったのは、こういうことを言うとすぐに現代では、これを逆手に取った詐欺事件が横行するのをさらに強化することになるからなのかもしれない。

だが、あなたが、ほんとうに困っている(た)のなら、振り込め詐欺の人たちがやっている涙ぐましい努力と、ある部分で似通っている努力をするべきなの(だったん)ではないかと思う(出資してくれる人をカモよばわりしたいわけではない。出資金が、出資者の期待通りに使われるのであれば、その出資者はカモではない。)

格差問題が叫ばれて久しいけれど、知っている人同士の相互扶助見知らぬ人同士の相互扶助、この2つを少しずつ強化していくしかないんではないかと思う。

いつもいつもすぐに人を頼るのはよくないけれど、ほんとうに困ったときにはちゃんと頼るべきだ。
でも、残念ながら、これがとても下手な人が多い気がする。
だから、そういう人たちは、まず、「その見極めをする力を養っていく」ところから始めなければいけない気がする。

別の言い方をすれば、これは「スポンサーを落とす力」とも言えよう。
研究者というのは、ゆくゆくは自分で研究費を獲得できるようにならなければいけないことが宿命づけられているのだから、そういう獲得能力ははやいうちから身につけておくに越したことはない。
自分の経済的貧困さを、逆に、自らの研究費獲得力を磨く一つのチャンスと捉えることもできるのではないだろうか。



頼れる隣人が潜在的にはどこかにいるはずなのに、それを探し出す努力を積極的に放棄するというのは、これは、「自分はすべての人々から見放されたかわいそうな人」であるという物語に固執しているからではないのか(←こういうの、心理学でなんか名前ついてそうだよね)(あくまで私の仮説ですよ)。

いや、もちろん、生まれながらにして貧困であるとか、両親の仲が険悪であるとかもしくは離婚しているとか、要するに家庭環境というのは本人の意思ではどうにもならないことで、だから、そういう意味では、「かわいそうな人」であるのは間違いないのだが、

生まれが「かわいそう」であることと、
その「かわいそう」な状態から積極的に脱出しようとしているかということ

は、別である。


その「かわいそう」な状態から積極的に脱出しようとしているか、
「かわいそうな自分と、そのかわいそうな自分を見つめる周りの人たち」という美しい物語を読んでいる状態から読んでいない状態へ移行することを怖れないという態度を貫けているか。

そこが問われているのである。



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