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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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注)引用部のハイライトは筆者注。

一、博士課程に関するよくあるイメージが誤解である2つの理由

http://anond.hatelabo.jp/20090117074753
博士課程に関するネガティブなブログはたくさんあるが、本人向けの内容が多く、親向けの内容は少ないように思う。「親のすねをかじるなんて」という意見もあるだろうが、現に、今の日本の博士課程は、親のすねをかじればかじるほど有利になるように出来ていることは否定しがたい事実だ。息子(娘)が博士課程に進むということは、極端にいえば、「xxという会社に将来性があると思うから、2000万円ぐらい投資します」といっているのと金銭的には同じようなものだ。要するに2000万円程度の成功率の低い投資行為なのだ。それが、親の財力と子供の数から考えて、高い投資か低い投資かは、家庭環境によるだろう。

もし、あなたに親として2000万円の投資に耐えられる財力がないのであれば、息子(娘)を説得して、博士課程進学を諦めさせてほしい。

ネットで日本の研究事情について調べていると、

(日本の)博士課程に進学することがいかに非合理的選択であるか

ということを記述した記事に頻繁に出会う。

だが、これは私の実感からすると少し違っているように見える。

私の友人・知人のなかに、博士課程に進学・在籍している/いた人間がそれなりに居るが、彼らの口から紡ぎ出される自らの社会的境遇についての不満や陰鬱感のようなものは、少なくとも私は聞くことがほとんどない。

だから私は、博士課程にまつわるネガティブなイメージについての言説は、「あ、ネタなんだな。ジョークなんだな。」というふうに理解することにしている。





しかし、一方で、

文科省などが国を挙げて博士課程修了者の就職支援などに乗り出しているところであるとか、
「博士課程に進むことはよっぽどのことがない限りまず勧めない」というようなことを公言している大学教員が多いことであるなどを見るにつけ、

そういう発言はしばしば誤解の温床となる

ことを憂慮する私の良心はひどく痛むのである。

だからその痛みを少しでも解消しようと思い、いま筆を執っている。


さて、結論から言えば、

日本には需要がないが、海外に行けばある

ということである。

実際、美術史学を専攻する私の友人の一人は、なんでも、「この分野では日本で博士号を取ってもあまり意味がないから、海外の大学院に入って取り直す」と言って、日本の修士課程を修了したあと、いまは海外のとある大学院に在籍中のようである。

また、構造生物学・分子生物学を専攻する別の知人の一人は、
(1)超有名大学ではない大学で博士号を取ったこと、
(2)博士号を取るまでにだいぶ年数を費やしてしまったこと、
(3)まだ業績がそれほどないこと、
などから、指導教員より海外に行くことを進められ、いまなお実際に海外で勤務しているようである。

また、代数幾何学を専攻する別の知人の一人は、「この分野は非常に希有な分野であるので、日本国内に就職先がないから、ヨーロッパに行く」ということで、実際にヨーロッパで何年か研究に従事した後、現在は日本のとある大学に奉職されたようである。


つまり、

より研究に金を出せる国のところに人材が流出する

ということが実際に起きている。

だから、本国よりも「より研究に金を出せる国」であるアメリカやヨーロッパ諸国に人材が流れるのである。

と同時に、日本も、アメリカやヨーロッパ諸国ほどではないとはいえ、インドや中国などのBRICs諸国、他のアジア諸国に比べれば「それなりに研究に金を出せる国」であるから、
インドや中国や東南アジアなどの研究意欲旺盛な人たちが、日本の大学院に博士号を取ることを目的として、それなりの規模でやってくる。


二、日本政府のやるせなさ

もちろん、研究者として優秀な人材がアメリカやヨーロッパ諸国に流出することは、日本政府としてはまことにやるせない、いたたまれない限りであろう(マスメディア各社が、日本政府にとってマイナスになることを積極的に報道するだろうか?(反語))。
そりゃそうだろう。それを食い止めるには、トータルとしての金が必要なのだが、なにぶんそれがないのだから。

だから国は、「優秀なところ(大学)にだけ集中的に配分」など、なんとなく効果がありそうな詭弁を弄して急場をしのいではいるが、そういうことは実はあまり意味を持たない。

つぎ込むトータルでの金が増えないとあまり意味がない

池田信夫氏によれば、いま派遣規制法みたいなものを成立させることは全然意味がないばかりかむしろ有害であり、トータルとしての雇用が増えないことには全然解決にならない、というようなことらしいが、
ことの本質は一般的な雇用問題でも研究者の雇用問題でも一緒な気がする。


三、博士課程関係者が、パンピーの物差しを使うことにやすやすと同意するなんて…

「日本の、それもある程度大きく、ある程度に安定した会社に入ること」を「就職」であるというふうに理解し、
新卒で採用されることの価値をマス媒体が喧伝する通りに、マス媒体が期待する通りに理解し、なおかつ
困ったときには友達や、友達の友達や、親族や先輩や後輩などにまずは聞いてみようという習慣を持たない「みいはあな人々」にとっては、

先般よりメディアを通じて垂れ流されているところのマジョリティ的な意見である「日本の博士課程はやばい」「だから行くな」という見解は、「今をときめくホットな常識」として理解されてしまうことが多いことは、これはほとんど自明の理である。

それは仕方がない。


だが、そういう、パンピーがひしめいているところとは違う世界があることを知っている博士課程関係者までが、やすやすとそういうパンピー的意見に同調し、あるいは洗脳され、

博士課程という自らの置かれている境遇の価値を、パンピーが使う物差しでしか測れない、博士課程には不向きな人たち

が、意外とたくさんいるらしいことに、私は本国の研究者事情のメンタリティ的なやばさを見るのである。

いや、もちろん、ネタでやっているんならまだいいんですがね…。


「事実」と「気分」を分離せよ

私は、これは物語(≒気分)の選択の問題であろうと思っている。

「事実が気分を喚起する」というのはつねに真ではない。

だから、もしほんとうに、本邦の博士課程関係者のうちの無視できない人数の人たちが、自らの置かれた境遇のありがたさを、パンピーの物差し(というのは金銭のことであるが)でしか計量できていないのだとしたら、冗談抜きで日本の大学院の博士課程は遠からず崩壊してしまうだろうと思う。

むしろ私は、そういう、パンピーの視点でなされる日本の博士課程に対するネガティブ・キャンペーンこそ、日本における研究事情をいっそう金銭的にも人的にも苦しくする要因であると思う。

パンピーの物差しで博士課程の価値を計れば「割に合わない投資」「一か八かの賭け」になることは決まっている。

パンピーじゃないから博士課程に行くんだ。なぜこの簡単な道理が分からないのか。

博士課程関係者というのは、
「パンピーからすれば全くトクにならないことに目をぎらぎらと輝かせる人たちであり、
パンピーが目をぎらぎらと輝かせることにまったく無関心でいられる人たち」であるからして、
パンピーが、パンピーじゃない人が博士課程に行く理由を、正しく言い当てることは絶望的に困難である。

だから諦めたほうがいい。

「それでも博士課程に行きたいんだ」というような人を無理矢理にシャバに連れ出すことは。

そういうことをするのは、ありがた迷惑以外の何者でもない。

せっかく、「多様性」とか「共生」と言ったことが、少なくとも理念のレベルでは一般の人々にも受け入れられる時代がきたのですから、
今度はそれを、実践のレベルで受け入れられるところにまで落とすことに向かったほうが、私も、そしてあなたも、より幸せになれると思うんですがどうでしょう?


かつて山田ズーニー氏は、

何を語るか、よりも、どういう気分で語るか

のほうが重要だと言った。

気分というものは共振するものである。

同じ事実でも、暗い気分で語ればその事実には暗いイメージがつきまとい、明るい気分で語ればその事実には明るいイメージがつきまとう。

だから、みずからの楽しい、うきうきする感情を広く伝えたいすべての博士課程関係者は、それを実践するとき、マスメディア的なパンピー的な意見の荒波などもろともせず、「何を語るかよりもどういう気分で語るか」をつねに意識して語ってほしいと思う。
マスメディア的な意見の荒波に負けることは、博士課程関係者として不適格であるとの認定を受けることであるとしかと肝に銘じてほしい。

また、明るい気分で博士課程の実情を語れば、博士課程向きではないのに博士課程に進学してしまった人から、「悪徳商法のそれと同じではないか」とのそしりを受ける危険性もないわけではないから、そこは慎重に。


悪徳商法に釣られがちなパンピーが抱く、悪徳商人が提供する商品を購入することによってもたらされるであろう幸福なイメージ像と、

博士課程向きではない人が、博士課程関係者が上記の約束事を守って慎重に語るところのそれを聞いて抱く、幸福っぽいイメージ像

との間には厳然たる壁があるということを認識することが、上で言った危険性を排除するためのヒントになる。



暗い気分で博士課程の現実について語ることは、
「研究者向きではない人々が博士課程にやってくることを抑制する働きがある」という効能はあるものの、それ以上の「ありがたみ」はない。
ありがたみがないどころがむしろ害が多い。

本気で研究者向きな人たちに、その暗い気分が感染してしまったらどうしてくれる!

その程度で感染するくらいならもとより研究者向きではない、という意見もあろうが、
私は、「そういうフィルタリングは、研究者全体の質を高めることにはつながらない」と思う。

だって、「相手の気分に簡単には感染しない人」って、要はKYな人ってことでしょ?

相手が悲しんでるときに同じように悲しんでくれ、
相手が陰鬱な気分でいるときには同じように陰鬱な気分になってくれ、
相手が喜んでいるときには同じように喜んでくれる

という人間として最も大事なことを忘れた研究者が選択的に生き残ることができるようなシステムは、あまり歓迎されたものではないと私は思う。


追記:
続きのエントリーです。→ 冗談抜きで金ないない言ってる人、なぜ出資してくれる人を探さないのですか?

   

コメント
この記事へのコメント
博士課程の人がブログに書く辛い気持ちは、周囲の博士課程に進んだ人は全然辛そうに見えなかったし、何より都合が悪いから、共感する必要のないネタ、ジョークとして排除し、一方で人の気持ちに共感することの大切さを説く。

私はそのスタンスに賛同しかねます。


また博士課程の方全てが、あなたの周囲の人々のように、海外に行くだけの実績を出せるわけでもないことは御存知でしょう。


国内に職も少なく、多くの方は、あなたのおっしゃられる『パンピー』として生きていくことになります。


『パンピー』とは異なる価値観をもつ、それを信条に生きていくことが博士課程の人々に大切だと説かれているようですが、実際の現場ではナンセンスとしか言いようがないでしょう。


博士課程の人々、取り巻く現実と将来は経済が成長したこともあわせると過酷である、の気持ちが暗くなるのは当然でしょう。それを他の博士課程の人の気持ちまで暗くなるから切り捨てる。明るく語ることに徹して人々の気持ちを明るく保つ。

それは人間性のない、机上の論理で私は大間違いだと思います。

お互い辛いから支え合う必要がある。これが当然の結論だと思います。
2009/08/29(土) 11:02 | URL | #-[ 編集]
コメントありがとうございます。


> 共感する必要のないネタ、ジョークとして排除し

共感する必要がないとは申しておりません。
ただ、「そういう感情を持っている人ばかりではないよ、そういう情報だけが全てだと思うことは、偏った情報を信じることになるのではないでしょうか」ということを提案申し上げたかったまででございます。


> お互い辛いから支え合う必要がある。これが当然の結論だと思います。

辛いから支え合う必要がある、というのは、博士課程に限らず、辛いことが起こる場所ならどこであっても大事なことだろうと思います。

精神的に参ってしまっている人に対して「心理的なケア」が必要なのは、なにも博士課程に限った話ではないと思います。
2009/08/29(土) 19:38 | URL | heis101(管理人) #QyEQ/AbM[ 編集]
明解で誠意のある御回答に感謝いたします。
2009/08/30(日) 04:28 | URL | #-[ 編集]
今博士課程で辛くてもうやめようかと思っていた者です。私はもうずいぶん前から指導教員があまりにもひどく、苦しんできました。しかしそれでも修士は出ました。
たまに何を研究されているんですか?と聞かれたときに、私は自分の研究について他人にペラペラと話して、そして必ずといっていいほど、その相手に、面白い研究をされてるんですね、あるいはもっと昔、研究をしていなかったときは、勉強が好きなんですね、と言われていました。自分はもうやめたい、苦しいだけだとしか思っていないのに。だからあまり楽しくなさそうに話すようにしました。どうせ私の話し方が、変にアピール上手だったり、強気に聞こえるせいだろうと。
このページの記事を読むまでは、また今日も発狂して、今度こそ辞めようと思っていました。でもこの記事を読んで、なんとなくあきらめがついたというか。どうしてだかはっきりとは分からないのですが、
相手の気分に感染してしまいやすい、それじゃ研究者には向いてないと思い込んでしまっていたのかもしれません。私も博士課程の人たちのご多分に漏れず、変わり者ですが、でもあまりに感情移入が激しくて、それではこの先やっていけないと思っていました。
よく分からない文面ですみません。
なんと言うんでしょうか。
変な感覚になるんです。
私自身はパンピーなのに、私の話を聞いた人たちは目を輝かせる。自分では全く分からないんです。自分自身が。私はあまり暗く話すのは悪いと思って、普通に話しているだけなんですが、面白そうに聞かれると、何とも耐えられないのです。
でも、何でしょう。
悩む柄じゃないのかな、と思いました。
パンピーね。
みんなパンピーですよ。本当は。



2011/09/05(月) 09:52 | URL | nn #-[ 編集]
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