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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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神永正博『学力低下は錯覚である』
ゆとり教育のおかげで、若者の学力は低下し続けている。
PISAの順位は下がりっぱなしだし、大学生は分数の計算もできない!
つめこみ教育を復活しないと日本が滅びるぞ!

果たしてこれは本当なのだろうか?

科学的に検証してみよう。
確率論、正規分布のスケール変換を使って、
今と昔の大学入試の偏差値を換算してみると、
今の偏差値50は15年前の偏差値42に相当する。

偏差値42の学生が「ふつう」の大学生になっていることで、
学力低下しているように見える。
これは、少子化と進学率上昇が原因で起きる錯覚である。

その他、
「理工系離れでモノ作り日本が滅びるのか?」
「大学の定員割れはどう進むのか?」「大学のレベルと立地の関係とは?」
「フィンランド型ゆとり教育vs韓国型つめこみ教育はどっちが正解?」
など、教育現場で直面する様々な疑問を統計分析で見直してみると、
意外な事実が浮かび上がってくる!
やあ、こんな本出てたんだね。知らなかった~。

この読後感は錯覚じゃないよね? - 書評 - 学力低下は錯覚である
本書の「目玉」は、以下の二つのパラドックスに単純にして明快な解答を与えていることである。

大学生たちの学力は年々下がっている
高校卒業生たちの学力は下がっていない
これは、双方とも観測された事実である。前者ばかりが喧伝されているが、後者も事実であることは著者がきちんと示してくれている。
ふむ。
たしかに後者は前者ほどには聞かんわな。


斎藤孝による推薦Masahiro Kaminaga's Weblog
イメージで語られやすい学力低下問題を,客観的データに基づいて冷静に議論しようという科学的態度が素晴らしい.学力低下の実感が,そのまま学力低下の現実を意味しないことを,少子化などの論点を整理して明らかにしている.イメージや実感だけで学力問題を語ることの不毛さを実感させてくれる本だ.
というのは間違いではない、だが本書の価値は「客観的データに基づいて冷静に議論しようという科学的態度」ではなく、むしろ「主観的印象から、どうやって客観的データに基づいた冷静な議論にもっていくか」という「情から知へ」の転換であり、そしてそれをどう主観に反映させるかという「知から情へ」の再転換にこそあるのだ。
3点あります。

1点目。

まず、上の記述からは、客観的分析=冷静で理知的、主観的分析=感情的で非論理的、という印象を受けるが、それはたぶん瑕疵だということ。「冷静に」という修飾語は過剰な気がする。
これは大したことない。


次。2点目。

それって物理学とかでよくやってることでは?
客観で主観を修正する、という。

当然の前提(主観)から出発して、論理的にいろいろ調べていくと、主観的には納得しがたいが認めざるを得ないことが出てくる。
そういうことを通じて、私たちは、私たちの主観がいかにチンケなものであるかを知る。
そこに物理のおもしろさがあるのだ、と、とある大学の物理の先生(理論物理の先生)が言っていた。


最後。3点目。

でも、そもそもこういうことになるのは、教育学が文系に位置づけられていることに問題があるのではないか。

このことは、記事「教員志望者は物理嫌い?」でも一度触れたけれど、
教育学専攻の学生のなかで、計量的に教育問題を分析したいという学生が、果たして何割いるだろうか。
あんましいない気がする。
世の中の、こういうことに興味を持ちそうな人の割合からすると、もっといてもいいはずなのに、である。
理数系好きな学生が教育学的な問題に対峙する頻度が低く押さえられてしまうように、学部・学科・専攻の仕組みがなっているのである。
これはちょっと惜しい気がする。



P. 13
しかし、半年間講義をし、試験をしてみると唖然とする。たとえば、「nを入力して、1からnまで足すプログラムを書きなさい」という問題に解答できる学生は、せいぜい二割である。残りはめちゃくちゃな答えであるか、全く手をつけていない。アルゴリズム云々以前の問題である。
こういうことが過剰に喧伝されすぎるがゆえに、「学力低下」なる現象のイメージが感情論で先走ってしまいやすいのではないか。
この記述だけを見ると、あからさまに学生がバカすぎるだけのような気がしてくるが、それは、ちょっと実態とは違うような気がする。
同じ学生が、同じような問題に対峙するのであっても、あるときはバカすぎるように見えて、あるときはとても聡明に見える、ということはよくある。

なんというか、その、その問題に解答できる2割の学生は、決して、その全員のなかの上位20%に入っていることを意味しない、というか。
いつもいつも、全員が全力で走っているわけではない、というか。

もちろん、全力で走らないのが悪い、というのは一般論としてはあり得る。

でも、全力で走った結果バカなのか全力で走っていないからバカなのかは、非常に重要な区分けだ。

もし、教員が、「問題に解答できる学生はせいぜい2割で、残りはめちゃくちゃな答えであるか、全く手をつけていない」という事態を、学生一人一人が全力で走った結果としてそうである、というふうに受け止めているのならば、
たしかに、あからさまに学生がバカすぎるだけ、であろうが、そうではなく、「全力で走ってる奴が少ない結果、バカな奴が多いように見えている」のだとしたら、これは非常に注意が必要であると言わざるを得ない。

学生たちが手を抜いて走っているさまを見て、「最近の学生はドがつくほどのバカばかりだ」というのは尚早である気がする。
そして、学生がどの程度本気でやっているかを見抜くことができないと(或いは、「最近の学生はドがつくほどのバカばかりだ」という物語を信奉することから自己慰撫的なうまみを引き出している人ほど)、そういう尚早をおかしてしまいやすい。

ああ、書いてみると非常に当たり前のことを言ってるな、と事後的に気づく私(^^;
コメント
この記事へのコメント
この本は読んでいませんが、見る側面において人の見え方が違うというのは納得です。問題なのはもっと基本的な分数とか掛け算とかできない大学生も結構いることだと思います。これは日常的に使う必要があるものです。できないままでいれば年をおうごとに聞きにくい事です。
2012/04/28(土) 12:27 | URL | うとり #llOdXvhs[ 編集]
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