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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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続けてヒラカワ様のストーリーを読む.
U氏と阿吽の呼吸をしてこられたことが,(特に次のような文章からは)ひしひしと伝わってくる.

http://plaza.rakuten.co.jp/hirakawadesu/diary/200705260000/

プロ=専門家というものがしばしば陥るピットフォールは、
素人が知らない裏事情に通じているといったことや、
一次資料や現場にあたってきたという経験の蓄積は、
事実を説明するためには有効であるが、
状況の判断や、将来に対する推論に対しては、
素人に卓越しているということをなんら意味していない
ということに対する自覚の欠如である。


私はこちらで,教師の専門性のなかには,生徒が本当に困っているのかそれとも困った振りをしているだけなのかを弁別する能力が含まれる旨,言及させて頂いたが,ヒラカワ様のかかるご主張が正しいとすれば,さきの私の言及はどこかがおかしいということになる.
どこがおかしいのかな~
コメント
この記事へのコメント
興味深い話題です。
> 私はほり先生のところで,教師の専門性のなかには,生徒が本当に困っているのかそれとも困った振りをしているだけなのかを弁別する能力が含まれる旨,言及させて頂いたが,
の箇所をお教え下さい。

ただし、上記の引用文のその先は、
> 専門家は、その専門性ゆえにしばしば
> 固定観念に囚われたり、知見によるバイアスによって
> 判断を誤ることがあるのである。
> 専門性と判断力はほとんど、無関係だと思ったほうがよい。
までで一段落ですね。

「プロ=専門家」という括りにに対しては、「“プロ”ではない専門家の、何と多いことか!!!」という意見を言いたくなります。(別に、「専門家という事になっている人」とか「資格の免状は持ってるけれどという人」とかいう“専門家”も居りましょうか。)
「プロ・アマ」問題と「ゼネラリスト・スペシャリスト」問題とは分別すべきでは? という考えも成り立ちましょうか。「ゼネラルな視野(→判断力)を持ち得る者こそが真のプロ・・・」とか。
或いは、「恒に“土に還る”(@桜井章一)事が出来る者こそ・・・」とか、「専門に囚われる愚か者本当のプロとは言えない。」とか。
2007/06/25(月) 13:03 | URL | いまてかは #N7L4NfKk[ 編集]
ちょっと補足します。

上記のように記しましたけれども、
しかし、ヒラカワ氏の考察の前提となったのは、

> 俺が「プロフェッショナル」になる必要性を
> 会議で訴えたとき・・・
> (中略)
> そのとき即座に
> 「プロフェッショナルなんてつまらない。
> 最良のアマチュアを目指すべきだ。」と
> 反応したのが内田くんであった。

友達の「内田くん」との(多分気さくな)やりとりからということであってみれば、
その「プロ=専門家」のことだけ取り上げウルサイ事をいうのは
ヤボというものかも知れないのですけれども(笑い)

それはそれとして、つい、話のタネにしてしまったという事で。
2007/06/25(月) 14:51 | URL | いまてかは #N7L4NfKk[ 編集]
続けます。

しかし、「最良のアマチュア」というのも面白い言葉ですけれども、それに対しては、「アマチュアは、まさにそのアマチュアに留まっている事の限界から、ついに最良足りえない」という論も可能でしょう。

↑それに対する反論も(もちろん)可能でしょう。

ハムレットじゃありませんけれども、「言葉、言葉、言葉」
2007/06/25(月) 17:37 | URL | いまてかは #N7L4NfKk[ 編集]
お世話様です。失礼致します。

話のついでで、ヒラカワ氏のご発言
http://plaza.rakuten.co.jp/hirakawadesu/diary/200705260000/
をネタに勝手な事を語らせてもらいます。と、

>もし、プロとアマチュアを分ける喫水線が
>自分たちのやっていることで口に糊をしているかどうかというような
>ことであるなら、
>俺たちはどこから見てもすでにプロであった。
に対しては、
「金儲けが出来る事と、プロとしての仕事が出来ているかどうかという事とは、ほとんど無関係と思った方がよい。」

あと、オマケで、こういう語も成立し得るという例示のみ。
「金儲けのプロ」
「プロのステーツマンと、プロのポリティシャンと」
また、
「プロのにせもの、にせもののプロ」

だが、「プロ」って何?、何様?(笑い)

(とりあえずの放言はここまでと致します。)
2007/06/26(火) 09:08 | URL | いまてかは #N7L4NfKk[ 編集]
コメントありがとうございます.

> 箇所をお教え下さい。
本文にリンクを張りました!

> 「プロ=専門家」という括りにに対しては、「“プロ”ではない専門家の、何と多いことか!!!」という意見を言いたくなります。
いまてかは様のご認識では,「プロ」=「実質的な専門家」,「専門家」=「形式的な専門家」という語義の捉え方のようですね.

> 「プロ・アマ」問題と「ゼネラリスト・スペシャリスト」問題とは分別すべきでは? という考えも成り立ちましょうか。
「ゼネラリスト・スペシャリスト」問題となるとまた話が広がりますね.

> >もし、プロとアマチュアを分ける喫水線が
> >自分たちのやっていることで口に糊をしているかどうかというような
> >ことであるなら、
> >俺たちはどこから見てもすでにプロであった。
> に対しては、
> 「金儲けが出来る事と、プロとしての仕事が出来ているかどうかという事とは、ほとんど無関係と思った方がよい。」
なんというか,内田さん(※)の「最良のアマチュアであるべきだ」という主張には,たいへんに巧妙に自身の立ち位置を確保されていることを感じ取ってしまいます.私もそういうの好きです(笑).
どういうことかというと,内田さんは,最良のアマチュアという立ち位置にとどまる限り,(1)舌鋒鋭き言説を吐きつつ,(2)プライドの高い「形式的な専門家」のプライドを棄却しない(「ふん,あいつは所詮アマチュアさ」)(最良のアマチュアは,「あんな奴はプロではない」と罵られることがない.もとから「プロでない」のだから.),という2つの目標を同時に達成することができるのですね.
街場の中国論とかで,これは専門家が一人も居ないところでなされた中国論談義録だということを語っておられますが,実際に本にされている(印税が入る),中国論の専門家がトンデモを見るのと同じ目線ではない目線で着目している,という点で,すでにプロだと思うのですね.どういう点でプロじゃないかというと,プロフィール欄に「専門は,中国論」と書けるだけの,このフィールドでのキャリアがない,という点なわけです.
いまもむかしも,内田さんは「最良のアマチュアである」という立ち位置をたいへん好まれるようです(笑).

※ U氏とか,いろんな言い方をしているが,本当に,どう呼んだらいいのか大変に困るw
2007/06/27(水) 14:40 | URL | heisan #-[ 編集]
カリフォルニアスタイル? 前略で行かせていただきます。

ところで、
「プロフェッショナルなんてつまらない。 最良のアマチュアを目指すべきだ。」
に対して、
「アマチュアは、まさにそのアマチュアに留まっている事の限界から、ついに最良足りえない」
というのは、意図的にスジをずらした様な、ほとんど詭弁と言ってよいものでしょうが(笑い)、 「最良のアマチュア」という言葉にホロリと来た読者の方には(heisan様のことではありません)、ちょっと考えていただきたい、「最良のアマチュア」という言葉が「すかした(気取った)セリフ」としかなり得ない世界(領域)もあるという認識。

立て続けに(返信ではない)勝手な事を書かせてもらいました。
2007/06/27(水) 18:16 | URL | いまてかは #N7L4NfKk[ 編集]
>「最良のアマチュア」という言葉が「すかした(気取った)セリフ」としかなり得ない世界(領域)もある
ごもっともです.
2007/06/27(水) 19:14 | URL | heisan #-[ 編集]
> いまてかは様のご認識では,「プロ」=「実質的な専門家」,「専門家」=「形式的な専門家」という語義の捉え方のようですね.
ニュアンスを無視すれば、外れていないと思います。

「実質と名目」のほうが、“わたくしの言葉遣いでは”、ベターかも。

「実質と形式」から、「実質と形式との不可分ないし不即不離」ということが思い浮かびました。
(↑触発されて思い浮かびましたものです。)
2007/06/28(木) 09:00 | URL | いまてかは #N7L4NfKk[ 編集]
「ゼネラリストとスペシャリスト」に関連するかしら、専門家について、木内信胤著『当来の経済学』(1979年)の440~441頁には、次のような文言があります。

【以下、“恣意的な引用”はじめ】

“専門家といふものは、いつも役に立つものとは限らない”のだから、“えらい人は必ず専門家であるとしてゐるやうな、現在の大学の学風”は、大いに訂正して欲しい。
 専門家とは、たまたまその専門の事項が問題である時にのみ役に立つ。だから専門家といふものは、“全般を見渡してゐる人間の配下につくべきもの”であって、決して専門家としてえらいから、例へば学部長になる、といったことがあってはならないのである。一般的にかういふ人がたまたま或る事項について、専門家としてもえらい、といふ場合、一般的にえらいから学部長になる、といふならいいのであるが、いまの大学はそのやうに運営されてゐるのであらうか。

 例へば博士号を貰ふといふ場合、それは例外なく、何か一部局のことを深く突込まねばならないだらう。それが専門家偏重の学風の基盤となるのである。
 一般的にえらい人に、博士号を与へることを制度化するのはむずかしいかも知れない。それなら、博士号といふものは、“人の配下につかなければ役に立たない人であることの証明である”と、世間が思ふやうになればいいが、・・・・・・

・・・・・・“専門家は、人に使はれで始めて役に立つ。いまの場合、その専門家を使ふ人はどこの誰だ”といってまづそれを問題にする、世間はどこへ行ってもさうであるやうな世の中になったら、それこそ万々歳なのである。

【以上、“恣意的な引用”おわり】

わたくしのコメントなどより余程おもしろいですね。なお、念のため、わたくしは、大学関係者ではなく、また、博士号は持っておりません(笑い)
2007/06/28(木) 09:04 | URL | いまてかは #N7L4NfKk[ 編集]
余談ですが、中国論といえば、山本七平著の『日本人と中国人―なぜ、あの国とまともに付き合えないのか』。
同じ著者の『日本人とは何か。―神話の世界から近代まで、その行動原理を探る』及び『日本人とアメリカ人―日本はなぜ、敗れつづけるのか』と共に書店で見かけて“大人買い”していたのですが、未だ碌に開いてもいなかった事を思い出しました。
山本七平先生も、別に中国論の専門家ではありませんね、言うまでもないか。
こういうことを思い出すというのも、ここへコメントをのべさせていただいた事によって得られた余禄(予定外の収入)で、ありがたいことです。
2007/06/28(木) 09:16 | URL | いまてかは #N7L4NfKk[ 編集]
コメントありがとうございます.


> 専門家は、人に使はれで始めて役に立つ。

まあ,「一面の真実を言い当てている」と思います.

人は,自分の能力が及ばない問題に対して,「専門家に任せる」という仕方で,対処します(アウトソーシング).これは,いいですよね.
しかし,ここで問題なのは,機能的にみて,「専門家」には2つある,という事実を忘れたまま,上のような仕方を活用することです.
その2つとは何か.「使う専門家」と「使われる専門家」(いわゆる専門家.スペシャリスト.博士号取得の要件はこちらである.)です.
ところが,いまの世の中には,或る人物が「使う専門家」として相応しい人物かどうかを判定する基準がありません.それでどうなっているかというと,「使われる専門家」かどうかを判定する基準が「流用」されているのですね.でも,この種の「流用」は,適正なものとはあまり思われない.その理由は,先刻申し上げた通り,「専門家には2つある」という事実のうちに存します.


> こういうことを思い出すというのも、ここへコメントをのべさせていただいた事によって得られた余禄(予定外の収入)で

いやいや,私のほうこそ,こうやって「どんな関連文献があるか」という情報を,寝ころんだまま得られるという「予定外の収入」を得ているわけですから,お互い様だと思いますよ(いい意味で)(笑)
2007/06/28(木) 13:09 | URL | heisan #-[ 編集]
「一般的にえらい人vs専門家」という対ではなく、「使う専門家vs使われる専門家」という対で捉えるという訳ですね。と、区分の違いとして受け取りましたけれども、如何なものでしょうか?
木内先生の区分にもよさ(意義なり効用なり)があるらしい様ですけれども、一方、heisan様の「専門家論(の基礎)」はお伺いしておりませんけれども、「使う専門家と使われる専門家と、専門家には2つある」と捉える方にも、何かよいことがあるのでしょうか?(←俗な表現申し訳ありません。よい言葉が浮かびませんでした(笑い))

ただし、
「ところが,いまの世の中には,或る人物が「使う専門家」として相応しい人物かどうかを判定する基準がありません.それでどうなっているかというと,「使われる専門家」かどうかを判定する基準が「流用」されているのですね.でも,この種の「流用」は,適正なものとはあまり思われない.」
につきましては、わたくしは「いままでそういう事を考えた事はない」ものでもあり、わたくしには判断のつきかねるものです。

なお、「木内先生の区分にもよさ(意義なり効用なり)があるらしい様ですけれども」の「様ですけれども」という曖昧な表現は、その本を精読してはいないという事もあってのものです。

なお、「気が向きましたらお答え下さい」という文言は、もちろんの大前提ということで、これからは省略させていただきます。
2007/06/28(木) 14:07 | URL | いまてかは #N7L4NfKk[ 編集]
> 区分の違いとして受け取りましたけれども、如何なものでしょうか?
それで問題ないと思います(私の理解と合っています).

> 「使う専門家と使われる専門家と、専門家には2つある」と捉える方にも、何かよいことがあるのでしょうか?
ほとんど同じだと思うんですけどねぇ.
敢えて言うなら,「えらい人」という言い方は,多分に曖昧性を含みますが,それが排除される点でしょうか.
それから,なぜ「ほとんど同じ」かというと,要は両者は視点の取り方が違うだけだからです.庶民から見れば「えらい人」で,「そのえらい人が何をしているか」という見方をすれば,「スペシャリストを適材適所的に使っている」と思うので,「使う専門家」.
いかがでしょう.
「ほとんど」と形容詞を付けた理由は,いまのところ自分でも説明できませぬ…(>_<).
2007/06/28(木) 18:56 | URL | heisan #-[ 編集]
今朝になって気付いたのですけれども、(読者(閲覧者)の方にはトロイと思われるかも知れませんけれども、「論争・反論モード」ではないので)、「一般的にえらい人vs専門家」の区分に於いては、「使う専門家」も、「専門家」である以上、“専門家といふものは、いつも役に立つものとは限らない”、存在として認識されているのだと思います。

ただし、“専門家といふものは全般を見渡してゐる人間の配下につくべきもの”、及び、“専門家は、人に使はれで始めて役に立つ。”に関しましては、すこし吟味を要するかも知れませんけれども、専門家といふものは、いつも役に立つものとは限らない”を認めるならば、肯定せざるを得ないことになりましょうか?(←よく考えていない、分かっていない。)
(2007/6/29 9:00)
2007/06/29(金) 09:06 | URL | いまてかは #N7L4NfKk[ 編集]
“専門家といふものは、いつも役に立つものとは限らない”

専門家の)思想・理論・手法は、それが現在役立っているものだったとしても、いつまでも役に立つものではない。

内田樹先生の言う「期間限定」と重なるもの?

(クレームが付かない限り、上記の如き勝手なメモにも利用させていただこうと思っているのですけれども、ご指示に従います。)

10:30
2007/06/29(金) 10:34 | URL | いまてかは #N7L4NfKk[ 編集]
真面目に読むと“問い質し”が出てきてしまった。

「29」のコメントについて

①いまの世の中には,或る人物が「使う専門家」として相応しい人物かどうかを判定する基準がありません.
②「使われる専門家」かどうかを判定する基準が「流用」されている
③この種の「流用」は,適正なものとはあまり思われない.
④その理由は,先刻申し上げた通り,「専門家には2つある」という事実のうちに存します.

1、上記の、①→②→③→④の理路は、未だ理解しておりません。②の「流用」の事実もわかりません。

2、特に①の「或る人物が「使う専門家」として相応しい人物かどうかを判定する基準」、昔の世の中にはその基準があったのか、それはどういった基準か、いまの世の中には無いというのはその昔の世の中にはあった基準が崩れたということか。

なお、お互い様、ペンディングは大いにあり大いに結構という事で、お願いします。

11:11
2007/06/29(金) 11:09 | URL | いまてかは #N7L4NfKk[ 編集]
木内先生によれは、首長(上に立って集団や団体を支配・統率する人)は「一般的にえらい人」が成るべきものという事ですね。
だが、heisan様もその曖昧性を指摘しておられましたけれど、「一般的にえらい人」って?
(独り言:『当来の経済学』も、もう少し確り読んでみよう。)
2007/06/29(金) 12:37 | URL | いまてかは #N7L4NfKk[ 編集]
コメントどうもです.


> クレームが付かない限り、上記の如き勝手なメモにも利用させていただこうと思っているのですけれども、ご指示に従います。

どちらがいいかは他の読者さんにもよるのでしょうが(←って,居るのか??(笑)),少なくとも私は,(あとで見返したときに有益な文章たり得るために)少し整理されてからお書き頂いたほうがいいのではないかと思っていますが,いかがでしょう?
(どうせ同じ労力を割いて文章を書くなら,少しでも賞味期限の長い文章を書きたい,と,思いません?(笑))


> 「或る人物が「使う専門家」として相応しい人物かどうかを判定する基準」、昔の世の中にはその基準があったのか

少なくとも「(今よりも)あると信じられていた」ということはできると思います.
例えば,「教師の言うことは正しい」ということは,一昔前の世の中では「当たり前」のことだった.でも,昨今は,(これはマスメディアによる影響が大きいのかもしれませんが)「専門家の不祥事」を囃し立てることが流行っているせいもあり,「かかる基準がある」ということをなかなか信じられなくなってきている.というようなことではないかと思います.


> 「一般的にえらい人」って?

これは,語るととても長くなる気がするので控えたいのですが(語りたくなったらまた時間のあるときに綴りたいと思います),一言だけ言いますと,その「一般的にえらい人」は,なにゆえに「えらい」のかを考察すると,答えに近づけるのではないかと考えています.
2007/06/29(金) 20:13 | URL | heisan #-[ 編集]
> 少し整理されてからお書き頂いたほうがいいのではないかと思っています。
了解致しました。(ただし、① > どうせ同じ労力を割いて文章を書くなら、② > 少しでも賞味期限の長い文章を書きたい,思いません? の2点については、「別に・・・」とかありますけれども、どうでもよい下らないことなので記しません。)

今後は、単なる覚えの様なコメントは控えます。

「一般的にえらい人」に関しては、休日中に少々思考の展開がありましたけれども、いまはますます拡散している(それを面白がっている)ところです。

なお、余談で、[27]で取り上げた本を読み始めていますが、これは30年以上前に書かれたものですけれども、わたくしにとっては、“知的な相撲”(←いま思いついた造語です(笑い))の相手に、絶好な書物かと存じます。
2007/07/02(月) 12:46 | URL | いまてかは #N7L4NfKk[ 編集]
タイトルは大げさですけれども、内容は大したことありません(笑い)
上記タイトルの事、ほり様のブログでちょっと触れました。
2007/07/02(月) 18:06 | URL | いまてかは #N7L4NfKk[ 編集]
> 2点については、「別に・・・」とかありますけれども

いや,もちろんそれにも理があると思います.
結局は,時間を取るか,成果を取るか,みたいな話になってしまうわけですし…


> 単なる覚えの様なコメントは控えます。

かといって,急にコメントがなくなると私が悲しがりますので(笑),そこら辺はお手柔らかにお願い致します(^^
2007/07/03(火) 15:09 | URL | heisan #-[ 編集]
いわゆる「自己レス」ですけれども、
>なお、余談で、[27]で取り上げた本を読み始めていますが、
>これは30年以上前に書かれたものですけれども、
「中国論」つながりで山本七平先生の本を思い出した訳ですけれども、山本七平先生は『人間集団における人望の研究―二人以上の部下を持つ人のために』とか『帝王学―「貞観政要」の読み方』とか、木内信胤先生のいう“一般的にえらい人”に就いて考える上での示唆を得られると思しき本をいくつも著されていますね。
それらの本はそれまで私の視野の辺境にあってあまりお付き合いしていなかったものなのですけれども、それらとの交際がはじまったのも、(前に記したのと同じセリフですが、)ここへコメントをのべさせていただいた事によって得られた余禄(予定外の収入)で、ありがたいことです。
2007/07/05(木) 10:08 | URL | いまてかは #N7L4NfKk[ 編集]
> ここへコメントをのべさせていただいた事によって得られた余禄(予定外の収入)で、ありがたいことです

こうして,私が特になーんにもしなくても,余録を得てくださる方がいるということ自体,言祝ぐべきことかな,と(笑)
2007/07/05(木) 18:25 | URL | heisan #-[ 編集]
ネットショップで見てみますと、山本七平先生の著作も、近年様々、文庫化・新書化なり復刻なり盛んな様ですね。
2007/07/06(金) 09:45 | URL | いまてかは #N7L4NfKk[ 編集]
山本七平さんは(私はよく知らないんですけれども)なにがすごいんですか?
(てか自分で読めって話ですけれども(笑))
2007/07/07(土) 12:09 | URL | heisan #-[ 編集]
複数の筋金が入った「筋金入りのひと」だとは思います。
2007/07/09(月) 09:57 | URL | いまてかは #N7L4NfKk[ 編集]

>「筋金入りのひと」だとは思います。
はよいとして、
>複数の筋金が入った
は甘く見て“稚拙な表現”でした。
説明はとりあえずとして、
山本七平先生のために弁明して置きます。
2007/07/10(火) 08:53 | URL | いまてかは #N7L4NfKk[ 編集]
ありがとうございます.
機会があれば手にとってみようと思います.
2007/07/12(木) 03:00 | URL | heisan #-[ 編集]
[16]、[23]で触れた「最良のアマチュア」に戻りますけれども、わたくしが今しがた思い浮かんだイメージによりますと、
ブッダやソクラテスと云ったクラスの方は、「最良のアマチュア(素人、しろうと)」と称するに値するのでは? 一方、そのクラスに至らない方は、一つは素(す)の欠如により、「最良のアマチュア」たり得ない境涯にある。専門家とは別の視点を持つ事から、時に“専門バカ”化したプロを感心させたり反省させたりする程度の“てだれアマチュア”クラスに「最良」は無いだろう。しかし、ブッダやソクラテスと云ったクラスの方が居られる境地に至らんと志す(つねに素(す)を保たんと心がける)者は尊いと思う。
と、以上の様に成ります。
内田くん(@ヒラカワ氏)のヒネリとはズレた認識でしょうけれども。
(以上の見解は、先行する見解のおかげです。)
2007/07/12(木) 17:26 | URL | いまてかは #N7L4NfKk[ 編集]
しかし、山本七平氏にそれほど入れ込んでいる訳ではないのですけれども、書き連ねる流れになってしまいました。コメント上だと、相当執心しているかの様に解される方もいらっしゃることでしょう。
わたくしの個人的な経緯との兼ね合いの問題に過ぎないもので、これまでわたくしは「社会(政治・経済・法律 etc.)系」の著作とは疎遠で来ていました。「人文系」統に偏していたという事ができましょうか。しかし、山本七平氏の著作は、俗な「社会系」にとどまるものではなく、かつ、俗な「社会系」とは一線を画すもので、また、20~30年前に書かれたものでも、目から鱗を落とさせる知見あり、考えるヒントになり、視野を拡げるよすがともなり、で、“マイブーム”になりかけているため、書き連ねる流れになった模様です。
なお、他にも良い「社会系」の書籍はあることでしょうけれども、「社会系」の著作とは疎遠で来ていた訳ですから知りません。ただし、わたくしには咀嚼困難な専門書等も除くとして、歴史を遡っても、わたくしに適する書籍は限られると思います。
余談ですが、そういえば、法律ものですけれども、末弘厳太郎氏の著作は面白いものでした。
それはともかく、わたくしなど山本七平氏より低位であってみれば、また、未ださほど付き合ってもいない段階でもあり、どの本がオススメなどという事は述べませんけれども、山本七平氏が遺された様々な著作はネットショップで検索して調べて貰えばズラリとならび、その題名等の情報は得られる訳ですし、もし御関心を持たれた方がありましたならば、その中のいくつかを実際に手に取ってみて、自ら確かめてみられるのが一番かと存じます。
2007/07/13(金) 12:09 | URL | いまてかは #N7L4NfKk[ 編集]
いわゆる自己レスですけれども、上記の
>俗な「社会系」
ひとりよがりの、わからない言葉ですね。
山本七平氏の学問は、高踏(俗なアカデミック)という安直にも依拠せず、低俗(俗なジャーナリスティック)という安直にも依拠せず、豊かな知識及び確りした歴史観に裏打ちされた、人間社会についての学問だと思います。そういった事を申し上げたかったものです。
2007/07/17(火) 13:29 | URL | いまてかは #N7L4NfKk[ 編集]
> ブッダやソクラテスと云ったクラスの方は、「最良のアマチュア(素人、しろうと)」と称するに値するのでは?

最良かどうか分かりませんが,「形式的にはプロではないが,実質的にはプロである」方々ということならば分かります.
こういうタイプのプロを目指すことは極めて健全なことです.


> 山本七平氏の学問は、高踏(俗なアカデミック)という安直にも依拠せず、低俗(俗なジャーナリスティック)という安直にも依拠せず、豊かな知識及び確りした歴史観に裏打ちされた、人間社会についての学問だと思います。

なるほど.
ありがとうございます.
しかし,せっかくご紹介いただいた書籍の類も,(連日の多忙で)全然読めずに居ります.すみません(_)
2007/07/19(木) 15:49 | URL | heisan #-[ 編集]
> ブッダやソクラテスと云ったクラス
につきましては、プロアマ以前に、我々は皆(もちろん私も含め)、妄想を欲しいままにし、偏見に満ちた者であるという認識があるものでございます。

> 山本七平氏の著作
単なるマイブームで、別にオススメというものでもありませんけれども、私が愛読してきた、内向き?の、宗教哲学文学等よりは、食指が動きますでしょうか? それよりもっと優先順位が上の、所謂積ん読中の本も相当お持ちかと存じますけれども。

『虚数の情緒』は、heisan様が紹介されるよりも前に、私も、書店で偶然に見つけた折に手に取り、即座に購入して居ります。未だに取り組んではおりませんけれども。
heisan様と私と、キャラクターは相当に異なるものと思いますけれども、或る方面から見れば、千人の中に一人居るか居ないかという“仲間”かも知れません。
2007/07/23(月) 09:19 | URL | いまてかは #N7L4NfKk[ 編集]
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