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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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前に「違和感表明のためには斟酌が必要」と書いたが、それにとらわれていると、なにも発言できなくなってしまう。
それはそれで、とても悲しい。
結局はトレードオフなのかな、とも思う。
というわけでさっそく書く。

バカだと言われようがとりあえず書いてみる(誹謗中傷系違和感の表明には、十分な斟酌が必要かなと思うけれど、斟酌不十分の違和感表明した結果のデメリットが、自分がバカ扱いされるだけであるならば、まあ別にいいか、という気にもなってくる。)。
「自分がこれまであまり関わってこなかった事柄について、人々よりも無知である」ということは、変えられないわけだし、変えられるのは、少しでも学んで成長することだろうから。

だいたい、「高校生でも分かること」だとか言って一蹴する態度そのものが、半分詭弁なんだよね(前にも書いたけど、高校生の多くは、高校での履修内容についてちゃんと分かっていないわけだし…。)。
だって、高校って基本選択制だから、理系を選べば文系的科目のどれからはやらない、あるいはおろそかになるわけだし、現に現在の高校における地学の履修率とか、かなりやばいらしいし・・・。

あ、そっか。
整理して書いたやつと、走り書きしたやつをカテゴリーで分けておけば、リーダーフレンドリーだな。
あ、でもそれするのめんどくさい。

どうしようか。

ま、読む人が増えたらまた考えようか。なーんて。


日本は法治国家なのか
派遣労働者の置かれている状況が、日本経済の悲惨な現状を集約していることは確かだが、その怒りが役所に住居の斡旋を求める陳情になるのでは、現状を打破できない。彼らの敵は、生産性を大きく上回る賃金をもらって終身雇用を保障されているノンワーキング・リッチなのだ。
う~ん・・・なんか言ってることが赤木智宏氏(「希望は、戦争」の話だったかな)と似ている気が・・・
割を食った人と食わなかった人がいて、その格差を国が能動的に是正すべきだという議論は、しばしば被害者利権の温床となり、どっちが被害者か分からなくなるといういたちごっこの様相を生産する。

「池田氏の議論」と「赤木氏およびそれ系の議論」との違いは、ひとえに、
割を食っている人たちが、国に文句を言うことで問題を解決しようとしているか、それとも現在の既得権益者に直接文句を言うことで問題を解決しようとしているか、の違いだと思う。

あ、これって、障碍者サポートの話とも似てるよね。
公民館の入り口に段差があるのを、段差を移動するたびに人を呼びつけないといけない状況と、スロープがあれば自力で公民館に入れる状況の違いというか。

そういえば、先日、渋谷の自警団?の話を見聞きしたけど、
あれって、
(A)セカンドオピニオン&裁判員制度&教師・警官の不祥事報道&以下略の流れをくむ(←以前記事に書いた)、専門家と非専門家の境目の曖昧化の亜種なのかな
って一瞬思ったけど、
(つまりは専門家が信用できないから非専門家が立ち上がるという構図。強盗がきたらこれまでは警察を呼んでたけど、警察が信用できないからこれからは銃を携帯して自分で自分の身を守ろう、的な方向性というか。あれ、これって国家転覆の第一段階じゃないの?(笑))
そうではなくて、
(B)「手触りと手応えのある地域感覚の復権」であるとも考えられるよね。

これまでは、特定の分野における自分の判断能力をゼロと査定し、それに関する自分の全権を専門家にゆだね、「お願いしますだにぃ」と言わんばかりに専門家にベッタリくっついてそれに100%したがう、的なだったけれど、
やっぱりそういうやり方をずっと続けていたのでは、民度が一定以上にあがることは期待できなくて、じゃあ何が必要かっていうと、
100%権限委譲するのではなくて、「専門家かどうかを判断する能力」は、非専門家でも持っていなくてはいけない、っていう方向に、世の中が舵を切っている、という感じはするよね。

でもここで問題となるのは、例えばセカンドオピニオン的な流れにおいても、「専門医認定制度」とか行政主導でつくってさ(本当に行政主導かどうかは知らないけれど)、「さあ国民よ、われわれ官が『だれが専門家か』を教えてあげるから、これさえ見てれば安全だわよ」って言うから本末転倒なわけで。

そういう意味ではネットリテラシーってのはどれくらい危険なアングラ系サイトを踏んできたか、ITリテラシーってのは、どれくらい多くのパソコンを起動不能にしてきたか、で計量されると言っても過言ではなかろう(笑)。

でも、あくまでも表向きとしては、「アングラ系を踏め。さすればあなたがたのリテラシーは上がるであろう」なんて口が裂けても言えないから、お茶を濁したような表現でごまかすという、行政のための行政指導に終始するという愚が発生するわけで・・・。

(A)と(B)、どっちが正解なのかなぁ~。


人権という迷信のコメント欄
辻広氏もいうように、基本的には雇用ルールは労使で契約ベースで決めればよく、行政はその契約が社会的的に有害かどうかをチェックすればいいだけ。
それを厚労省がいろいろ煩雑な規制を強化するから、結果的には非正規社員の境遇が悪化し、失業率が増えるのです。
こんなことは自明の理で、今さら論じるまでもない。ところが八代尚宏氏などがそういう意見をのべると、すごい政治的な反発があるので、恐くて誰もいえない。当ブログでいうしかないのでしょう。
あ、そうか、なるほd。

その契約が社会的に有害かどうか、ね。ふむふむ。

自分が割を食っていることを自覚した人たちがまずすべきことは、「いーもん。ママに言うもん。」と叫ぶことでも無ければ実際にママ(国とか)に言いつけてみることでもない。

それではいつまで経っても、「自分たちで物事を解決する」という前提が育たない

法とか社会とかが判定すべき事は何か(この場合で言うと、それはあくまで、「ある契約が社会的に有害かどうか」だけであって、それ以上国とかが当事者間の契約に口を挟むことはしてはいけない、ということ。)、に関する基本的認識の錯誤が、経済学者とかと一般人の間であって、で、一般人の認識という衆愚の空気を読む奴らが騒いで数の論理で何事かをなそうとする構図がある、という風に考えれば、あるいは・・・。
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