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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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(筆者注:以下の全記述は、その記述方式自体が、筆者にとって初めての試みであること、および、めっちゃ長いくせにろくに前後の論理的整合性チェックとかしてないこと、ハイライト表示の適切性などの点において不備が含まれているおそれがあります。
また、同時に、今後、その不備を修正する可能性があります。)

 

旧帝大の入試レベルはいかほどか

あまりこういう話はいろいろな意味でしたくないわけだが、blog 「自由帳で数学とか物理とか」(久間くん、高校生で受験生)を読んでいると、どうも僕がこれまでblog「考えるのが好きだった」 (ほり先生、2番手進学校の高校の先生)から伺ったところの実感からずれているので、この際、両者の意見を比較して、実態解明に努めてみる。

あ、あらかじめ言っておくけど他にもデータいっぱいあんだろがとか引っ張ってくるデータが偏りすぎだとか言う意見は却下の方向で (こういう風に言ってる人もいます、みたいな意見は歓迎だけど)。

実体験に即して言葉を語る者の生活実感の集積から、いかなる知見が得られるかということに関心を持ってこういうことをやっているわけなのだから。

(引用部分において、バックをハイライトしているものは全て筆者注)

 

考えるのが好きだったの意見

suchの発音

「すっち」と言ったから、最初、 何のことかわからなかったよ。これで、 旧帝大のどこかは受けるだろうし、受からなかったら困る子だから、・・・ 大学の先生も大変だ。

自立できない高校生

新規な事項に出くわしたとき、 「それが自分が既に身に付けた知識体系のどこに組み込まれるべきか」 がわかることが重要なのである。でなければ、 その知識体系は自分のものと言えない。今の生徒がもつ知識体系は、 借り物のようなものだ。だから、彼らにとって、 知識とはひたすら羅列になる。よって、応用が利かない。しかし、 これを理解させるのはかなり困難である。なぜなら、 「試験」 に出るのは羅列の知識で済むことが多いからだ。 それで中堅の国公立に受かってしまうのが何とも言えない。(で、その人たちが教員になる。)

そんなに難しくない旧帝大なら、「自分で体系化した知識」 を身に付ければ必ず受かる。

大卒同士の相互扶助(3)

今の高校生を教えていると、たとえ結構いい大学に合格したとして、 家庭教師のアルバイトはなかなか難しいのではないか? 
地域性はあると思うが、進学校としてのメンツを保つのに、「国公立大学合格○名」という宣伝文句がある。 学校要覧とか学校案内とか、インターネットのHP の進路関係には必ず入っているはずだ。ところが、 この国公立大学というヤツは、 ピンからキリまである。ピンはやはり難しい。もって生まれたそれなりの能力は是非とも必要で、 かつ、 それなりの継続的な努力も要る。しかし、地方の工学部、教員養成課程の学部となると、(それでも、やはり、 それなりの能力は必要ではあるが、)中学卒業時点で町一番か二番の進学校に「何とな?く」 入れてしまった程度の能力があれば、 あとは高校に入って多少、 場合によってはめっちゃくちゃ頑張っていさえすれば、また、進学先の学部学科を選ばなければ、(と、 ここまでで3つも条件が重なってしまったが、)大方はまあ入れてしまえる程度の難しさでしかない。 ただ、 ふつーの高校生はあまり勉強をしたがらないから、 高校の学習内容の理解不足と練習不足ゆえに入試問題がなかなか解けず、 結果的に入りにくくなるだけだ。
 何が言いたいのかというと、 高等学校の学習内容を十分に習得していなくとも、大学に、 たとえ国公立大学とはいえ、 意外に入学できてしまうのだ。ということは、 世の中の大学生の大半は、 高校の学習内容を十分に習得しているわけではないということだ。
この傾向は益々強まっている。「以前の生徒より、こんなに出来ないのに」 と思っても、模擬試験の全国偏差値は意外良かったりする。 私だけの感想ではないし、また、年を追って加速もしている。

 

まあ要するに、旧帝大に入るのはたいしたことない、と読んでいいだろう。
実際に日々進学指導に従事されている現職先生が肌で感じたところの意見であるから、まあ、少なくともそういう側面がある、ということは認めねばなるまい。

さて、続いて、とある受験生の意見である。

 

 

自由帳で数学とか物理とか(+α) の意見

 

結構無計画にすすんでまつ

とりあえず、計画は漠然と作ってるので、 急遽書くことになったエネルギーの擬人化という暴挙を……

いやね、だってドイツが空気読めてるもんだから。

・Energie[女](物理・化学)エネルギー

女性名詞ワロタwww
ちなみに、運動エネルギー(1/2・mv^2)、ポテンシャルエネルギー(mgh)、熱エネルギー、光エネルギー(hν)、 電気エネルギー(VIcosθ・s)、化学エネルギー(?G)、質量(静止エネルギー、原子力)(mc^2)の7人書くことに……

うはw俺自重wwwww
自滅しすぎwww

妹くらい才能あればいいんですが……どうも、私のスペック的にはこれが限界orz
我が妹君は私なんかよりも遥かに勉強できる上に、 私の絵の師匠だったりするお方……いろいろと兄としての威厳がorz
妹に勝てる科目といったら、地学と英語除く文系くらいしかない罠。
(今回の物理物語では、私が苦手とする熱力学を妹に教えてもらったり^^;)

こらそこw
遊んでばかりだからといわないw

まったく、旧帝受ける人とかどれだけ化け物なんだろう… …
ウチのクラスのトップの人とか、話すだけで知性が伝わってくる気がします(汗

 

進路希望調査より

>>motoさん
>東京大

ぶw
ないないないないw
私なんかじゃとても無理ですwww
東大とか京大いくような人は知っていますが、とてもじゃないですが私なんか足元にも及びません(汗
クラスのトップの方とか中学時代のトップの方とか(東大医学部とか京大工学部とか志望)……傍から見てても「SUGEEEEE」 としかいえない^^;
少なくとも妹にもその辺は勝てそうにない^^;
妹もだいたい同じような感じですし……文系なら負けませんが(注・理系の発言)

 

ミスって連鎖しますよね… …

>Overlaplightさん

Σ九大……旧帝すっか!?
九州の方は、関西人なのでよくわかりませんが……
(と言っても、九州と名がつくということは、九工大すごいんだろうな、と思う今日この頃

いやはや、どうも私の認識では、

旧帝大→本気ですごい人が行くところ
東大京大→その中でも魔物たちの世界

ということに……(もちろんいい意味で

 

模試の帰り。

中学生の女の子四人が騒いでて
A「今日さぁー、数学の○×に数学なんて大人になってから使わないから
  意味ナイって言ってやったんだけど
  そしたらテレビゲームにも数学使ってるんだよとか言ってきて超うざかったーw」
B「○×ってキモいよねーw」
A「それでさー、そんなの好きな奴にやらしとけばイイんです、私はやりません。って言ったら
  今度は携帯電話だって数学使ってるんだよとか言ってきてw
  私はそれを使うだけだから数学は関係ないんです!って宣言してあげたw」
C「その後どうだったの?」
A「そしたらもうなにも言えなくなっちゃってwwww」
BCD「ださwwwwwwww」

(中略)

(筆者注:以上、otonasi17590氏による記述、以下久間君による記述)

久間知毅  2007/10/21 17:39

っ「記事の最初の方について」
まぁ、学校の勉強は社会で役に立たないなどとほざくアホは生暖かく見守ってやればいいんですよ^^;
将来「納豆にはナットウキナーゼという酵素があり、血液がサラサラに!」 とか言われて騙されてあげくビタミンKで血液が凝固して動脈硬化になるんですよ。
中学程度の理科さえ知っていれば、「酵素=たんぱく質が体内に吸収されない」ことくらいわかるだろうに……
数学だって知ってれば、どこぞのねずみ講に引っかかることもないですしね。確率計算には微積使いまくり^^;
まぁ、身を守る武器になる「知識」 を自ら放棄する人には辟易するというか何というか……

 

 

・・・久間くんの実感は、ほり先生のそれとは違っていて、旧帝大は「本気ですごい人が行くところ」のようです。

しかし、久間くんが人となりが分からないと、久間くんの言う「本気ですごい人」というのがどういう人を指すのか、分からないですよね。

久間くんはどんな子なのでしょうか?

 

【新作情報】人権擁護法案に反対するには?過激派にみるニセ科学の病理より

>老婆心さん

うはwwwwww
生まれて初めて他人にサヨク言われましたwwwww
学校じゃすっかり右翼認定受けてるのにwwwww

いやはや、知りませんでした。
中共政府に対して批判しまくっているのがサヨクだとは。
大東亜戦争が日本の自衛のためと時代の流れから仕方なかったという人がサヨクとは。
南京大虐殺は戦争としての悲劇以上のものはなく、中共の言うレベルのものはなかったとする人がサヨクとは。
憲法9条の即刻改正を望む人がサヨクとは。
自衛隊の拡充を望む人がサヨクとは。
政治を語る以上経済と軍事の知識も必要だ、とする人がサヨクとは。
皇族に対し敬愛の念を抱く人がサヨクとは。
教育勅語を机の前に貼って、暗唱できる人がサヨクとは。
……知りませんでしたねぇw

社会に出るにしても、最低限の知識は必要だと思いますよ。 学校で習うことなんて、という人に限って、 その知識を使えないだけではないでしょうかね。

 

【国籍法】 反対派の今後の動き/改正から一夜明けて思うこと

私も、知り合いの中学生の公民教科書を見て「あ、こんなの中学で習うんだ」 と思うことは多いですけど…
それを「学校で習わなかったぞ!」 と声を大にしては言えません
ホントに習ってないのか自分が忘れてるだけなのか区別が付かないですからねw

 

自分の専門分野でもない限り、やはり調べないことにはできない、というのは、私もつくづく感じています^^;
私も法律に関しては、実務上電気関連と知的財産関連くらいしかやってないので、あとはその都度六法全書や解説書を引っ張っていますし…… どこでも専門外だとそんな感じですよ。ご安心ください。

 

私の勉強法

試験前となると、わたしは基本的によく寝ることにしています。
普段は睡眠時間3時間とか4時間ですが、試験前日は、

帰宅→夕食→風呂→寝る

……という感じです。
ぶっちゃけると、前日にあくせく勉強したって点数が変わらないんだから、体調を万全にしてケアレスミスをなくす方が、 結果として得点うpに繋がると考えているからでして……。

まぁ、動画見てくださっている方はわかると思いますが、私はよく符号のミスをしでかします。
それで満点を逃したことは数え切れないほど……orz
酷いときには、それで20点マイナスということもありました(部分点くれよ、先生)。
……とまぁ、悲惨な目に遭うので、強制的に布団に入ってます。


試験期間以外は、基本的にインドア派な遊びを……。
最近ハマったのは最適化数学とかグラフ理論とかで、本を買って好きに解いたりしています。
また、ニュースを見て自分の意見をまとめたり、読書したりと、普段は寝る時間が取れなかったり。たまに授業がきついwww

……まぁ、こんな感じで、遊び感覚でこんなことやってたらいつの間にか憶えてたというパターンが多いです。

……おかげで変人扱いされまくりorz


勉強法と大それたものはありませんが、「遊びで憶えるのが一番早い」 というのは実感しています

 

なんだかんだで3万ヒット

関係ない話になりますが、最近妹が「もやしもん」にハマっています。
まぁ、妹は元々生物学をやりたいとか、某T大学いきたいって言ってましたんで……
全く話についていけません^^;

とりあえず、有機化学の超基礎的なところくらいまでが限界だと^^;
生化学ってなんですか・・・?

まぁ、文系ネタで日ごろいじっていたせいか、 逆襲されまくってるような気が……(汗

 

何なんだろう、 この違和感は(追記有:キレ気味注意)

人権擁護法案反対のweb署名の提出先が無断で変更され、 さらに職業右翼の団体に情報が漏れたこと。

(中略)

もう、 これは怒りました。まさか本当に「無知を利用する輩」だったとは!
ニコニコ動画でランキング工作して、他の動画に宣伝しまくって、「学生でもおk」「親の許可はいりません」 とか言って何も知らない子供を騙して個人情報を収集して、 手前の勝手なレイシズムに浸すような行為をしていたというわけだな!?

(中略)

私は技術畑にいますから、そういう「人の無知に付け込む奴」 が心底許せないんです!

 

【新作情報】サラ中尉の数学講座「部分分数分解」

ラプラス変換の動画を作ったので、つい解説したくなりましたので作っちゃいました^^;

ラプラス逆変換のときに重宝する、部分分数分解のやり方です。

 

講座やりたいけど時間がないしなぁ… …

無性に講座系動画を作りたくてうずうずしてますが、 テスト等で甚だ忙しいので自重せざるを得ないのが悲しい今日この頃。

 

とりあえず替え歌でも

見直しせずに書き込んだんで書き忘れてたことが(^^;

最近久間さんが力を入れている内容の一つ、人権擁護法案。
とても興味深く読ませてもらっています。
考える所は色々あるのですが長くなるので置いといて、
僕は一番感心したのは久間さんの行動力です。
疑問解決や動画作成の為に人権関係のBBSに行ったり
大田議員に取材を試みたり。
確かな問題意識がある人にとっては当たり前の行動なのかもしれませんが
僕は一瞬「そこまでやるんだ・・・」思ってしまいました
すぐに自分の意識が甘いのだろうな、と反省しました。
本当に関心があるなら「そこ」(普通の人がやらない事)までやるのは、可能なら当然ですよね。
久間さんの動画一連を見て一番学んだのは、ニコニコだけでなくフムフムしたのはその点です。

長文失礼しました。

2008-06-01
Fay

 

>Fayさん
ご覧頂きありがとうございます^^

舞姫ですが、あれはおそらく……学校で使うことになるのかもです^^;
ゲームと言いますか、まぁ、フリーゲームにでもできればと考えてます。

人権擁護法案については、私の思いをご理解いただけたようで、 こちらとしても大変嬉しく思っています。
私の場合、何か言わなくてはならないのではないかと思ってしまう性格なために、 ……まぁ要するにおせっかいなんですが^^;
まぁ、結果それが良かったのか悪かったのか、もう少し長い目で見ていければと思います。
2008-06-04
久間知毅

 

10億の私財を寄付したお婆さんの名言

(前略)

これはすごい!
特に、

「私は人間の基礎づくりをしようとしているのです。人生の“結果”にはかかわりません」

これは名言。

(中略)


教育にしても、なんにしても、私はこういうものだと思います。
魚を欲する人には、 魚ではなく釣竿を与えるべきなのです。
しかし、釣竿よりも釣り針の作り方を教える方がいいのです。

勉強にしても、答えを欲する人には、答えではなく解き方を教えるべきなのです。
(これのせいで、おそらく結構ウザがられてると思いながらも)

力は有限です。一人ひとりを救うためには、あまりにも乏しい。

このお婆さんが、恵まれない1000人に寄付したとしても、一人当たり高々100万円です。
目先的に大きいお金かもしれませんが、100万円などで生活が向上しますか?
そんな一時的な幸福で、本当に人は救われますか?

結果、誰一人として救われない。

ですが、可能性を持つ子供なら。
時間を持つ子供なら。

その学習意欲を伸ばし、社会へ還元させれば、その社会によって救われることはあるはずです。

どちらがより、『救われる』確率が高いか。

考えるまでもないです。

 

人権擁護法案に反対するには?過激派に見るニセ科学の病理

(前略)

ええ……かなりの量ですね。 その数164となっております。 法案のみでも126あったりします。平均すると、 およそ150の法案等が両院で審議されていることになります。

えー、 この法案全てを網羅している人がいたら、私のところへ(ry

これだけの法案があるのですから、 ひとつの法案だけを論って言うのは、どうかと思います。なお、これらは全て国会図書館や衆議院のHP・法務省HP(一部) で公開されていますので、一般の方々でも容易に知ることが出来てしまうわけです。

そして、 「マスコミが報道しないから問題だ」という人もいますが、逆にお聞きします。 「マスコミが報道しないと、あなたは知ることができないのですか? 」と。

マスコミが唯一の情報源だというほうが、 危険だと思います。もしそうなら、一私企業であるマスコミが、いくらでも情報操作しまくれます。

情報は、 能動的に集めるもので、人から与えられるものではない」のです。マスコミが報道しないからといっても、 インターネットなど知る手段はいくらでもあります。それを怠って「私は知らない」と言っても、それは個人の怠惰に他なりません。

それに、マスコミが報道しないのは、 マスコミの問題であって、法案の問題ではないです。 もしマスコミが報道しないことが悪いことの基準ならば、いったい年にどれだけの悪法が国会を通過しているのでしょうね。(なお、 マスコミは産経を筆頭に報道しています)

 

彼はいろいろな事を言っているが、そのだいたいは、私が最後に引用した記事の、私がハイライト表示した部分の字句に集約されるのではないかと思う。

マスコミが報道しないと、あなたは知ることができないのですか?

これはかなり応用(適用)範囲の広い問いかけだと思われる。

#責任の帰属処理

いわれてみればもっともな気がする。

この問いに「はい、私はマスコミが唯一の情報源なのです。」と胸を張って言い切れるのは、何某かの強制力によってマスコミ以外の全ての情報源が遮断され、その遮断要因を自ら排除することができない者だけだろう。
そして、そんな人物の具体例はまず思いつかない。

 

前に小泉吉宏氏の漫画「シッタカブッタ」シリーズで読んだ一場面に、次のような件があった。

主人公であるシッタカブッタくんが、先生役?であるブッタ様と会話するシーンなのであるが (以下の引用は私の記憶に基づくものであり一字一句正確なではない可能性が高い)

シッタカブッタ「ブッタさまは、この世の中のことを、どうしてそんなによくお知りなのですか?」

ブッタ「それはわしが、この世の中のことを、 知ろうと思ったからだよ。」

 

ブッタ様も、久間くんも、根っこのところでは同じことを言っているわけだ。

問題は、知ろうと思う奴思わない奴がいるということである。


 

知ろうと思わない奴が絶えない理由(1)

知ろうと思わない奴は、なにゆえに知ろうと思わないのかというと、それはもちろん怠惰だからという理由もあるだろうが、では世の中の人全員がつねに勤勉(非怠惰)であったならば、知ろうと思わない奴はこの世から消滅するかというと、そうはならんのではないかと思う。

なんでかって?

だって、人間の生は有限だもの。そして、一人一人が出力できる単位時間当たりのエネルギーもまた有限だもの。

この世のすべての分野について注意を払い続ける(意識を向け続ける)という芸当は、人間にはできないようになっているのだ。

自らが知覚するところの様々な情報のうち、何に関心を奪われるか、何に心を奪われるかは、これは人によって違うんだ(より客観的な言い方をすれば、完全に一緒ではないんだ。)。

そして、自らが関心を向けなかった方面に関しては、その人は知ろうと思わなかった奴、知ろうとしなかった奴になってしまう。

えっ? じゃあすべての分野に関心を向けるという作業を意識的に行えば、その作業を行うことを厭わなければ、前命題は否定できるんじゃないかって?

いや、そうはならんのよ。

だって、いつの時代も、新しい分野を見いだす人がいるからねぇ。

だいたい何でもそうだと思うけど、ある一つの事象をずっと見続けていると、今まで見ていたものとは違うものが見えてくるということが、よくあるわけ。

で、そうやって「いままでまだ誰も見たことのない景色」を見てしまった人が(脳内に構築してしまった人が)、その景色を言語化して人々の前に公開すれば、たちまちのうちに、その公開した人以外の人は、 その公開した人が知ろうとしたことについて、少なくとも今までは知ろうと思わなかった奴になってしまうわけだからね。

他にもいろんな説明ができると思うけど省略。まあ考えてみてよ。


 

知ろうと思わない奴が絶えない理由(2)
え? 二階に上がりたいのにハシゴが外されちゃったって? 
ハシゴがないと、二階に行くことができないのですか?

 

怠惰の程度の問題

ある人権問題に関する講演を拝聴したときの話である。たしかこんな話であった。

ある学校に車椅子の子が通っていて、その子は授業のたびに、階段を上り下りするためにものすごい労力を強いらねばならず(他者の助けが必要なことは言うまでもない)、エレベータの設置をお上に願い出たのだが、お上の回答はNoだった。
お上曰く、「(高々)一人の生徒のために何百万円も公費を支出するわけにはいかない。」

その講演者は次のように言った。

もしこの論理がまかり通るなら、「今後、これらの三階建ての校舎にある階段を全部撤去する。代わりに鉄の棒を設置するから、みんなはこれを使って上り下りするように。」というお達しがもしくだった場合に、私たちは素直に従わねばならぬと。

さて、考えてみよう。

私はいましがた、「マスコミが報道しないと、あなたは知ることができないのですか? 」なる文言を引き合いに出して、さらにこれの応用(適用)範囲の広いことに言及し、
「マスコミが意図的に報道しないことが仮にあったとしても、マスコミによる以外の情報入手手段が(一つでも)存在しているのであれば、私たちはマスコミに文句を言ってはならない
「私たちが或る目的を達成したい場合、その達成のための手段がすべて封鎖されているのでなければ、私たちは、その眼前に呈されている、代表的な達成のための手段に対して、文句を言ってはいけない
ということを仄めかした。

これは妥当なのだろうか?

私は妥当だとは思わない。

しかし、これを妥当だと思わないことは、最初の問い「マスコミが報道しないと、あなたは知ることができないのですか?」に直接的に誘導された一連の命題を支持したところの信条に違背するのではないか?

 

簡単な情報入手手段(ぐぐる等)があるにもかかわらず、それすらも怠るから怠惰なのか。

情報入手手段が簡単でなければ、それは怠惰ではないのか。

どういうものなら簡単でどういうものなら簡単でないのか。

 

例えば、「ぐぐる時間さえも無い」という人に対してはなんと言ってあげられる?

1件1件に関してぐぐる労力は少なくとも、調べなくちゃいけないことが千件も万件もあったならば、1件や2件しかなかったならば簡単であったところの調査行為が、とたんに難易度の高いものになってしまう。
何人も1件調べるのにゼロ秒でぐぐることはできないのだから、これは必然である。

ぐぐる時間すらないほどに忙しいけれどお金は十分にあるという人が、バイトを雇って『○○について調べて明日までに俺にA41枚の書類プラス30分程度の口頭説明で俺に分かるようにレポートしてくれ』と指示することは、怠惰には該当しないのか?

そもそもネットというものと全く無縁な層(比較的高齢の層)にとっては、ぐぐること自体が大変な高いハードルだと思うがこれに関してはどのように対処するのだ?

 

 

調査行為における辞書の神格性

 

辞書が神様である理由

辞書は辞書でないものよりも正確な情報である蓋然性が高い。
何が正しいのか分からないこの世の中において、「辞書の言うことは正しい」と思うことは、それほど間違ってはいない。

なんでそう思うかというと、(メモ魔ならぬ)辞書引き魔が無能だった例を私は寡聞にして知らないから。

なぜ辞書は辞書でないものよりも信頼が置けると言えるのか

出版に至るまでに多数の専門家が内容の妥当性をチェックしているから

それは多数決原理ですか?

そうですね。

多数決原理は衆愚政治を生み出す理由になることがありますが、この場合はならないとなぜ言えるのですか?

→ 構成員全員がプロだから。
プロって言うのは、その判断すべき対象に関して意識的に何度も何度も、長年注意を払ってきている人間であるということ。

つまり、 「判断すべき対象に関して意識的に何度も何度も長期に亘り注意を払い、思慮を巡らし、それを言語化し、ある時は検証して確かめ・・というようなループを繰り返し続けた人間」ばかりの意見を集積して、多数決原理に掛けて形式的に導出された結論というものこそが、理論上この世で最も正しい結論と言ってよいということですね。

→ そういうことになるかな。

 

Q)じゃあさ、さらに横道にそれるけど、いま僕たちは、以上を以てプロを定義し得たよね。

誰がプロで誰がプロじゃないのか論争っつーのがさ、古今東西見られてきたと思うんだけど、この長年の論争に私たち終止符を打ったんじゃない?

A)いや、残念ながらそうはいかないんだ。
というのはね、プロっていうのはね、まあ僕たち、この金まみれの世の中を生きているとさ、ついつい「それで金を稼いでいるかどうか」なーんて判断基準に、すぐに飛びついちゃいがちだけど、まあそういう風に見る見方もあるけれども、それだけじゃないんだよね。

僕たちはさ、普段かさ、平生からさ、「ちょっと目上のお兄さん」から物事を教わることって、ものすごく多くない?

Q)そういえば・・・!

A)例えば僕たちは、小学校の頃、足し算引き算を習ったよね。・・・習ったよね?(笑)
その教えてくれた先生はさ、算数の専門家だった? 「学校で課された算数の宿題で分からないことがあったとき、一つ二つ年上のお兄さんお姉さんに訊いて、首尾よく問題が解決した」なんて経験、案外多くない?

Q)たしかに。

A)そう。ぼくたちに算数を教えてくれた人たちは、通常、算数の専門家ではない。
世の中的に算数の専門家として認められているのは、例えば、指導要領の算数の項目に何を書くかを検討する人たちとかは、たぶん専門家と言っていいだろう。
でも、そういう「一番上の階層の専門家」って言うのは、ものすごく人数が少ない。なぜかっていうと、「一番上の階層の専門家」になるには、「一番上から二番目の階層の専門家」にならなくちゃいけなくて、「一番上から二番目の階層の専門家」になるには、「一番上から三番目の階層の専門家」にならなくちゃいけなくて、・・・
つまり要するに、いきなりこの途中の過程をすっ飛ばして「一番上の階層の専門家」になることは、基本的にはできないわけ。
その理由はさっきも言ったね。思いだそう。プロの定義。プロになるには、長い時間それを凝視していないといけないんだ。

ここまではいいかな。要するに、プロって言うのは相対的な概念だということ。そして実を言えばこの相対性は、僕が一等最初に少々皮肉めかして言及したところのプロの定義「それで金を稼いでいるかどうか」についても当てはまることなんだ。

で、さらに言うとこの「プロって言うのは相対的な概念である」ということそのものが、衆愚政治の原因(遠因)であると言えるかもしれないんだ。

Q)?

A)医療や、公衆衛生が未整備な国における人口ピラミッド(そうですね、知的多段階層社会構造、とでも呼びますか。ややネーミングセンスに欠けるが)みたいなものを思い浮かべてもらえればいいんだけど、・・・思い浮かべた?

Q)思い浮かべた(^^)

A)このピラミッドではさ、
10代の人は20代の人を「ちょっと目上のお兄ちゃんお姉ちゃん」として見ていて、
20代の人は30代の人を「ちょっと目上のお兄ちゃんお姉ちゃん」として見ていて、
30代の人は40代の人を「ちょっと目上のお兄ちゃんお姉ちゃん」として見ていて、
40代の人は50代の人を「ちょっと目上のお兄ちゃんお姉ちゃん」として見ていて、
50代の人は60代の人を「ちょっと目上のお兄ちゃんお姉ちゃん」として見ていて、
60代の人は70代の人を「ちょっと目上のお兄ちゃんお姉ちゃん」として見ていて、
70代の人は80代の人を「ちょっと目上のお兄ちゃんお姉ちゃん」として見ていて、
80代の人は90代の人を「ちょっと目上のお兄ちゃんお姉ちゃん」として見ていて、
90代の人は100代の人を「ちょっと目上のお兄ちゃんお姉ちゃん」として見ていて、
100代の人は110代の人を「ちょっと目上のお兄ちゃんお姉ちゃん」として見ていて、
110代の人は120代の人を「ちょっと目上のお兄ちゃんお姉ちゃん」として
見ているのね(後ろのほうは怪しいが)。

そうすると、どういうことが起こる?

Q)・・・120代の人が言った教えが、伝言ゲーム的に10代まで伝わる?

A)そう。伝言ゲーム。単に固定的な知識をバトンのごとく渡すわけではないから、伝授ゲームと言ったほうが良いかもしれない。
いや、伝授でもまだダメかな。低位の層に属する人間が、高位の層に属する人間の「気配」の変種のごときものを感じ取ってそれを体得するよう努める、とでも言うか。

まあそれはどうでもいい(ここではそれほど問題視しない)んだけど、気にしてほしいことはね、もしね、120代の人がね、ウソを言ったらどうなるかってこと。

Q)ウソの知識が広まりまくる・・・

A)そう。単純に考えればそうやね。上位の階層に属する人間であればあるほど、その人間が公然と吐く言葉の影響力ってのはデカいわけ。

Q)あ、でも・・・

A)でも?

Q)どの階層にいる人たちも、みんなそれぞれ、自分のレベルに応じて、自分なりに、一生懸命考えているわけだよね。

A)そう。少なくともいまはそう仮定してる。

Q)だとすると、仮に120代の人がウソを言ったとしても、途中でウソはバレるんじゃない?

A)そう。一人一人がちゃんと自分なりに一生懸命考えていて、かつ、120代の層の人間だけが意図的にウソの情報(ウソの情報というのは、自分自身が真実であると確信しない情報)を世の中に放流したという仮定のもとでは、その他一切の独立的要因が関与してこないならば、110代以下のすべての人間において、「年齢が高いほどそのウソを見破れる確率が高い」「自分なりに一生懸命考えているその一生懸命の度合が強ければ強いほどウソを見破れる確率が高い」ということは、言えそうな気がするよね。なんかこう、直感的に。

Q)う?ん・・・。まあ、そうなん・・・かな。

A)(笑)。どちらかというとこれは、とりあえず考え始めるための出発点なんだ。足場があるとそこからいろんな方向に修正していけるからね。

でね、たぶんこの手の仮定と仮説からはほんとうにいろんな、多種多様な議論が可能だと思ってるんだけど、ここではそのうちの一つに絞って話をするよ。あんまりあっちゃこっちゃに飛んでも焦点がぼやけるからね。一応この話、発端が何か、解決せんとしている問題は何か、というところを常に意識しながら聴いていてもらえるとありがたいな。OK?

Q)OKです。

 

ニセ科学の流行と仮想現実の流行は、原因を共有している

 

さてここで、やや唐突だが、似非科学に関する例を見てみよう。

 

ニセ科学批判する限り、 歴史修正主義は批判せねばならない

ところが「ニセ科学」は断言してくれます。
『マイナスは良いといったら良いし、プラスは悪いといったら悪いのです。
また、ゲームをし過ぎるとなぜ良くないのかといえば、脳が壊れるからです。
ありがとうは、水がきれいな結晶を作るから、良い言葉なのです。』
このように、「ニセ科学」は実に小気味よく、物事に白黒を付けてくれます。この思い切りの良さは、 本当の科学には決して期待できないものです。
しかし、パブリックイメージとしての科学は、むしろ、こちらなのかもしれません。『科学とは、様々な問題に対して、 曖昧さなく白黒はっきりつけるもの』科学にはそういうイメージが浸透しているのではないでしょうか。
そうだとすると、「ニセ科学」 は科学よりも科学らしく見えているのかもしれません。

(筆者注:元々は阪大の菊池氏の言葉のようである)

 

ほんものの科学よりも科学らしい」っていうのがミソやね。

知的多段階層社会構造において各階層所属者が一階層下の者に啓蒙を施すことによって、全体として衆愚政治の様相を呈する、というおおざっぱな予想があたりそうで怖い。

以前、僕はリアルで、「庶民は科学が好きなんじゃないんだ。科学っぽいものが好きなんだ。」というのを聴いたのですが、まさにこれですね。

科学っぽければ科学じゃなくてもいい、という態度。

エセ物でも、本物までとはいかないけれど、かなりの部分、自分の欲求をみたしてくれる

そういうことが、けっこう普遍的にあるわけね。

へんな話だけど、一般庶民の間違ったイメージのほうを、 ほんらいは訂正していかんとあかんねやけど、こともあろうか、なぜかなぜか、 その間違っているイメージという期待に応える奴らがおるんやな (そこでは少なくとも、一時的にはwin-winな取引が成立しているのだ)。
「ほんもの」よりも「っぽいもの」(←往々にしてファンタスティック)のほうを好む無知なる住民の、期待に応えてあげますよという不届き者がおるわけだ(←共犯関係)。

これが所謂 「専門家が衆愚の空気を読む」っちゅーやっちゃ。

 

エセ物、のところを他のいろいろなものに置き換えてみれば分かると思うけどね。

情事とか。ビールとか。(あ、このたとえ自体のソースは、クローズアップ現代に出演していた岡田斗司夫の言葉だったかと記憶しています。)

だからこんにちのエセ科学の蔓延の様態というのはまさに実は、こういうところからも説明することができるんだよね。

 庶民がバカだからエセ科学に騙されるのだ、

 庶民に科学リテラシーがないからエセ科学に騙されるのだ、

 なるほど、それも一理あるかもしれぬ。

 でも、全部じゃないと思うぜ。

 むしろ、特に今日、ゲームであるとかネットであるとかなどの、一昔前に流行りましたけれどもいわゆる「仮想現実」というやつですね、旧来ならば現実において解消していたところの欲求を、ヴァーチャルの中で解消する、という風習が定着してきたことも、こんにちのニセ科学の蔓延ぶりの一つの原因になっているのではないかと、このように思うわけである。

ビールを買って飲むと高いから今日はセカンドライフ内でビールを飲んで擬似的に満足感を得よう」 という風習が広まることはそのまま、
ほんものの科学をちゃんと勉強して分かるのってむずいから、 今日は、サルにでも分かるらしい、 科学っぽいもので擬似的に満足しよう」という風習が広まることと、 根は一緒であるように思うのだ。

 

 

中間結論&感想

はい、結局、当初の問い「旧帝大のレベルはいかほどか」に関する結論はでませんでしたね。

 

ほんとうのところを言えば、以上のように書いたことに加えて、

何を面倒だと思うか

とか

感性のレベルと悟性のレベル

と言ったタイトルから書きつづられるところの小命題を消化しつつ、

マスコミが報道しないと、あなたは知ることができないのですか?」というやや間接的な諫言が正当性を持ちうる範囲に関する検討を、書くつもりだったのですが・・・・
次回以降、 深めていけたらいいなあと思っています。

 

それではまたみなさんごきげんよう(何

 

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