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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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セカンドオピニオン、モンスターペアレント、裁判員制度。

これらの3つに共通する特徴、それは、庶民が専門家を信用しなくなった(或いは信用しなくなったと見せかけたい)、ということではないだろうか。

あと、警官と教師の不祥事に関する連日の報道も。


例えば、いま、秋葉原などでナイフを所持していると理由を訊かれるであろう。

そこで「これは護身用です。」と答えたとして、警官は「そうか。じゃあいい。」と言ってそれで終わりにしてくれるだろうか。

まずそうはしてくれないだろう。

「逆に刺されたらどうするのか?」だとか「危なくなったら私らを呼べば済む話だ。」とか、
いろいろ理屈をごねられて、結局は官憲の意図する方向へもっていかれる。


しかし一方、アメリカでは護身用として、拳銃を携帯する事が許されている。

拳銃で許されるくらいだから、ナイフだってきっとOKだろう。


私は別に、ナイフを日常的に所持している人間がたくさん居る町がいい町だとは思わないし、日本がアメリカ並みに治安が悪くなることを望んでいるわけでもない。

しかし、最初に述べたような、近年の報道に見られる特徴、すなわち、「専門家は信用できない。われわれシロートである庶民も、シロートなりに、専門家並みにいろいろ考えて、行動することが求められているのだ。」的な空気が広がっていくことは、方向性としては、「じゃったら武器による護身も認めろや。」的方向に向かっていくことを妨げないと思う。

憲法9条改正案、みたいな話が出てくること自体もきっとその流れの一つだろう。

「軍事的専門家であるところのアメリカに庇護されていれば、何も問題ないのだから、日本は武装する必要はない。」という論理が、おそらく数十年前まではまかり通っていたのだろう。


そういう意味では、いまという時は、歴史的に見たら、結構なターニングポイントなんだと思う。

専門家に守ってもらうのか、市民が立ち上がるのか、というこの2つの価値観が対立して、ぎょぎょぎょってなってる状態がここ数年の状態ではないのか。

私はいまここで「市民」と言ったけれど、「庶民」と「市民」はそういう意味では違うのだと思う。

いざとなれば専門家たちに対してさえ裁きをくだせるのが「市民」、いかなるときもお上に従順であるのが「庶民」だとすれば、いままさにこの「庶民」と「市民」の比率がグググと変わっているときなのだと思う。

企業内における男女同権を目指すにおいてなにより重要とされるのが男女「比率」であることからも類推されるように、「比率」というのは非常に重要である。

もし、本国において、たとえばだよ、「市民」の数が「庶民」の数を上回るようになったとしたら、これはこれで凄いことが起こるような気がする。なにしろ未曾有の事態だから。

でも、そんなことはそう簡単には起こらないだろうな、とも思う。

どうなんだろうね。



いろいろファクターはある。

例えば現行の教育制度(特に義務教育)、これは、「庶民」を作る制度であるから、これが今まで通り機能する限り、国民全体に占める「庶民」の割合は、減るにしても限界があるように思う。
「小粒の人間生産工場」であるところの現行教育制度は、国家に従順な労働者であるところの一定数の庶民を確保ならしめることを担保するからだ。

一方で、たとえばインターネットというものがある。
これにまつわる種々の技術は、これまで「知識を遮断された存在」であったところの庶民を解放するから、これは「市民」の割合増加に寄与するだろう。

あとは外圧かな。外国から強権的に「お前らの国、市民が少なすぎる。もっと市民を生産しろ。」って迫られれば、そういう方向に舵取りがなされるだろう。


さてどうなるのだろうね。

私は、(少なくとも今後5年くらいは)増えも減りもしない気がする。

理由はいろいろあるけど、一つは、庶民であることを「選ぶ」市民というのが出てくる気がするから。
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