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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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2008-11-20 もうひとつの解  より
ええっと、いまさらですが“今年のテーマ”を思い出した。で、また“毎度、身も蓋もない奴”とか言われるのを覚悟で書いてみる・・


(1)「時給の仕事」でもって一生を食べていくのは無理である。

(2)ところが現在の日本では、この「時給の仕事」をしている「生計の主な担い手」が1000万人近くいる。

(3)この1000万人を、正社員にするのは「企業が国際的な競争力を維持するためには」不可能である(らしい)。


(1)と(2)はこちらで↓ちきりんが計算した結果です。http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080802


(3)はちきりん的には本当かどうか怪しいと思ってます。日本の大企業で働いたことのある多くの人と同様に「正社員のもらいすぎ給与を守るための詭弁」だと思うし、いずれにせよ「国際競争力」なんてないのでは?とも。

が、何度も書いているように(3)は「有権者の真実」です。なので、政治的には(3)も真実です。


さて、(1)(2)(3)がすべて正しいなら、その帰結はどういうことなのか?

上記の1000万人は一生を年収200万円で生きていく必要があります。つまり今まで私たち日本人が想定していたような“中流ライフ”を送るのは不可能。ではそれはどんな人生になるのでしょう?


人生において日々の生活資金以外に大きなお金が必要になるのは以下の3つです。

(a)家を買う。(or 一生分の賃貸料を払う。)

(b)子供を産み育てる。

(c)老後を自分のお金で過ごす。


フィナンシャルプランナー諷に言えば、「住宅資金」「教育資金」「老後資金」が必要になる、ってこと、です。


でも、この1000万人(生計の主な担い手でありながら時給の仕事にしか就けていない人)は、この3つとも調達できません。彼らが調達できるのは、日々の最低限の生活をするための「生活資金」だけ、だからです。


で、どうなるのか?

(a)住宅資金が払えない→病気けがや失業などで簡単にホームレス化する。

(b)教育資金が払えない→少子化が回復せず定着する。

(c)老後資金が払えない→老人の生活保護世帯が急増する。


以上。

って感じです。


余りにも明らか。

これが「貧困問題」の最もシンプルな帰結です。


★★★

で、どーすんのさ?ということなのですが、今アメリカに来ていて思うのは「だから経済を活性化させて全体に底上げすれば貧しい人にもお金が回ってくる」というのは、やっぱり嘘だよな、と思います。

大金持ちがいくらいても、下々までお金なんて回ってきません。アメリカを見ていればそれはよくわかるよね。


ちきりんはだからといって「経済の活性化」なり「底上げ」が不要だという気はありません。それはそれで大事なことです。規制は少なくし、中央集権制度をぶっ壊し、自由で多様性に富んだ環境を作るのは大事だと思う。「先端が世界と互角に戦うために」はね。

が、それは「貧困問題の解決」には全くつながらない、と最近思うようになりました。それはそれ、これはこれ、です。


そして、じゃあどうすんのさ?と考えた時、理想的なすばらしい方法論だけではなく、別のアプローチも必要なんじゃないかな、と。

理想的なすばらしい方法論というのは、

・国の無駄をなくし、一方で国民負担率をもっと増やし、福祉を充実させる。

・教育レベルもあげて国民の生産性をあげる。

・既得権益者のお金をとりあげて社会に還元させる。

みたいなことがすべて一緒に実現する、という姿です。

それはそーなんだけど、無理だよね、と。最近そう思うです。


じゃあ、別のアプローチって何さ?と。それは、名付けて「集積エリア解」


こっちじゃない?

と思い始めた。


それなにさって?



「貧困でも暮らしていける場所と仕組みを作る」ってことです。

たとえば住宅問題。日本の特徴は「生活インフラも“一億総中流時代のまま”とどまっている」ことだと思うんです。

たとえば先進国の首都って家賃の上下差は100から200倍くらいでしょ。下が3万円、上が300〜600万円。NYでもロンドンでも東京でもその格差はあまり変らない。

が、問題は格安地域の層の厚さなんじゃないかと思う。東京で一番多い家賃は10万前後から20万円のアパートだと思うけど、多少の上下はあっても、これがバスや地下鉄で都心から1時間離れたくらいではたいして下がらない。

同じ広さで地域の平均家賃が半額、となると東京からだと静岡とか山梨くらいまで行く必要があるのでは?(特殊なボロ家の話をしてるわけではないので“平均”と書いてます。)


でも海外だと“(移民を含む)低所得者層が集まって住む格安エリア”ってのが都市の周辺、1時間以内で中心街の仕事に通うことができるあたりに結構たくさんあるよね。てか、バカ高いのは都心の超高級エリア(観光客が歩いてるエリア)と、後は特定の高級住宅街地域だけ、って感じじゃないかと。


そういうところは、“スラム”というより“格安生活エリア”って感じで、家賃も安いが、加えて“家賃の週払い”や、部屋の一部を「又貸し」することによる「共有」が可能だったりする。同居人を入れて一部の家賃を払ってもらうわけです。その相手も不動産屋などを通さず、フリーペーパーやネット、張り紙で集めるので手数料もかからない。こうすると一人あたりの住居負担はかなり軽減できる。


一方の東京。大久保あたりとか確かに3万円の物件はなくはないのだが、その数は極めて限られてます。で、じゃあ10万円の部屋をとなると、最初に借りるためにはなんだかんだで50万円くらいが必要。週払いもないし、共有や又貸しも禁止されていることが多い。

これは結構な田舎にいっても同じで、日本というのは「最低生活費が非常に高い国だ」と思うのです。派遣、日雇い的な仕事が身近にある都心に通える位置に家賃3万円のアパートがたくさんあり、敷金や礼金も要らずに3万円ぽっきりあればアパートが借りられ、しかも1万円しかないならとりあえず1週間だけ借りるとか、友達と一緒に借りられるという状況なら、時給の仕事の人でもアパートを維持することが現在よりはかなり容易くなるはずじゃないかと。


その上、ここが大事なところなのですが、そういう格安アパートが大量にあるエリアが一定面積以上になれば、“そういうエリアの商売物価”とか“エリア特化型ビジネス”というものができてくるんじゃないかと。

たとえば、「5時間以内に賞味期限が切れる弁当と総菜だけを売るコンビニ」とか。(←近隣エリアから店長が自転車で毎日持ち込む!)ミニマムアクセス米しか使わないが、ご飯は食べ放題の定食屋とか。不要品引き取りで集めた衣類と家電と家具しか置いてない洋服屋や家具・家電屋とか。電車の置き忘れ雑誌だけを集めた本屋とか。


つまり時給の仕事=年収額面200万円くらいでも、とりあえずホームレスにはならなくてすむ、いや日々それなりに楽しく暮らせる、というエリアができるんじゃないか、と。




あ〜。頭痛い。こんなこと書いちゃって・・

そーとー挑戦的なことを言っているのは理解しており、反論、違和感等々皆様おありになると思います。「日本にもスラムを作れと言っているのか?」という感じに聞こえるのでしょうね。敢えていえば「そーです」と答えましょう。スラムと呼ぶ必要は全然ないと思うけど。日本は「貧乏でも治安の(そこそこ)いいエリア」が成り立つ希有な国だと思ってるし。


「地価を下げろと言っているのか?」って。そうね。下げるところと上げるところを分けて、どっちももっと極端に振った方がいいのでは?と思っています。東京全体では地価はあがってもいいと思う。でも、特定の地域は今よりドドンと下がるイメージです。(実際にはドドンと下がるのは東京だけでなく主には周辺県エリアということになるので、道州制にでもならないと難しいかもしれませんが。)

何が言いたいかといえば、つまり、収入格差が既に「所与の条件」であるなら、地価にだって生活費にだってもっと格差がないとつらいでしょ、ってことなんです。


就業人口6500万人のうち1000万人が年収200万円で暮らさねばならないなら、それでも生活や人生が成り立つ“市場”“地域”が必要であろう、と。面積の5分の1くらいはそうなるってことでないとバランスとれないじゃんと。それはしかも、仕事のない田舎ではなく、都会に必要でしょ、と。

そーいっております。


無謀?


いや賛成だとか反対だとか提案してるとかそういう話ではなく、方向としてもうそっちに向かうんじゃないかなと思うんだよね。一定数そういう人たちが存在し続ければ、そういう人向けの市場がでてくるのは必然だろうと。で、実はもっといろいろアイデアがふくらんではいるのですが、ちょい長くなりますので、それは明日書くことにいたします。


んじゃ。




(あ〜こわっ)


> で、どーすんのさ?ということなのですが、今アメリカに来ていて思うのは「だから経済を活性化させて全体に底上げすれば貧しい人にもお金が回ってくる」というのは、やっぱり嘘だよな、と思います。

その推測はたぶん正しくて、いやその、正しいっていうのは、今のアメリカにおいてのみ正しいというのではなくて、人類の歴史をたどってみても、だいたい正しいわけでね。
悲しいことやけど。

貧しい人を、その貧しさから脱却させるために生産性を向上させたのに、なぜか、その向上した生産性によって生まれた富というのが、そのもともとの目的に使われることなく、富裕層のポンポンに入るという不思議な魔術。
この魔術の謎を解き明かしたいね(笑)。



> たとえば、「5時間以内に賞味期限が切れる弁当と総菜だけを売るコンビニ」とか。(←近隣エリアから店長が自転車で毎日持ち込む!)ミニマムアクセス米しか使わないが、ご飯は食べ放題の定食屋とか。不要品引き取りで集めた衣類と家電と家具しか置いてない洋服屋や家具・家電屋とか。電車の置き忘れ雑誌だけを集めた本屋とか。

これは確かに、できていても不思議ではない気がするね。
にもかかわらず「できていない」のはなんでだろう。
いや、きっと、構造的にはできているんだけど、それが、表通りを大手を振って歩くサービスとしては顕在化していないだけ、って言う気はするね。

こういうサービスに表通りを歩かせると、すぐに日本では「貧困を食い物にしている」みたいな突っ込みがマスコミサイドから入りまくるから、表通りに出てこれないんだと思う。
だから、この手の薄利多売を統括する大きめの企業、というのが、出てきにくいんだと思う。


> 収入格差が既に「所与の条件」であるなら、地価にだって生活費にだってもっと格差がないとつらいでしょ

それはその通りなのだが、収入格差を所与の条件にすべきではないのではないかという気がする。



> そーとー挑戦的なことを言っているのは理解しており、反論、違和感等々皆様おありになると思います。「日本にもスラムを作れと言っているのか?」という感じに聞こえるのでしょうね。

スラムという言葉は過激だけど、日本では一億層中流という言葉にも代表されるように、巨視的には中流が底辺に居座っており(だから、日本には貧困は無いとかのたまう政治家も出てくるのだろう)、だからスラムという言葉が当てはまりにくい気がするのだろう。


> (1)「時給の仕事」でもって一生を食べていくのは無理である。
> (2)ところが現在の日本では、この「時給の仕事」をしている「生計の主な担い手」が1000万人近くいる。
> (3)この1000万人を、正社員にするのは「企業が国際的な競争力を維持するためには」不可能である(らしい)。

結論から言うと、企業が国際競争力なんぞを最優先するから、(2)が成立してしまうわけで。
だからこれは「核戦争の可能性」みたいな話と似ているんだよね。
相手が競争してくるから、こちらも競争せざるを得ない、みたいな。

これはだから市場原理の一つの在り方であるとは思うけれど、そこにはきっとメリットもデメリットもあって、一つのメリットというのは、「理論上、資源が最も効率よく使用される」ということと(たしか)、顧客にとってうれしいと思われるサービスが効率的に生産・発明され続ける、ということかな。

だからこういう時には、「まあまあ、そうカッカせんと。あんたのとこの国も大変でっしゃろに。ここは一つ、お互いに国防費を減らしてやね…」という展開に、あらかじめの対話を通じてもっていっておくのが、最適・最善であると思われるのですが、まあなかなか難しいようですね(相手が裏切るかもしれんから)。




「下向き」の想像力について より
頭がいい人が、「上」に向かって想像力を働かせて、それまで誰も考えなかったようなサービスを作る方向と、 同じく頭のいい人が、「世の中には想像を絶する馬鹿がいる」という信念の下に、 カモをコントロールするやり方を模索する方向と、想像力には「上」と「下」みたいな方向性がある。

上向きの想像力が生み出すプロダクトはすばらしいけれど、世の中を回しているのは、 むしろ下向きの想像力なんだと思う。

振り込め詐欺のこと
振り込め詐欺の人達が使う手口はあまりにもあからさまで、どうしてあんなものに大勢が引っかかるのか 不思議でしょうがないけれど、詐欺の秘訣というものは、「たくさんの人に電話をかける」、 それが全てなんだという。

常識的な人達は、たぶん「こんな話に騙される人が世の中にいる」という、 そのこと自体を信じられない。信じられないから、あんなことをやろうなんて思わない。

振り込め詐欺にかかわる人達は、たぶん「世の中には絶対にカモがいる」と考えていて、 1 日に数千人とか、「カモ」に当たるまで電話をかける。

振り込め詐欺の手口というのは、あたかも会社勤めの人と同じく、すごく「勤勉」にやらないと 成功しないらしい。その勤勉さを支えているものこそが、あの人達の「下向きの想像力」なんだと思う。

「金払いのいい阿呆」が社会を回す
「パチンコ業界が危ない」なんて特集で取材されてたお客さんは、年間40万円ぐらい借金して、 たぶん同じぐらいの金額を、パチンコ屋さんで消費していた。今は消費者金融が厳しくなって、 だからパチンコ業界に流れ込むお金も減っているのだと。

借金してまでパチンコにお金をつぎ込むような熱狂的なユーザーは、自分が遊び場にしている ネットサービス界隈にはいない。

今使っているサービスのほとんどは無料のものだし、有料ユーザーとしてお金を支払っているサービスにしても、 月にせいぜい500円だから、パチンコ屋さんとは比べるべくも無い。

パチンコの面白さは自分には分らない。借金してまでパチンコ屋さんにお金を貢ぐ人達は、 だから自分なんかから見ると、「金払いのいい阿呆」に見える。

理解は出来ないけれど、30兆円産業なんて言われるあの業界を回しているのは間違いなくあの人達だし、 すばらしい理念と技術をぶち上げたIT 企業が軒並み失速していく一方で、 技術であったり、顧客の規模なんかでははるかに劣る「出会い系サイト」は、 そうした「金払いのいい阿呆」の支持を得て、確実に業績を伸ばしてる。

「金払いのいい阿呆」は行動する。「バナナで痩せる」なんて声を聞いたら、気前よくバナナに殺到するし、 メディアが推薦する、雰囲気のいい候補者がいたら、気前よく自分の時間を費やして、選挙会場に足を運ぶ。

上向きの想像力は響かない
ネット界隈の、ブックマークがたくさんついているような、冷静な、「頭のいい」意見は、 「金払いのいい阿呆」の心には、全くといっていいほど響かない。

たぶん政治家の人たちは、「俺は頭がいい」なんて、世の中に距離を置く意見を持つ人を、 顧客として想定していない。政治家が大事にするのは、号令かけたら集まって、 鉢巻きを巻いて、スローガンを受け入れて、腕を振り上げて叫ぶ人達であって、 政策を「分析」する人間なんて、そもそも求めていない。

社会には、「祭りを見る人」と「祭りに参加する人」とがいて、祭りに参加する人の中に、 さらに「御輿を担ぐ人」がいる。

パチンコ業界を繁栄に導いて、IT 企業としての出会い系サイトを繁盛させて、 やせるためにバナナを買って、選挙があれば素直に投票場に行くような、お金を払ったり、行動したり、 自らのリソースを支払うことに気前のいい、「御輿を担ぐ人」達こそが、社会を回す。

google だとか「はてな」だとか、世界を相手に巨大なサービスを展開する企業は、 観光客として祭りにきて、焼きそば一つ買わないで、デジカメ片手に祭りを観察する人達のほうにばっかり 目を向けていて、祭りを本当に盛り上げる人達、祭りに参加して、祭りを作って、お金を払って、御輿を担ぐ、 そんな人達の方向を向いていない気がする。

google だって成功した企業であることには間違いないけれど、莫大な資本を投下して、 あれだけのインフラを構築した割には、得られたお金は決して多くない。なんだか効率悪く見える。

「現金工学」みたいな学問を見てみたい
ある状況によって生み出された人々の行動を、「お金」に変えるやりかたというのは、 まだ「学問」の形で体系化されていないんだろうか ?

経済学には、「マネタイズ」というカタカナ言葉があるみたいだけれど、 「こういう状況ならこんなやりかた」みたいな、方法論が体系化されていたり、 定説が作られていたりと行ったイメージとはちょっと違う印象。

自分は会社を経営しているわけでもないし、本業以外のビジネスを手がけたこともないけれど、 「ビジネスをしている人」だとか、「お金を稼ぐやりかた」を見るのが好き。

どんなやりかたが興味を引くのか、企業家の人と、自分みたいな外野と、 また全然違うんだろうけれど、このあたりは個人の感覚として、 「お金の匂い」のしてくるやりかたというのがたしかにある。

「コミュニティでタイアップ企画」とか、「ユーザーと商品開発」とか、「Win-Win」とか、嘘だと思う。 そんな理念はたしかにすばらしいけれど、やっぱりお金の匂いがしないから。

ネットサービスが収入にしている「広告モデル」なんかも、本来は正しい現金化手法が 見つかるまでの「つなぎ」でしかありえなくて、あれをゴールに据えるのは、どこかおかしい。

どんな「カモ」がいるのか。どんな「カモ」を想定するべきなのか
人を「金払いのいい阿呆」にする状況をどう作り出せばいいのか
「金払いのいい阿呆」になった人々を、どうやってコントロールするのがうまいやりかたなのか
「下向きの想像力」に優れたいろんな分野の人達が、お互いの知恵を持ち寄って、 こんなテーマを語りあったなら、きっとすごく面白いことになると思う。


まあ、金払いのいいアホが世の中を回している、という事実には、おおむね否定しないが(というが、否定しがたいが)、問題は、「アホはいつどきにおいても常にアホなのか、カシコはいつどきにおいても常にカシコなのか」っつーことだと思う。

こういう議論をしていると、しらずしらずのうちに、「少なくとも俺らはアホではない」という前提を敷いてしまいがちなわけであるが、そここそ吟味されないといけないわけで。
ここでいう「アホ」っていうのは、「自分がアホであると自覚していないアホ」のことを指しているわけですよね。基本ね。

なんというか、ミクロの集合体がどのようなマクロを形成するかっつー議論は、物理学でも経済学でも昔から真剣に論じられてきているわけで(んのわりにはなかなかスパッとした結論が出ていない分野でもある)、そこれそ、古くて新しい話題なわけです。

なにが言いたいかというと、振り込め詐欺にひっかかってる人と、バナナダイエットにひっかかっている人は、必ずしも重ならないわけですね。
人間っていうのは、ひとそれぞれ経験にばらつきがあるわけです。
よく学んで痛い目に遭うてもう十分に学習している領域もあれば、あんまり試行錯誤を繰り返していない領域もまたあるわけで。
んで、人はまさにこの、あんまり試行錯誤を繰り返していない領域においてこそ、その分野において経験を積んだ人の「カモ」と化するわけで。

すべての領域において十分に学習した人間というのはこの世にはいないわけで、そういう意味では、誰もが「金払いのいいアホ」になる可能性を秘めているわけですね。
いやむしろ、人々がみんな違うことをやってる社会、その「違う度」が高い社会においては、マクロな視点で見たときの、そのあんまり学習していない領域の全体に占める割合は、ことさら高くなると思うのよね。
いいですか、もっぺん繰り返すよ。
多様性に富む社会においては、マクロな視点で見たとき、アホが大半や」っちゅーこっちゃ。

バナナダイエットに騙される人というのは、ある方面においては、とてつもなく自らの力量を発揮している人なのかもしれないわけですね。
でも、バナナダイエットに騙された人たちを紹介するニュースを見る人というのは、そういう、騙された人の他の側面については情報が及ばないから、なんとなく「世の中には極度のバカが存在する」っていう虚像を思い描いてしまいやすいわけで。
その虚像を思い浮かべてしまう前提となっているのが、「バカはいつどきにおいてもバカである」という仮定やね。

ふむ。なるほど。


〔おまけ〕
この記事を書くに至った、さらに元の記事はこちら
http://anond.hatelabo.jp/20081123132348
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