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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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天才を賛美するということは、天才とは対極の位置にいる人たちをおとしめるということだ。
だから私は、そういう知的に恵まれない人たちをおとしめる習慣を身体化してしまわないためにも、天才をそれゆえに尊敬するべきではないと思うのである。

人はその知性ゆえに尊敬されるのではない。
人はその人が人であるがゆえに尊敬されるべきなのである。

私たちにとって最も難しい問題の一つに、生存上有利に働く能力に関して自身との差異がある者を、どうすれば、同胞として、何らの嫉妬も敵対心も哀れみの気持ちも持つことなく迎え入れることができるのか、ということがある。

私たちはしばしば、そういう能力において劣る者をいじめ、そういう能力において秀でる者にすり寄るかまたは敵対し、あるいは理解できないと無視する。
私はそれを不幸だと思う。
なぜならばそれは最終的には自己嫌悪、そして自己の能動的消滅を意味するからである(かなりはしょってるけど)。

もう一度言う。
天才を賛美するべきではない。
天才を賛美すると言うことは、天才でない人たちを、天才ほどには賛美しないということであるからである。
もちろん、自分たちを救助してくれた人に素朴にお礼を述べることくらいのことはしてもよろしいと思う。
でも、あまりに過剰だと逆に恩着せがましくなるし、相手に無用な気遣いを強要することにもなる(天才と言われている人たちの多くは、自分を天才だと思っていない。)。
言うなれば、「崇拝」はあまりよくないだろうということだ。
「ちょっと尊敬」くらいがちょうどいい。




ところでまた別のことを考えてしまった。

例えば私たちは、偉い人の銅像をつくったりする。
二宮尊徳の像とか。
それは要するには、「こんな風になれ」或いは「この人は神聖である」ということを表している。
銅像とは逆の意味を持つ象徴も存在する。
反逆者の公開処刑とか。
それは要するには、「こんな風にはなるなよ」或いは「この人は下賤である」ということを表している。

だから僕は、「見上げられることを生業とする人たち」(天皇など)が存在しはじめたのと同時期に、「見下されることを生業とする人たち」(穢多非人など)もまた出現したのではないかと思っている。
「見上げられることを生業とする人たち」と「見下されることを生業とする人たち」が象徴として存在することは、「何が良いことで何が悪いことかを社会に知らしめる」という効果をもたらす。
それは、政治や国家が機能し出すことができるための土台となる。
逆に言うと、この相対極する二つの象徴に多くの人々が同意してくれないと、政治や国家は始まることができないということである。

だが、ここで私は思う。
私たち平民、すなわち、見上げられることも見下されることも生業としない人たちは、見上げられることを生業とする人たちや見下されることを生業とする人たちと、仲良くやっていくことができるのだろうか、と。

私は基本的に難しいと思う。
だから基本的に、偉い人というのはみな、死んでから偉い人になる。

分からないけれど、例えば、二宮尊徳の像が置いてある学校に、実際に二宮尊徳が訪れることがあったとしたら、「ははーっ」ってなモンだろう。
私はそれがいけないと思うのである。
それは二宮尊徳に対して逆に失礼だと思うのである。
だってそれは、「私たちとあなたは別の世界の住人であるから、異なる待遇を受けるべきである」という主張を意味するのだから。
そしておそらく、二宮尊徳を崇拝する人たちは、二宮尊徳が仮に「あなたがたと同じ処遇を受けたい」と望んだとしても、それを認めないであろう。
二宮尊徳は、みずからが置かれている特殊な立場に、一瞬は酔いしれるかもしれないが、次の一瞬には、彼らと同じようには処遇してもらえないことに対するわびしさを抱くことになるか或いは独善と孤高をますます強めることになるかであろうと予想されるからである。

これが、死んでいれば、崇拝された側の人間に起こるであろうこのような数々の問題点は、緩和される。
「崇拝された二宮尊徳はきっとあの世で困っているだろう」などという推論はあまり意味をなさない。
あの世では、たぶんみな聖人のようになれるので、崇拝されたことによって良くない心が生じる、などということはないと考えられるからである。

「私たちとあなたは厳然と区別される」という主張は、しばしば、放っておくと「崇拝」または「差別」へとすぐに転がり落ちてしまう。

いかなる「ちょっと尊敬」も、その尊敬する理由を離れてしまうと、たちまちのうちに妄想的にインフレーションを起こしてそれは、理由無き「崇拝」へと変貌する。

最近で言えばノーベル賞受賞者がそうであろうか。
受賞理由をちゃんと理解して称揚している人たちよりも、ちゃんと理解しないで称揚している人たちのほうがたぶんずっと多いであろう。

そういう状況(「今年は日本人が3人」とか、五輪だったら「今年は日本が金メダル何個」みたいなことに優先的に関心が向く状況)が一番、崇拝につながりやすいのである(※2)。

天皇が好例であろう。
天皇が天皇である理由は、基本的には、天皇の父親が天皇だったから、でしかないわけで。
つまりは、「ちょっと尊敬」するに足る理由がなんであるのか、よく分からないから(※)、崇拝の対象になってしまいやすいわけで。
で、それで、政治の道具になってしまいやすい。

何度も言うけれど、政治をやる人というのは、要は、「称えられるべき人」と「さげすまれるべき人」のこの2つの象徴をいかに制御できるかにかかっているわけで。

※もしタイムマシンがあって、天皇が天皇である理由(ほんとうの初代天皇の誕生の経緯)を知ることができたとしたら、きっとそのとき、天皇は崇拝の対象ではなくなってしまっているだろうと私は予想する。


お経というのがある。
お坊さんが読み上げるやつね。
あれも、意味がよく分からないほうがありがたく感じられるのだそうである。
だから、法事のときに、集まった人がよく分かるようにと、あのお経の文章を現代語訳して、読み上げたとしたら、たぶん、お念仏から醸し出される尊さの半分以上は失われてしまうだろう。

意味がよく分からないものを読み上げたり、書き写したり、意味がよく分からない行動を取ってみたりすることは、学習行為の二本柱のうちの1つ、「写経」である(もう一つは、「解釈」ね。学習行為は「写経」的なものと「解釈」的なものに分類することができる。)。

なぜ人は「写経」することができるのだろう。
それは、写経することにどういう意味があるのか、「いま」は分からないけれど、未来の自分は今よりは分かっているはずだ、と信じることができるからではないのか。

なぜ人は「写経」することができるのだろう。
それは、写経する対象が、「なぜだかよく分からないけれどとりあえず尊いものである」と、感じることができるからではないのか。

そして実は、その「尊いと感じることができる」ということは、「その尊い理由がなぜだかよく分からない」ということに担保されているというこの事実。

要するに人は、自分のその時点での知性では把握しきれない対象に対して、畏怖し、嫌悪し、解明したがり、排除したがり、要するに固定した態度を取ることができず、なにより私たちはそれから注意をそらすことができない。

だから人々との注意関心を制御したければ事は簡単であって、この人々の性質を利用すれば良いだけの話である。

古代的社会・村落にあって、なぜ家族的・親族的な家々が、互いに結託して、でかいでかい国のようなものをつくり、大半の人々がみずからの労働力を、自分とその周りの親しい人たちに対してよりも国の維持と発展に対して行使することを選択するに至るのか。

それは要するには、上に示したような人々の性質を応用することによって、人々の集団的な振る舞いを、統計上変動を生じる程度にまで制御する能力を我がものにした一部の人たちが、ある時は脅し、またある時は「君たちの利益になるから」と言って、少しずつその総力を国に奉納することを習慣づけることに成功したからではないか。

そしてその法則はおそらく、当時もいまも、さして変わらないと私は思ふ。



※2 さらに言うと、こういう、根拠不明の「日本すげぇ」は、「なんかよう分からんけど日本は凄い」という信憑を生み、さらにはそれは「なんかよう分からんけど、その凄い日本というところに住んで、文化的啓発を受けているオレは凄い」という信憑を生む。
根拠無く「オレすげぇ」と思える能力は、新しいことに挑戦していくときに、非常に重要な能力であり、子どもなら誰しも持っているものであるが、大人になるにつれていろんな「オレもうだめだ」経験を積むので、そういう能力は衰えてゆくのだが、一方で、そういう大人は、子どもの頃持っていた、根拠無く自分を信じることができる能力をうらやましくも思うことがあって、そして、その、根拠不明の「日本すげぇ」は、そういう、標準的な大人が忘れてしまいがちな能力がよみがえってくるという錯覚を堪能できるからこそ、本邦において需要ありまくりなんではないか。
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