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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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入試は合格…独自の服装チェックで不合格 神奈川県立神田高校 10月28日22時24分配信 産経新聞 より

神奈川県教育委員会は28日、平塚市の県立神田高校(生徒数347人、渕野辰雄校長)の入学試験で、合格ラインを上回っていながら、入学願書受け付け時や試験日などの服装や態度などについて「入学後の指導が困難」と判断された受験者が不合格とされていた、と発表した。内部告発で明らかになった。県教委は「不適正だった」としており、県立校全校で過去3年間に同様のケースがなかったかも調査する。

 不合格とされたのは平成17、18、20年度の受験でそれぞれ6人、6人、10人の計22人。県教委の選考基準では、中学校の調査書や学力検査の結果、面接結果を点数化して組み合わせるなどして上位者を選ぶ。しかし、同校は独自に「胸ボタン外し」「髪染め」「つめが長い」「スカートが短い」「ズボン引きずり」などの点を独自にチェック、選考の判断としていた。

 同校では入学願書受け付け時や試験日に職員が受検者の「著しく目立つ点」に気付いた際、番号と中学校名、内容を記録。その際、受験生に告げないよう指示されていた。その上で校長らが不合格にするかどうかを決定していた。

あのですね。
まず第一に言わせてもらうと、これがもし就職試験だったら「全然問題ない」わけで(定量的採用基準を受験者に示す義務がないから)。
身だしなみがなってないから落として何が悪い?ってなもんだ。
だから、ここで県教委が「不適正だ」と指摘しているのは、学校が独自基準でやっていたことにあるわけで。
一つの会社で、社長が「こういう基準で採用しなさい」と言ったにもかかわらず、採用担当者がその社長の基準を遵守しなかったことが問題だと。
そういうご指摘なわけですね。

でもさ、はっきりいって、「ばからしい」。
繰り返すが、身だしなみがなってないから落として何が悪い?
今回に限っては、社長が暗愚で採用担当者が臨機応変だったと思うがね。
それを杓子定規にさ、「わたしに盾突くつもりか!」って叫んでみたところで、冴えないよねぇ~。

「役人のコスト感覚」の記事でもちょっと触れたけどさ、それの続きになん(なるん)だけどさ、基本的に、既得権益を持つ奴らって、その既得権益の維持・発展に努めるわけ。
文科省がなぜ、各学校に書類の提出をばんばん求めるか。
簡単さ。
「お前は俺の支配下にあるんだぜ。よく肝に銘じときな。」っていう、上下関係の確認の儀式なんだよね。
その意味では、金ばかりかかる参勤交代とか、ボスザルに媚びを得る二番手のサルといった状況となんら変わらんわけ。
ああ、なんとむなしいことか。
わたしたちはこういうところにも、サルの時代から一歩も進歩していないことを見いだしてしまうのである。

既得権益層の「安心」の維持を提供するためだけに、「非」既得権益層がカフカ的不条理のうちにおかれるということを、むなしいと言わずしてなんと言おうか。

あ、あと、最後に言っておくと、なんでこの人たち(採用担当者の方々)は、「胸ボタン外し」「髪染め」「つめが長い」「スカートが短い」「ズボン引きずり」といったような項目を、面接の点数の一部として扱わず、独自扱いとしたのだろうか。
面接の点数の一部として扱うのなら、教委の指示に反したことにはならないので、普通にオッケーな気がするが。そんなに簡単ではないのかな。

直接は関係ないけど、一時期話題になった都教委の締め付けも凄い(凄かった?)よね。
挙手による採決禁止だっけ? あと国家斉唱時に起立しなかった教員を処分とか。
なんか、「規律だから守るべき」と言った基本的良識を超えて、どんだけ「わしに逆らう者はみなこうなるのだ」って叫べば気が済むのかって思っちゃう。
逆に言うとさ、こういう締め付け好きな上司って、要するに、「自分がそうやって常に締め付けていないと、自分が上であると思えない」ほどに自分が小粒であるか、或いはその程度にしか部下の信頼を勝ち得ていないってことでしょ?
締め付けるという行為が、部下の信頼を勝ち得ていないことの記号として作用してしまっていることに気づいていない上司が多すぎると思うのは私だけか?
或いは気づいていない振りをしているか。
そして、「もはや、気づいていない振りをすることだけが、自分が上司であることの意味を根拠づけている」というところまでいくと、あとはその上司が気づいて見せるだけで、その上下関係はただちに崩壊するわな。
いや、すでに事実上は崩壊してるんだろうけれどね。形式的崩壊。
あ、つまり、締め付けは事実上の崩壊の予兆ということか。

<追伸>
しっかし、学校というところは、ホントに、「小粒の人間」を好むところだね。
いや。細かい事情はあるにせよ。
ベル・ランカスター方式=小粒の人間養成所、寺子屋方式=多様性に富む人間らの養成所、なのかな?
う~む…。
だからといって、これからは多様性の時代だからと言って、ランカスター方式的制約を取っ払うと、今度は二極化がどうとか言い出すんだろうな。
全国的に寺子屋方式だった時代において、どれくらい「二極化」してたんだろう?
寺子屋方式は、全体の底上げという機能も持ちうるかな? いや、是非持ち得てほしいのだけれど。
読者の方々、ランカスター方式と寺子屋方式のそれぞれで教育実践やってみて、種々の項目において、どういう効果の差があるかを研究した事例をご存じであれば、是非教えてください。できればソース付きで(個人的体験・実践でもいいけど)。
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