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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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どうしてこの髪飾りはいけないんですか - 考えるのが好きだった
もうかなり昔になると思いますが、子供の人権を守るための国際会議がニューヨークかどこかであって、日本の高校生が行って主張をしたそうです。「制服は人権侵害だ」とか何とか。
そしたら「ここは、飛行機に乗って来ることが出来る子供の権利を主張する場ではない」とかなんとか、要は、制服が着れるなら、学校に行っているだろう、しかも、飛行機に乗ってそこまで来れるくらいだから、もう既に、十分に人権は守られている、というようなことを言われ、すごすごと帰ってきたそうです。

前から思ってたんだけどさ、この手の主張って、まあ理屈としては分からんでもないんだけど、なんかズルくない?と思ってしまう。

「俺の主張は正しい。俺の主張に文句を言う奴は、文句を言うことができているということがすでにして、俺に文句を言う資格を満たしていないことを証明している。よって却下。」という理屈。

無敵じゃん。

コメント
この記事へのコメント
違うと思いますが。
これは「権利の有無について文句を言えるということがすでにして、世間に文句を言うだけの権利を保持しえたことを証明している。よって優先的に扱わない。」ということ。俺の主張が正しいか否か、とかいった話はなんら無関係です。「お前は間違っている。飛行機に乗って来ることが出来る子供は権利を主張できない(=却下)」というひとはこの話には出てきません。たんに「ここはその場ではない」、としかいわれていないことに気をつけねばならないのです。
この主張(ここがなんの場か=ここがなにを優先するか、の理屈)を覆すのであれば、高校生たちは「われわれをこそ優先せよ」、つまり「飛行機に乗るどころか学校にも行けないような、守られざる子供の人権」よりも「われわれの服装の自由権」をここで優先的に扱え、といえばいい。もしくは今現在でさえ足りないであろうリソースにおいて、「守られざる子供の人権」と「われわれの服装の自由権」をここで等価として扱え、といってもよいでしょう。
優先順位と関係なしにわれわれは実際に苦しいのだ、われわれの権利をないがしろにするのか、と叫ぶのです。国際会議のように「認めるが採らない」のではなく、相手の基準を認めないで、却下すればよい。
それこそが無敵の主張です。
2009/10/05(月) 21:51 | URL | 通りすがりさんへ #-[ 編集]
おそらく、ひとつは、私が「「~~」という理屈」というふうに書いたところに混乱の種があるのだと思います。


> 「お前は間違っている。飛行機に乗って来ることが出来る子供は権利を主張できない(=却下)」というひとはこの話には出てきません。たんに「ここはその場ではない」、としかいわれていないことに気をつけねばならないのです。


「ここはその場ではない」と言われたときに「では、ここ以外に、その主張をするのにふさわしい場所があるのか」と聞き返すとたぶん

「それは私らの知ったことではない。あるかもしれないし、ないかもしれない。とにかくここはその場ではない。」

というような答えが返ってくる気がするんですね。そこに狡猾さというか無敵さを見てしまうんですよ。
「私はあなたと話がしたいのです」という含意を酌まない、もしくは酌もうとしていないというか。

「ここはその場ではない」というときの「ここ」の設定権と、その「ここ」が持っている権限に対して、意図的に無関心であることによって、相手との対話を斥けられるとでもお思いですか、というか。


この主題については、もう少し熟考の時間が必要なようです。
2009/10/05(月) 22:39 | URL | heis101(管理人) #QyEQ/AbM[ 編集]
初めまして。こんにちは。heis101さん。
子供の人権を守るための国際会議に出席しているメンバーの人権意識が十分ではないようで、
とても悲しく思いました。やさしさ思いやりの不十分な酷いメンバーたちのような気がします。
私がメンバーなら、どの人権も大切にするし、
日本の高校生の主張に心から共感して温かい言葉の一つもかけていたと思います。
人権を軽視する人間が多いなあと残念に思っています。

ところで、heis101さんは、髪飾りの自由の尊重に賛成ですか?反対ですか?
ご存知の通り?私は賛成です。
2009/10/09(金) 16:36 | URL | 文月 #-[ 編集]
こんにちは、文月さん。


> 髪飾りの自由の尊重に賛成ですか?反対ですか?

「小学校レベル」では反対ですが、「高校レベル」では反対でない(しかし、手を挙げて万歳、というほどでもない)、といったところです。

小6でも十分に「高校生レベル」と言える優秀な子もいるでしょうし、高校生だからといって、みながみな「高校生レベル」に達しているとは言いがたいでしょう。


話は逸れますが、高校では、「受験があるから、校則で縛って、受験という目的に集中させよう」という(教師側の)意図があるのかもしれません。やや邪推ですが。
「髪に関心を集中させている暇があったら、その関心をちょっとでも勉強のほうに向けやがれ」というわけです。

仮に高校から「大学受験のために」という縛りがなくなったときに、果たして高校の校則やインフォーマルな規範がどう変化するか、というのは、関心のあるところではあります。
2009/10/09(金) 19:08 | URL | heis101(管理人) #QyEQ/AbM[ 編集]
「高校レベル」では反対でないとのことで、その部分で意見が一致していて、うれしく思います。
私も、どんどん髪飾りをすべきというのではなく、髪飾りもOK!という立場なので、
heis101さんと、かなり近い立場ですね☆彡

「大学受験のために」という縛りがなくなったときですか・・。
生徒の人権を軽視する教師がいる限り、十分には自由が尊重されない気がしてしまいます。
私は、「大学受験のために」という縛りがあろうとなかろうと、生徒の方々の自由を尊重したいです。
もちろん、制服を着るか着ないか、制服の着方等も自由を尊重すべきと思っています。
私は、自由人なので。
heis101さんの記事を読んでいると何故か気持ちがいいですね。

2009/10/09(金) 20:53 | URL | 文月 #-[ 編集]


> 「高校レベル」では反対でないとのことで、その部分で意見が一致していて、うれしく思います。
> 私も、どんどん髪飾りをすべきというのではなく、髪飾りもOK!という立場なので、
> heis101さんと、かなり近い立場ですね☆彡

うーむ、それはどうでしょうか。
というのは、私の言う「高校レベルならOK」というのはほとんどトートロジーなのです。

- 「○○レベルならOK」を満たす○○は存在する、
- その○○の一例として私は「高校」という語句を取る、

と宣言しているだけに等しいとも言えるというか…。


だから、このお話の真の問題は次のように書き換えられるでしょう。つまり、

- 高校生なのに高校レベルに達していない生徒たちに対して、どういう対応をすべきか

です。


これに対しては意見が2つに分かれるでしょう。すなわち、

(1)高校レベルに達していないのだから小学生レベルの規則で縛るべきだ、
という意見と、
(2)高校レベルの規則にさらされているうちに、自然とその子たちは高校レベルに育つ
という意見です。

どちらが正しいのかは分かりませんし、現状としてはケースバイケースで対応しているといったところでしょう。それで、ある学校では(1)のやり方でうまくいったからといって大げさに宣伝され、べつの学校では(2)のやり方でうまくいったからと大げさに宣伝されるわけです。たぶん。




> 「大学受験のために」という縛りがなくなったときですか・・。
> 生徒の人権を軽視する教師がいる限り、十分には自由が尊重されない気がしてしまいます。

これは「対等性の前提」がどこまで認められているかの理解の違いに起因する問題だと思っています。

一般社会では、「完全に対等な個人ないし組織同士の関係」として考えるわけですが、学校ではこの関係が成立しないわけですね。すなわち、対等な部分もあれば対等でない部分もあると。

その境界は小学校から中学校、高校へと行くにしたがってだんだんと一般社会のそれに近くなっていくわけですが、少なくとも高校段階では、まだ完全に一般社会の大人たちと一致するところまではいっていないという話があるわけですね。

学校における教師と生徒の関係においては、どの部分が対等でどの部分が対等でないのか。まずはそこを明らかにすることがポイントかもしれません。



> heis101さんの記事を読んでいると何故か気持ちがいいですね。

ありがとうございます。
2009/10/10(土) 00:37 | URL | heis101(管理人) #QyEQ/AbM[ 編集]
こんにちは。
>これに対しては意見が2つに分かれるでしょう。

(2)に賛成です。
どのような考えの大人であれ、選挙も20歳以上で投票できるように、
実質はどうであれ、(2)の年齢(高校生という年齢)で区切ると言う選択肢で。
人のレベルなんて誰も正確に判断できませんからね。
誰かが、人のレベルを決めるとなると、選民思想につながり、危険なので。
よって(2)に賛成です。
まあ、あたしは、小学生でもOKなんだけどね。小学生が髪にリボンつけたっていいって思ってます。
男子、女子にかかわらずね。スカートリボン男子も歓迎いたします。
スカート男子応援してます。

少なくとも高校段階では、まだ完全に一般社会の大人たちと一致するところまではいっていないという話が、
仮にその通りだとしても、自由を認めるべきというのが私の思いです。
自分で自由人だなあとつくづく思う今日この頃です。
管理教育が支配的なうちは生徒たち、私たち国民が自由を獲得するのはなかなか難しいでしょうね。
自由教育推進のため、がんばりたいです。

>学校における教師と生徒の関係においては、どの部分が対等でどの部分が対等でないのか。
まずはそこを明らかにすることがポイントかもしれません。

heis101さんのおっしゃる通りです。人によってさまざまな意見が出てきそうな議題ですね。
私の考えとしては、教師は勉強・運動などを教える義務があり、
生徒は勉強・運動などをする「義務はなく」、勉強・運動などをする「権利がある」ということが
基本・大前提にあると思っています。
2009/10/12(月) 13:50 | URL | 文月 #-[ 編集]

> 自由教育推進のため、がんばりたいです。

私が危惧しているのは、その推進という目的に対して、文月さんが今やられているような方法が、果たして妥当なのかどうか、という点についてです。

文月さんは(2)に賛成です、とおっしゃいますが、世の中には(1)に賛成な人もたくさんいるわけです。

その(1)に賛成の人たちに対して、どういうふうな働きかけをすれば、文月さんのおっしゃる自由教育とやらを推進したことになるのか。
そこを吟味する必要があるのではないでしょうか。

「自分は自由人だから(2)に賛成である」というのが、(2)に賛成の根拠なのだとしたら、(1)に賛成である人が、「自分は自由人でないから(2)に賛成ではない」と言ってしまえば、話は平行線をたどるでしょう。
(1)に賛成の人と(2)に賛成の人の割合が変わることもなさそうです。


上でも述べた通り、私自身は、(1)と(2)とどちらか一方に与するものではありませんが、もし文月さんが、(2)を推進することが大事なのだとお考えなのであれば、どうすればその目的を達成できるかを、より順序立てたかたちで明らかにしていく必要があるのではないでしょうか。



> 私の考えとしては、教師は勉強・運動などを教える義務があり、
> 生徒は勉強・運動などをする「義務はなく」、勉強・運動などをする「権利がある」ということが
> 基本・大前提にあると思っています。

なぜそう思うのか、というところです。
それから、仮にみんながそう考えるようになったとしたら、どんな社会になっていくかということを想像することも大切でしょう。


もしよろしければ、内田樹『先生はえらい』をお読みになるのもいいかもしれません。
ただ、この本には、いまの文月さんの意見や考えに手放しで賛同してくれるようなことが書いてあるわけではありません。むしろ、その逆に近いかもしれません。

しかし、自分とは違う意見が書いてある本だから読まない、みない、などということを繰り返していても、たぶんいっこうに話は前に進まないような気がします。


健闘を祈ります。

2009/10/13(火) 06:38 | URL | heis101(管理人) #QyEQ/AbM[ 編集]
ありがとうございます。
いつもながら、そのお考えに共感しております。おっしゃる通りだと思います。
heis101さんと出会えたことに感謝です。自由教育、個人主義教育推進のためにも、そのお力が必要だと思います。
また、自由教育、個人主義教育推進ということを抜きにしても、
わたしにとってheis101さんは、人間的に好きなタイプ、共感できるタイプの方のようです。

自分と違う意見も、結構知りたいほうなので、ぜひ読んでみたい本ですね。
そのときは私の考えをまとめるためにも書評、感想を書いてみたいです。

>どうすればその目的を達成できるかを、より順序立てたかたちで明らかにしていく必要があるのではないでしょうか。
>仮にみんながそう考えるようになったとしたら、
>どんな社会になっていくかということを想像することも大切でしょう。
おっしゃる通りだと思います。
一つ大きなメリットとしては、皆がそう考えるようになると、
教師や親による、体罰・暴言などの人権侵害がより少なくなると思われます。
最近、宿題をしないからとの理由で、教師の暴行で骨折させられた生徒や、
提出物を出していないからとの理由で、
体罰教師により、無抵抗の生徒が全身打撲で、重傷を負わされた事件が続出しましたが、「生徒にそれらをする義務がない」となると、これらの体罰教師が体罰をする理由が
なくなり、「生徒の心身の安全が確保される」ことにつながると思われます。
部活動でも、教師の期待通りに動けなかった生徒が、教師の暴行を受けていますが、
それも「生徒にはその義務がない」となれば、教師による暴行(体罰)もなくなっていくでしょうね。

体罰・暴言をはじめとした人権侵害の根絶に役立つことは間違いないと思っています。
他にもメリットが色々とあると思いますが、このメリットはかなり大きいと思います。
教師や親などによる人権侵害がなくなることが一番大きなメリットでしょうね。

体罰・暴言教師などに対する厳罰主義も大切ですが、
罰則強化だけでは、生徒・子どもたちを守っていくには不十分だと思われますし。
私は、生徒・子どもたちの心身の安全を守っていきたいのです。人権侵害をなくしていきたいのです。
そのためには自由教育、個人主義教育を徹底していくことが大切だと思うのです。

とりうるかぎりのあらゆる手段・方法をすべて用いて、生徒たち、子どもたちの心身の安全を守っていきたいです。
heis101さんの英知、とっても貴重だと思っています。私にとって大変勉強になっていますよ。
これからも、どうぞ宜しくお願いいたします。
2009/10/13(火) 13:56 | URL | 文月 #-[ 編集]
> heis101さんと出会えたことに感謝です。自由教育、個人主義教育推進のためにも、そのお力が必要だと思います。

お褒めの言葉をいただけることはありがたいのですが、私自身は、少なくともその自由教育の推進とやらに与する意思がない立場であることをご理解ください(もちろん、その反対側の立場に与する意思も今のところありません)。

そうでないと、あとになって、「あれ、協力してくれるんじゃなかったのかよ」的な問題に発展しかねません(笑)。



> 私は、生徒・子どもたちの心身の安全を守っていきたいのです。人権侵害をなくしていきたいのです。
> そのためには自由教育、個人主義教育を徹底していくことが大切だと思うのです。

文月さんのお気持ちは理解しました。
ただ、私にばかり力説されても困ります。

このエントリはもともと、例の国際会議の是非について意見したいことがあるから書いたのではなく、例の国際会議に対して、飛行機に乗ってやってきた高校生らを追い返す際に会議のメンバーらが用いた論法に興味を持ったことが発端だからです。
2009/10/13(火) 19:24 | URL | heis101(管理人) #QyEQ/AbM[ 編集]
了解いたしました。
貴ブログ記事の数々、興味深くて、フムフムと思いながら読ませていただいてました。
heis101さんのお考え、今後とも参考にさせて頂きたいです。

>そうでないと、あとになって、「あれ、協力してくれるんじゃなかったのかよ」的な問題に発展しかねません(笑)。
それはありませんので、どうぞご安心くださいね。
協力してくださったらうれしいのは、私の本音だけどね。
協力云々にかかわらず、私がheis101さんに好感を持っているのは確かです。

2009/10/14(水) 14:27 | URL | 文月 #-[ 編集]
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