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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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私が受けた英作文の授業

それで、定期テストではとにかく模範解答を覚えていく。

なんだよ、結局は先生が用意した「正解」を覚えるのかよ。あんたが最も嫌ってたことじゃんか!
ま、「成長した」ということなのかな。。

(実は、このブログの文章はほとんど独り言なのです。済みません。自分の思考の整理が目的です。)


仮に自分の思考の整理が目的だったとしても、それに随伴する効果として、他者を啓発に導くということがある。
その人にとってはただの独り言が、たまたま通りすがった他者を、ひどく啓発するということが、よくある。
いかなる独り言も、他者が読める可能性にさらされている限り、その読んだ読者を動かす、その読んだ読者を考え方を変える力を持っている、ということができる。

べつにだから責任を持てとは言わない。
それは、「ある小説を読んで人を殺したくなり実際にやってしまった場合に、その小説の作者が責任を問われるべきではない」のと同じことである。

私が気になっているのは、「自分の独り言が、他者を啓発に導いた場合に、どういう衝撃を受けるか」という点にかかわるものである。
社会の側から「お前には責任はない」と言われても、なんとなく責任があるような感じがする。
別言すれば、社会的責任はなくても道義的責任はあるのだ。

だいたい、書いたものを、「秘匿しておかず、ネット上でさらす」ということ自体、「ねえねえ、ちょっと聞いてよ」という、だれかに承認してもらいたい感情の裏返しである。
ほんとうに、自分以外の誰にも読んでもらいたくない書き物であるのならば、ネット上で公開なんてしないはずである。
論理的にはそうである。
つまり、多かれ少なかれ、ほんとうは読んでもらいたいのである。
厳密に言えば、「読んでもらいたいような他者にだけ読んでもらいたい」のである。

「ねえねえ、ちょっと聞いて。」と言われて、行ってみたら、「あ、お前には聞いて欲しくない。」と言われたら、どんな気持ちがするだろうか。
いい気持ちはしないはずだ。
でも、ぼくは、そういう傲慢なことをする人をそれ故にとがめることはできない。
ぼくも、そう言いたくなる気持ちが分かるからだ。
ぼくは、そう言いたくなる気持ちが分かり、同時に、そう言われると決していい気はしないという気持ちも分かる。
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