@heis.blog101.fc2.com

分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
“「ミクシィ」に仕事の愚痴、女性警官を処分。県警は「警察官の信用を失墜させる行為」と判断”

思ってもいないことを書いて処分されたのなら、確かに悪質な信用失墜行為だといえるが、思ったことを正直に言ったのだとしたらそれは正当行為と言えるのでは?


思ったことを正直に言うことができる警察内部的な仕組みがないから、外側にはけ口を求めるわけで。


こういうことが起こると、「やっぱり警察官みたいな仕事をしてる人は、(ネットで活動する際も)匿名で書かないとな」というのが一時的な防衛手段になるんだろうけれど、それってなんだかな、と思う。「バレなければ何してもOK」というのを警察官が率先してやることになるわけで。

匿名であろうがなかろうが、やってることに変わりはないんだよ。

***

そもそも誰の誰に対する信用を失墜させているのだろうか? ちなみに私は、こういうことが起こったことによって、自分の中の「やっぱ警察官は信用できない」度が上がった、ということはない。むしろ、「警察官も人間なんだな」と思うことによって、信頼度は増してる気もする。

「警察の信用」というときの信用の主体が市民なのであれば、
「この行為によって警察官への信頼度は上昇したか下降したかそれとも変わらないか」を、投票によって決定し、それによって、しかるべき処分をするというのが、「本筋」だと思う。

この手の問題は、表と裏の区別の問題なんですよね。女優でも排便するんですよとか、その手の話。それは真実だが、今はみたくない、という。劇を鑑賞しにきた人の多くは、劇だけを見たいのであって、セットが張りぼてであることを知りたいのではない。

私なんかはむしろ、劇を鑑賞するときであっても、なんとなく「裏現場」を知りたくなってしまうほうなので、表を見てるだけでは分からない真実を同時に伝えてくれたほうがありがたいと思うほうだが、大部分の人たちはたぶんそうではなくて、そういう人たちへの配慮をしろということなんだろうねきっと。

最近は、「舞台裏」をあばく、じゃなくて紹介する系のものがウケる傾向にある気がする。「劇を表から鑑賞するだけの人は市民としての義務を果たしてない、消費者としてしか行動しない、一ランク落ちる人たち」という認識を持つ人たちが多数派になるのも時間の問題かもしれない。

そしてそういう時代がくれば、「警察官がSNSに愚痴を書き込めば、それによって警察官の信用度があがり、解雇されるどころか逆に表彰される」という時代が、或いはくるのかもしれない。
ここでもやはり、「劇」の劇性への自覚の有無がポイントになっている。

それは、極端に右傾化、もしくは左傾化することなく、かつ、市民としての自覚を持つことができることへの第一歩である気がする。「舞台裏」を紹介する作品の隆盛という最近の傾向は、その第一歩がすでに踏み出されていることを反映しているように私には思える。

***

まあ一言で言えば、「君たちはいつまでその“引きつった顔”で演技を続けるのかね?」と言ってやりたい気がしたということだよ。


まあ、「仕事というのものは、基本、“引きつった顔”でやるべきものだ」という反論もありだけど。

「やりたくてもやりたくなくてもやらなければならない。やりたくないときにやるとどうしても顔が引きつる。でもそれは、自らの欲望と引き替えに職務の遂行を優先していることのなによりの証なんだ。だから引きつった顔をして仕事をしている人を私は褒めてやりたい」という反論は有りだ。

でもそこで、「引きつってることを見破られたら、おまえは仕事人として終わりだぞ」であるのだとすれば、仕事ってなんだろう、とは思ってしまう。

演技と非演技の境目を観客に見破らせないことができるのが、プロの定義なんだろうか。
或いは、演技と非演技の境目が、自分でも分からなくなるほどに、演技がきわまってきているとき、その引きつりはいつのまにか引きつりでなくなる。それこそ仕事の流儀ではないか--という主張もまた有りだ。

しかし、この手の結論はすでに十年前の私が同期に対して言っていたことで、とくに目新しい話ではない。その要諦を一言で言うなら、「自己暗示の非自覚化の達成」こそが、あらゆる(天下り的に与えられるところの)目標駆動型タスクの健全な遂行のために必要なことだ、ということである。

これは教育についても言える。自分がなぜそれを学ばなければならないのかが分からない段階でそれを学び始めることに積極的な動機が持てないときに、私はこの理法を積極的に活用した。そしてそれは或る程度は奏功した。

***

さきほどの、「誰からの信用を失墜したのか」ということについてだが、戦前だったら、天皇からの信用を失墜した、ということで、論理的には筋が通るんだと思う。

SNSで愚痴るだけで信用失墜だ、というのは、何かしらの「大いなる存在」を全員が共有している、という前提でしか通用しない。「大いなる存在」様が疑問をお持ちになるようなことは、わたくしめらは慎まねばならない、という論理。

いまでは「大いなる存在」=お客様、なのかな。私たちは天皇信仰をやめた、というよりもやめさせられたわけだけれども、代わりに今度は「お客様信仰」を始めた。日本が国際的に見ても、過度に「お客様信仰」の強い国であることもまた、このことと無関連ではあるまい。

コメント
この記事へのコメント
そろそろ引きつった顔で生きることから卒業したいですね。
でも今の自分がまだ卒業できないでいるのはきっとまだ納得がいってないからだと思います。
だから、このような文章が私にはとても役立ちます。いつもありがとうございます。初コメです。
2009/09/05(土) 06:57 | URL | くにゃり #-[ 編集]
くにゃりさん、愛読頂きありがとうございます。

(返事が遅くなってしまってすみません(_))
2009/09/13(日) 19:54 | URL | heis101(管理人) #QyEQ/AbM[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://heis.blog101.fc2.com/tb.php/199-41b33c2f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。