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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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司法の判断に誤りがない、ということにすることは、現状ではできていないし、今後も、それができるようになることはないだろう。つまり、今後も、犯罪を犯したくせに捕まらない人間、犯罪を犯していないのに捕まる人間が、依然として存在し続けるということである。

このような誤りは、努力によって、完全になくなるように努めるべきものであるが、果たして、どこまで、そう努めるべきであるのか、というところが、今回の論点である。
自然科学の世界では測定誤差というものが存在する。どんな測定量であれ、その値を誤差なく測りきることはできない。そして、この誤差をゼロにしようとするために必要な努力は、指数のオーダーで上昇する、というのもまた、知られた事実であろう。

司法においても、同様のことが言える。司法誤差は、ゼロにするように努力すべきものだが、どんなに頑張ってもゼロにすることはできないし、ゼロに近づけば近づくほど、それを維持するために必要な人的コストは指数関数的に増大する。

一方で、人的コストは有限である。これらの事実はなにを示唆するか? それは、「或る程度以上の誤差は、積極的に諦めたほうが賢明だろう」ということだ。積極的に諦めて、その分のリソースを、別のところに回したほうが、よりリソースを効率的に活用できる。

少なくとも、社会の制度設計ということを考える際には、以上のようなことは、当然、配慮されて然るべき事である。「リソースがないから、精度をこれ以上上げることができない。もっとリソースがあれば…」というふうに考えたくなるが、これはキリのないことであることを我々はもっと知らねばならない。

さて、問題は、そうやって、社会設計上、積極的に断念された精度の範囲内に必ずいる、不当に処罰されたり、不当に服役から免れたりしている人間に対して、どういうことが必要か、ということである。

司法誤差がゼロでないがゆえに犠牲になった者は、この「自分が司法によって庇護されていない存在である」という事実を理由に、司法を離れた行為(たとえば復讐行為など)をすることが、許されるかどうか。公平に考えると、これは、許されなければ平仄が合わない。

しかし、現状では、これはやはり「許されない行為」に分類されているように思う。この不条理については、どのように法的に解釈され、説明されているのだろうか?

たぶん、最もオーソドックスな答えは「社会規範を乱すことを助長するから」というものだろう。しかし、だとすると、司法誤差の犠牲者は、「泣き寝入りするしかない」というのが、「正しい回答」ということになる。だが、これを全員がすんなりと受け入れられるわけではない。

「国法の手続きに従って提訴すればよい」というようなものは、回答としての資格をなしえない。なぜなら、いまの議論は、「司法のダメな部分の犠牲者」という前提だからである。

ここで、「司法のダメな部分の犠牲者」というのは、「司法が最大限に努力した結果、それでも、ゼロにすることのできなかった犠牲者」を指している。リソースの量が分かっていれば、一定数の犠牲者が毎年出ることは確定的なことである。

この確定性を自覚している者が、かりに犠牲者となったとして、そのときに、司法に、「司法の手続きに従ってください」と言われても、本人にしてみたら信用できるはずもない。

これらの考察が示唆していることは、「我々のリソースが有限である限り、少数の人々の人権を蹂躙し続けることによってしか、我々の社会の社会規範は維持されない」ということである。しかし、このような非人道的なことを、我々は受け入れることができるのだろうか。たぶんできないはずである。


「人権を蹂躙された犠牲者が、自らに保障されているはずの人権を行使すると、自動的にそれが確定的な犯罪になってしまう」ということが一定の無視できない確率で起こり得る。人権を蹂躙されたから、それを取り戻そうとすると、さらに蹂躙される。ほとんどいじめである。

毎年、一定数の人間が、やむにやまれぬ思いで、報復の手段として、法に抵触することも辞さない人間が出てくることを、私は倫理的に批判することができないのである。これはつまり、「倫理的に正しい犯罪」というものが存在する、ということである。
コメント
この記事へのコメント
他の記事も色々拝見させて頂いたのですが、とても面白い記事ばかりで時間を忘れて読みふけりました。

さて、倫理的な正しさを伴う犯罪とありますが、これが成立する条件として、貴方があげられた物は、リソースの限界によって生まれた人権の蹂躙、そして書いてはいませんが、明らかに復讐を受ける側が悪いと考えられる時、という事も含むのでしょう。今、私は辞書で「倫理」を調べたのですが、人間としての良い行い、善行とあります。ここで一般人に「復讐」が良い事かどうか聞けば、大多数の人が悪いとは言わずとも、良いとは言わないでしょう(報復だとまた違った回答が得られそうですが)。恐らく、分からない事はないが・・という曖昧な答えが返ってくると思います。そうすると、倫理が良い事だと言うのならば、どのような形であろうと復讐は「一般論に」は倫理的に正しい事と言い難いと私は思います。何も思いつかない私が言うのは恐縮なのですが、正しいという言葉を付けるのならば何か他の良い表現があると思います。人間本能的に・・?違いますね・・。
上手くは書けないのですが、一個人の意見として、受け入れて頂ければ幸いです。
2009/07/29(水) 18:36 | URL | #-[ 編集]
ご愛読&コメントありがとうございます。


> 明らかに復讐を受ける側が悪いと考えられる時、という事も含むのでしょう。

含むかどうか分からないのですが、「復讐を受ける側が悪い」というときの、何がどうだから悪いのか、というところが重要です。

最初に加害した者の、その加害動機にどの程度の正当性があるか、というところですね。これを判定するのは難しくて、だから、「最初に手を出したほうが悪い」というような、誰にでも分かる基準が広く支持されるに相成るわけですが、一方で、この基準には、問題点もあるわけですね(別の記事“「弱い犬ほどよく吠える、吠えざるを得ない」という精神安定上の行動原理 (07/04)”(http://heis.blog101.fc2.com/blog-entry-187.html)で言及しています)。
2009/07/31(金) 01:35 | URL | heis101(管理人) #QyEQ/AbM[ 編集]
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