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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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http://anond.hatelabo.jp/20090703175507
> 比較的冷静に対処出来たのはケンカになったら勝てると思った肉体的(精神的?)優位性があってのことだと思う。負けそう、もしくは同等と思っていたら怒りと恐怖からこちらも暴力を振るい返したかもしれない

これは考えさせられる。「どんな理由があろうと、手を出したほうが悪い」は正論だが、一方で、「弱い犬ほどよく吠える、吠えざるを得ない」という、精神安定上の行動原理がある。
公の場で赤の他人に暴力をふるってしまった人間は、単にそれが犯罪であるということ以上に、「結果的に、自分が“弱い”ということを証明した」という点において、辱めを受けたということのほうが、本人にとっては大きい場合があるのではないか。

強い人間と弱い人間が対峙したときに、弱いほうはどうしても精神的に不安定になる。落ち着かないということだ。この落ち着かなさに起因して暴力が発露するのだとして、この落ち着かなさを提供しているのは強い人間の佇まいであるならば、強い人間にも原因があると言えてしまうのではないだろうか。

強力な佇まいを発することで相手の暴力を誘導し、結果的に暴力を引き出すことに成功したならば、堂々と相手を合法的に警察に引き渡すことができる。こういう戦略的な立ち回りによって、ただの人間をこちらの意図通りに犯罪者に仕立てることができるのであれば、どうであろうか。

まあ、一番最初に暴力を揮う奴は、相手の佇まいに圧されてというよりかは、カッとなって、というほうが多いだろうから、あまり問題にはならないが、「暴力を揮われたときにやりかえすかどうか」のほうがよほど問題である。

暴力を揮われたときにやりかえすかどうか。相手のほうが圧倒的に強そうなら、やり返さないだろう。また、こちらのほうが圧倒的に強そうでも、すぐにはやり返さないだろう。つまり、ほぼ確実に負けそうor勝てそうな場合、たぶん人間はすぐにはやり返さないのだ。

ほぼ確実に勝てそうな場合、勝敗に意識のリソースを割くことが免除されるがゆえに、ほかのことを考える余裕が出てくる。たとえば、「そいつがどういうふうに動くかを観察する」とかね。ここで物好きな人間は、小動物や赤ん坊をいじるように、わざわざちょっかいを出すかもしれない。

その「ちょっかい」が原因で、さらなる暴力を誘導してしまうことだってあるだろう。そういう場合、ちょっかいは、警察の場で、暴力を誘導した原因としての認定を受けうるだろうか。

それが、相手のプライドを傷つけることを言うだとか、そういう「積極的なちょっかい」である場合は、暴力を誘導した原因としての認定を受けうるだろうが、「消極的なちょっかい」の場合はどうか。表情がかすかにほくそ笑むだとか。

精神的に余裕のある側が、相手の暴力を誘導するような行動を、意識的に取った場合には、たとえそいつが一切手は出していなかったとしても、多少の罪はあるのではないかという気がする。

実はもっとも厄介なのは、これではないと思う。最も厄介なのは、余裕のある側が、相手の暴力を誘導するような微妙な仕草を、ほとんど無意識的に取ることが習慣化しているような場合である。

相手の暴力を誘導するような微妙な仕草をほとんど無意識的に取ることが習慣化しているような人間の周りでは、ほとんど予想されたように、ほかのところよりも暴力事件が多発しうる。古代の人々はその理由を「呪い」などで説明するだろうが、現代人はどう説明するべきだろうか。

「自分のゆくさきざきで暴力事件が多発してしまうような人間」というのは存在すると思う。それは、「結婚の数年後に死ぬ夫ばかりを引き寄せてしまう女」とか、そういう類の“能力”に似た能力である。

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