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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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毎回、楽しませて頂いております。ありがとうございます。


もう自然科学の後追いは嫌だ - 諏訪耕平の研究メモ
いやー,うーん,そうなんですけど,それはもう学問の細分化の悪しき側面であるように思えてしまいます。

重箱の隅をつついてるだけ、ということですね。(笑)
まあ、さもありなん、というところですが。(苦笑)


明るくない話題に言及するのは怖いですけど,こないだiPS細胞でしたっけ?万能細胞だかに関する研究で,「どっちが先に出すかが大事」みたいな競争が行われてたじゃないですか。あれね,大変だなーと思うと同時に,ちょっと羨ましいとも思ったんですよね。そういう風に問題を共有できるのが。そして,どうなったら研究成立なのかってことも共有されてるわけですよね。そういう分かりやすさは羨ましいと思ったんです。

うらやましいですか? ほんとに?(笑)
「研究は研究者のセンスにはほとんど依存しない。研究の質や量は所詮で決まる」とあっさり言われているようなモンですよ。こう言われて、平気でいられる研究者がいますかね?いたとしたらそれは研究者ではなく単に労働者に過ぎない、金を与えられたら決まっていることをやるだけの労働者に過ぎない、というような気も、失礼ながらしてしまいます。

もちろん努力は重要で、努力をせずにセンスだけでやっていける研究者なんてほとんどいないと思いますが、努力の方向性を規定づける根本的な問題意識や動機にオリジナリティがないと、ほんとの意味での研究にはならない気がします。銅鉄実験的な研究(「銅でやってみてこうだったから次は鉄でやってみました」的な研究)にはなり得ても。

まあ、ご指摘の問題意識はたぶん、「そういう銅鉄実験的なのが(発達心理学の分野では)増えている」「でかい共通の問題を共有しているがゆえに、共通の土俵でパラダイムシフトが起きて、既存の成果のうえに、つぎの時代の成果が乗っかっていくというようなことが、重箱の隅ばかりつついていたのでは起こらないのではないか」というようなことではないかとお見受けしましたが…。

社会科学分野で研究指導を受けていると,どうしても「職人芸」って言葉が頭をかすめるんですね。結局センスのあるやつが勝つみたいな。いや,まあ,そういうものなのかもしれませんけど,一所懸命先行研究を読んで,一所懸命フィールドワークをして,必死で論文書いたところで,センスがあるやつはその10分の1の努力で名声をさらっていくとしたらそれはなんか切ないなあとか思ったのです。

それは分野によって違う気がします。
たしかに、センスが超重要な分野もあるにはあると思いますが、一所懸命やったフィールドワークの成果が映えるような分野や研究会や学会も、きっとあると思います。
それに、センスのいい奴は努力をしていないかというと、必ずしもそうではないでしょう。センスを磨くために血のにじむような努力をしている可能性だって十分に有り得ます。三年寝太郎は、ただサボっていたのではなく、センスを磨いていたのだとも考えられますし。
なんというか、その種の切なさは、「ある仕事をこなすのに苦労した経験を持つ奴が、同じ仕事を苦労せずに終わらせる方法を見つけて、それでこなしている奴を見たときに、いらだちを覚える」というのと、似たような感覚なのかもしれないと、少し思いました。

もちろん,センスのあるやつが努力をしていないとは言い切れませんが,ある分野において,できないやつができるようになるために払う努力と,できるやつがさらなる高みを目指すためにする努力では,前者が報われない可能性が高いだけによりしんどいと思ってるんですよね。

それは、同じ方法で張り合おうとするからじゃないんですか? 走るのがものすごく速い奴にかけっこで勝つことを、その速い奴がやってるのと同じ方法で目指すのだとしたら、しんどいのは当然だろうという気がします。その速い奴にはない魅力を自分の内側にさぐっていって、それを武器に張り合うほうがずっとラクだと思います。(もっとも、さぐっても見つからない場合も多かったりするのかもしれませんが…)

よく「イチローも苦労している」とか言いますけど,彼は人生のいくつかの場面でその努力が報われてきただけに,個人的には,イチローより苦労しているやつは山ほどいると思ってます。

そうですね。ぼくもそう思います。

話を戻すと,社会科学分野であるテーマについて論文の投稿順位を競ったという話はほとんど聞いたことがない。似たような研究をしているチームが先にアクセプトを得たとしても,ちょっと変えれば十分後発の研究もアクセプトされてしまうわけですから。その点を持っても,自然科学と社会科学は違うのではないかと思いますよ。それで,提示いただいた文系と理系の違いですが,文系の人も大半は「考えるときの基準が、自分以外の客観的な事実」だと思ってると思いますよ。事実はどうあれ。なんかそういう,曖昧さが時々切なくなります。

一般に、自然科学では、論文重視、論文数重視、論文誌のインパクトファクター重視、国際性重視の傾向にある一方で、文系は、著書重視、論文の数よりも「質」重視の傾向にある気がします。
逆に言えば、これらの傾向の差異を除けば、両者にさしたる違いはないように私は思います。

欲を言えば、研究なのだから、評価に関して「質」を最重要視すべきであるのは当然です。しかし、「質」を評価するのはとても難しいし、まちがった評価をしてしまう可能性も上昇する。だから、より客観性と公平性にすぐれていると考えられているところの、「数」と「インパクト」に、どうしても傾倒してしまいがちになる。


余談になるのでアレですが、ここには、センター試験がもたらす悪弊と同じ構造が見て取れます。センター試験をはじめとする選択問題への偏重傾向が、受験生らの記述力、論述力、思考力を奪っているという考えがあります。そこには、センター試験の客観性と公平性に関する過信があります。

「一つ基準を決めて、それに基づいて判断しようではないか」という、判断の基準を自分の外部に移しかえてしまう傾向は、ことに自然科学において顕著です。
それは、「測定の客観性」を確保するためには必要なことですが、それをもって公平性が確保されていると信じるのは愚かです。基準の設定に恣意性が紛れ込めば、その基準はもはや公平な基準ではなくなるからです。センター試験の例で言えば、「どのような問題を出題するか、点数配分をどのように定めるか」という点において、恣意性を完全に排除することはまず不可能です。


さらに、評価を「数」と「インパクト」に頼る傾向は、テレビ番組の評価を視聴率のみに頼るときに発生する問題と同じ問題を発生させます。すなわち、その時代の世論にウケるネタばかりが優遇される傾向を生みます。これは、学問が、時代の世論などに依存しない、もっと普遍的なものを追求しているという観点からすると、とても不条理なことです。

一般に、自然科学で、この「数」と「インパクト」への偏重傾向が強いのは、自然科学とそれ以外の学問分野の方法論の違いに起因する事柄ではなくて、「数値によって、客観性と公平性を確保することはできる」と信じている人たちの割合が、社会科学などよりもずっとずっと多いことによるのだと私は思っています。
「現在のセンター試験のような方式を導入すれば、もっともっと受験や入試は公平になるはずだ」と当時最初に信じた人たちが誰なのか、私は知りませんが、たぶん、自然科学系、理系の出身者なのではないかという疑いを、私は強く持たざるを得ません。


「数」と「インパクト」への偏重の結果、何が起こっているかというと、一つは、「論文を量産する技術の発達」だと思います。たとえば、ものすごく単純な話をしますと、3つのアイデアと3つの実験条件があれば、3×3で9つの論文が書けてしまいます。「銅鉄実験の発達」です。「数」と「インパクト」の偏重は、「非難されない銅鉄実験」への逃避という選択を、研究者たちにもたらしました
むろん、私もこれを喜ばしい傾向であるなどとは全然思いませんが、ほかに代替案はあるのかと言われると、やはり手をこまねいてしまいます。「質」重視に舵を切ると、採用の公平性が確保されていないような疑いを社会に対して放つ危険性があります。「あいつは業績ぜんぜんないくせに、コネだけで雇用されてる」という非難を向けられたときに、「いいや、そうじゃないんだ」ということを、一般大衆にわかりやすく一発で納得してもらえるための便法を、「数」と「インパクト」以外のものに求めることは、いろいろな意味で非常に難しい

「いろいろな意味で」と言ったのには2つの意味があります。
一つは、高度に専門的な内容を、非専門家の目線で捉え直して再構成すること自体が、必ずしも容易なことではないということ、
もう一つは、「ほんとにコネ採用です」という場合に、どういうふうに説明したらよいのか、研究機関当局が分からないこと
です。

2つ目の場合について、もう少し詳しく考えてみましょう。現在の世論に「コネ採用はほんとに悪いことなのか?」というような問いかけを受け入れる土壌が、果たしてあるでしょうか?
私は「ない」と思います。つまり禁忌があるんですね。「コネは撲滅すべきもの」という空気があるがゆえに、「コネにもいろいろメリットがあるんじゃないの?」というようなことをつぶやくこと自体が禁忌化していて、そういうことをボソッと言うことすら、研究機関当局は、実質的にできない状況に置かれているわけです。

ここで、「研究機関が大衆の空気を読まなければそれで済むことだ」というのは当たりません。ほとんどの研究機関は税金で食わせてもらっているので、大衆の空気を敵にまわすことは、結構むずかしいわけです。

そこで、「コネ採用」の社会的メリットを説く必要性が生じます。
現在の世論の認識ではたぶん、「コネ採用というのは、採用者と被採用者にとってはメリットありまくりだけれども、外部からの受験者や社会全体にとってはむしろデメリットばかりなのではないか」というようなことなのではないかと、思うんですね。
「研究者におけるコネ採用率」というものの統計データがもし出ていれば是非おしえて頂きたいのですが、なんやかんやいうて、この率は、世論的に理想とされている値よりはずっと高い気がしますね。

しかし、採用側からしてみれば、コネ的な情報なしで採用することはとてもリスクが高いわけです。だから、推薦書を何枚を要求してきたりする。でも、自分の知らない人が書いた数枚の推薦書よりも、自分の知ってる奴が言う受験者に対する評価のほうが、採用者にとってはずっと信用できるわけです。
これまでの色んなコミュニケーション履歴のほうをいったん忘れて、書類だけで判断しろと言われても、どだい無理な話です。採用者は、これは一般企業においても当然の如く言えることですが、「じぶんたちが一緒に仕事をしたい奴」のほうを優先的に採用します。当たり前の話です。

採用側と事前にコミュニケーション履歴の蓄積がある受験者は、採用側との間に人格的信頼が形成されています。
人格的信頼は、職場における人間関係の基礎となるもので、採用側にとっては「こいつが職場にいるとどれくらい俺たちを助けてくれるか。どれくらい俺たちに迷惑をかけてくるか。どのくらいこの研究機関に貢献してくれるか」ということに関する、くつがえりがたい情報を提供してくれる、とてもありがたい存在です。
だから、採用側からしてみれば、自分たちと事前にコミュニケーション履歴の蓄積がある受験者を採ることは、ローリスクなわけですね。

で、大事なことは、それが、不公平なことなのかどうかということと、
かりにそれが不公平なことであったとして、どういう手段でこの不公平さを是正するのがいいかということ、に関する吟味、より公開的な吟味が、現在までに欠けていたと言わざるを得ないわけです。
少なくとも、「現状の「数」と「インパクト」への偏重傾向に対する研究者たちの懐疑」と、「採用方法に関する公平性を実現するための方法として世論が妥当だと信じているところのもの」に、大きな大きな乖離があるということをまずは認めて、そこからどういう方向に落としていくのかを論理的かつ公開的に探っていく、
不条理な禁忌を生成している現在の世論を、納税者の神経を逆撫でしすぎないかたちで解体するためのメッセージを発信する
といったことが、いままさに一番必要なことなのではないかと、思います。


社会科学系で重要な研究は山ほどあると思うので,きちんとパラダイムを整えて,2ちゃんで「文系研究者は存在意義なし」とか言われないような良い研究を生み出していきたいと思うんですよね。パラダイムで言うと,西條剛央の提唱する構造構成主義なんかそういうことを自覚的に議論していると思います。まだちょっと理解しきれていませんが。発達心理学会も最近になって「研究として成立しているかどうか」という従来の評価軸から,「インパクト重視」にシフトしました。色々議論はあるみたいですけど,概ね僕は好意的に受け止めてます。こういう流れがきちんと進んでいくといいなあと思いますね。

心理学のような、欧米では理系に分類されているような分野の場合、多くの理系で採用されているのと同じように、「インパクト重視」になってくるのは、必然性があるなあと個人的には感じます。英語圏との整合性を取らないといけないという圧力がどうしても働きますから。

むしろ、欧米でも日本でも「文系」に分類されている分野で、まだ「インパクト重視」でない分野が、今後どのように舵を切っていくのか、自然科学に端を発した風潮に流されるままになるのか、それとも、別の新機軸を武器に対抗勢力を打ち立てることができるのかどうか、そちらのほうが、深刻な問題なのかもしれません。


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2009/06/30(火) | 第139回芥川賞WEB情報
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