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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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「教育」と「医療・介護」は異質 - 考えるのが好きだった
ところが、学校教育、もっと言うと、公教育の真の目的は、実は、決して一人一人の要望や願望、才能を伸ばすことではない。なぜなら、そんなのムリに決まっているし、税金を投じて行っていることに、個別の欲望を反映させるのは変な話である。公金を個人の個別の目的に使用するのは一種の「公金横領」じゃないか。
 学校教育の目的は、総じて(←この語、もの凄く重要ね。)個別の才能などの開花や欲望の達成ではない。メンバーが、学校を出たときに、社会の構成員として、社会をそれなりにうまく回していく、これが最大の目的であろう。だから、公金が使われる。読み書き算数は、社会全体のために必要なのだ、とか、今の社会をそれなりに回して行くには、読み書き算数だけでは足りないから、もっと高度の学力を持つ人間が必要だ、よって、そういった人材も育てなければならないから高等教育を行う学校を作ろう、ということになる。それで、「今後の社会にもっと科学者が必要だ」という社会の要請があるから、「じゃあ、理科数学の得意な生徒を捜して才能を伸ばして、後々、社会に出てからあちこちで貢献して貰おう」ということになるだけの話である。「その生徒が理科が好き♪だから、科学者に成って貰おう」は本質を離れての言になる。ここの誤解が大きいと思う。

ああ、これ、ぼくがここで言ったことと重なってるなあ。
「いまの世の中にはもっと科学者が必要だから、学校に通っている生徒たちにはもっと理科を好きになってもらわねばいけない」という理路なんだよね。

でもこれ、怖いね。
「いまの世の中にはもっと戦争が必要だから、学校に通っている生徒たちにはもっと、なんのためらいもなく人殺しができるようになってもらわねばいけない」という教えを正当化することにつながるから。

怖くなくするためには、
「いまの世の中にはもっと○○が必要だ」というときの、○○の部分はほんとうに妥当なのか、ということがきちんと練られていないといけない。ここがいい加減だと、ヤバい世の中になっちゃう。場合によっては、回りさえしない世の中にね。


それで、今の学校教育は、家庭など個別の視点で「自分の子供が、或いは、『私』が社会で有利な場にいることができるように」に目的が歪曲化している。

資本主義経済の論理ではそうなる。というよりも、学校に通っている或いは通わせている個人の視点ではそうなる。
「お国の政策なんか知ったこっちゃねえ。俺らは俺らなりに、いまの学校という制度がどうやったら自分たちの利益を最大化してくれるかを考えて実践するだけのことさ」というだけのことである。
ミクロの論理(学校に子どもを通わせている親の論理、子どもの論理)とマクロの論理(お国の論理)はそもそも出発点が違うので、基本的にはかみ合わない。


 ところが、これがまた問題なのだ。
 「社会の要請」は、非常に漠然としたものだから、実のところ、ワケがわからない。それで、庶民(偏差値55の納税者)の理解を得やすい、「グローバル化」だの何だので、勝手に未来社会を描き出し、「話せる英語が必要だ。だから、小学校英語」などに話が飛ぶ。ホント、飛ぶ。そこに偏差値55が飛びつく。「社会」は、非常に漠然としたものであることを忘れている。だから、具体的な話に飛びつく。具体的な方が誰にもわかりやすいし、経済効果もあるから、飛びつかせたいものでもあるし、飛びつきたくもなるのが実際である。

「社会の要請」は近未来予測に基づくものだから、その予測如何によっては、いかようにも描きうる。
予測を完璧にすることができない以上、どの人が言う「これからの時代は○○だ」も正しい保証はない。

でも、だからと言って、お国は政策を定めることを放棄することはできない。それをするのが仕事だからだ。
だから、「みんなの意見を聞きましょう」となる。そしてそこで、一番多数の人の同意を得た意見が通ることになる。つまりそれは、ほり氏の言う「偏差値55の人間の意見が通る」ことを意味する。

それが科学だったら、科学者を育てるために国は舵を切るだろうし、それが戦争だったら、戦争をするための人材が「育成」されることになっちゃう。

「偏差値55の人間の意見が通る」ことは、現在のような単層的な投票制度を用いている限り避けられないことである。
だから、悲劇を回避するためには、偏差値55の人間の言うことがマトモなものであることができるくらいにまで全体の底上げをするか、それができないのなら、選挙人などの多層的・階層的な投票制度を用いるよりほかはないのではないか。


先日、ラジオで飲食業の会社社長で、教育再生ナントカの委員かをしていた人が、医療も介護も教育も、自分の家族がそうしてもらいたいようにすることが大事だ、みたいなことを言っていた。
 医療と介護は、そうだろうけど、教育、殊に公教育を、「自分の子供にして貰いたいようにする」というのは、大きな間違いだ。

社会を回すために必要なことと、個々人が短期的に幸せになるために必要なことは違う。でもそこを見分けるのはけっこう難しいようだ。


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