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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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産業界からの俗流ゆとり批判について - 技術教師ブログ
高専の学生が工学部の学生より優秀で使えるという話はこちらの世界では有名で、というのも普通高校から工学部へ進学しても、普通高校での教育内容は"いかに意味のないシグナルを処理できるか"という「基礎的認知能力」に対応した教育であり、また物理や化学の成績に優れていたとしても、それは科学的理解にしか反映されず、技術的理解には到達しない。簡単な言い方をすると「わかるけどつくれない」若者ばかりができる構造になっているのだ。高専は実践的なモノづくりと知識をスパイラルに高める環境であること、最近は知られていないが進級基準が厳しくなりつつあり確実な定着度が保証されていることなどがあげられる。

「つくる」際に必要とされる知識・技能と、「分かる」際に必要とされるそれらは一致しないということやね。
そういう意味で、「つくる」重視の高専は「分かる」重視の普通高校よりも有利であると。

たとえば大学の物理学科に入学する学生も、実験なども入ってから一から学び直すという側面が現状では強い気がする。(これは物理に限らず、理科全般に言えることのような気もするが)
いまの高校物理のカリキュラムは、「理学的であるというよりかはむしろ工学的であるくせに、運用上は、授業時間数的な縛りや受験などの縛りにより生徒に十分な実験をさせられない」ということがあるので、「普通高校出身でかつ物理学科に進学して工学的なものづくり的なことをこころざす学生」にとっては、高専出身者に比べて相対的に技術的に劣るということは、マクロレベルでは十分に見えてきてて全然不思議でない。


ここ数年の技術の物理的飽和、イノベーションの停滞から基礎的認知によるシグナル処理だけでなく、創造性とかなんとか言いだしたのは企業側であり、その不足分を学校側に求め、足りなければ責任を学校に求めるというのは教育側からするとナンセンスである。

うむ。


技術教育が3年しかないのは日本だけ。

うーん……(唸


たとえば「本当に環境にいい教育」をしてもらっては企業としては都合が悪い。「環境にいい車」を買うより「環境のために車を創らず公共機関を利用する」方がよっぽど環境にいい。消費者教育など妥当なところで終わらせてギャンブルのようにお金を借りる人を増やしたほうが金融市場はもうかるのだ。

それはまあ、よく言われることなんだけどさ、それって、消費者がバカだと自分たちの知的リソースを節約できる、知的側面においてサボることができる、ということでしかないんだよね。

賢い消費者と対等的な対話をしていく覚悟のあるサービス提供者は、決してそんなマネはしないと思うんだけど、実際のところはどうなんだろうね。
「消費者にはバカであってもらわねばならない」という前提は、「自分たちの知的リソースの貧困さを隠蔽したい」「自分たちの知的リソースにそもそも的に自信がない」ということに端を発した商売戦略だと思うんだよね。

「自分たちの知的リソースに自信がないのに、自分たちの知的リソースをウリにした商売をしようとしている」ところに根本的な間違いがあるのに、そこを訂正しようとしないのはなんでなんだろうね。

結局、市場で商売をしようとすれば、自分たちのリソースの何かをウリにしなければならないわけで、そのウリにするものは、自分たちの自信に裏付けられたものでなければならない。これは健全な商売人であれば絶対に譲ってはならないポイントだと思うのよね。

市場で商売をするためには、「自信をもって人におすすめできる自分たちのウリは何か」というところが徹底的に叩き上げられていなければならない。

そこが甘いと、「自信のなさをごまかすために、消費者の側にバカさを要求しなくちゃ商売が成立しなくなってしまう」という本末転倒な事態を招いてしまう。

逆に言うと、すべての商売人は、消費者がちょっと賢いくらいでは崩れようのない強い自信(それもきちんとした自信、自分の良心に裏付けられた自信)を持っていないと、ちょっと賢い目の消費者が出てきただけでたじろぐことになってしまうということ。

自戒を込めて言うが、仕事ではサボるべき部分とサボってはいけない部分がある。
それがウリであることを支えている自分の自信が崩れないように、より確信に満ちたものになるように励むこと。これは絶対にサボってはならない部分である。


まあ、ここでいう健全な商売っていったい何なんだろうということは厳密には難しいテーマで有り得ますが。たとえば、市場が非完備であることに由来するウリで商売している人間は、不健全な商売をしていると言っていいのかどうかとか。


そうでなければ少しでも使命感と教養のある人は「学校で技術教育をもっと推進すべきだ」と声を張るはずだし、実際はその教育を行うための技術教員が育っていないという側面もある。また実際は5割が臨時免許や他教科兼任などで対応した非免許教員であったりするのだ。

なんでこうなるのかというと、一言で言うと金がないからだよね orz。


そうして構造的には消費や生産について十分に知識を持っていない(そして指導要領による活動偏重の)教育を受けてきた一般消費者と、その中で円があり工学部など生産に携わる部門に向かうある意味生産エリートができる構造なのである。また高専卒などは設計・生産の計画でなく、工場での加工などの専門職として雇われることが多く、低賃金で高技能な労働力となっている現状がある。

うーん、高技能なのに低賃金ってのは、なんでなんだろうねぇ。


最近の若者が精神的に弱いのではない、最近の年長者たちが求めるものが多すぎるのだ。

ああ、これは変化の不平等と結びつく話だね。


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