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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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ブ米にもニコ動コメント的手法を取り入れウンコナゲアーイを楽しくすべし -おやじまんのだめだこりゃ日記
ブ米は個人のつぶやきとか突っ込み、もしくは野次に近いものだと思う。当然中には「タイトルオンリー脊髄反射」もあるし「ヨンデネーダロ」とか「もっと読解力をつけましょう」もある。テレビを見ながら口にする一人突っ込みのようなものだから当然である。ただ、つぶやきとか突っ込みとか野次は音声であるのですぐ消滅する上、野次や罵声などでも複数から同時に声を上げられると何を言われているのかをすべて認識するのは困難なのに対し、ブ米は一つ一つをじっくり読めるところが大きく違う。
 
すでにブコメをニコ動のコメント的に表示するサービスはどこかで提供されていたと思う。サイト名忘れたけど。でもあれは個人的にはそんなに面白くないなと思った。その理由は、その時刻にそのブコメを表示しなければいけない必然性が、ニコ動のそれよりも圧倒的に薄いからだと思う。

ニコ動のコメント入力インターフェースでは、「自分は動画のどの部分に注目しているか」を他の人たちに伝える手段が、「どの時刻にコメントするか」という仕方で提供されているのに対して、ブコメでは、ブックマーカーはentryのどの部分に反応してブコメを書いているのかという棲み分けが、ニコ動のそれほどうまくできていないわけだ。

だから、着眼可能なポイントが一つしかないようなエントリーに対して何かものを言うときにはブコメはニコ動と同じ意味での威力を発揮するのだが、ブコメがいろんなことが書かれているエントリー、いろんな着眼点があるエントリー対してなされる場合、その意味は、「あ、こういうところに着眼する人もいるんだな」というような、別の意味での価値を帯びてくる。
そして、「着眼可能なポイントが一つしかないようなエントリー」というのはあまり存在しない。書き手が主題を一つに絞ったつもりでも、別様の解釈を編み出す人間がウェブ上ではすぐに出現する。その結果、事実上ブコメでは、この後者の意味での利用価値のほうが比重がでかい。

結局、ニコ動のコメントとブコメの共通点というのは、提供されている作品に対する着眼可能なポイントが一つしかないという状況下でのみ成立するのであって、そして、ニコ動には時間軸という軸によって棲み分けの自動化を達成しているけれども、ブコメで時間軸を棲み分けの道具として利用することにはニコ動ほどの価値はないから、先般指摘されているような問題点がことにブコメにおいて浮上するのだと思う。


ブ米を個人のつぶやきとか突っ込み、もしくは野次に近いものとして見た場合、似たようなものにニコ動のコメントがあるが、あれは横に流れていって画面から消えてしまう。また、一斉に騒がれると弾幕状態になって全く読めないので、ぱっとみた目には「盛り上がっている」ということしかわからない。さらにはコメント自体が一定期間が経過すると消えてしまうようだ。ニコ動のコメントシステムは、文字コードに変換されつつ音声の「消える」要素も取り入れているところが素晴らしい。

ニコ動の場合、一つの着眼部分に対して大量のコメントが集中的に投下されると、その文字の集まりが伝える情報に質的な転換が起こる。
厳密に言えば、ニコ動の閲覧者が他の閲覧者や書き込み手から受け取る意味は、一つ一つのコメントの内部に書かれている意味と、コメントが幾つか集まることによって生じる意味の二種類が存在し、前者は、いくらコメントがたくさん集まろうが単なる集まりでしかないが、後者は、その数(時間軸を考慮するならば密度と言ったほうがいいかもしれない)に、「盛り上がり度」という意味と、盛り上がりすぎるととコメントの内容が読めなくなるという「文字希釈機能」が備わっている。
盛り上がりすぎると、盛り上がっているということのインパクトの強さが、個々のコメントが伝える文字的な意味を希釈してしまう。

この希釈機能自体は、人間の側に備わったものであると考えられる。もし我々の全員が聖徳太子の伝説のように同時に大勢の人からの話を聞くことができるのであれば、そういう希釈機能は不要だと思うが、幸か不幸か我々は聖徳太子ではなく、意識が単位時間あたりに処理することのできる情報量は限られている。だから、一度にそのキャパを超える情報が押し寄せると、個々の情報が伝える意味は受理されず、「どうやらたくさん情報が集まってきているようだ」という情報だけが選択的に伝えられる。そういうものである。

そもそも我々は何がしたいのだろうか。何に期待してニコ動やブコメに集うのだろうか。
その欲求の矛先は人それぞれだと思う。
ある人は、とにかく祭りのあるところに出かけていってはバカ騒ぎをしたいのだと思うし、ある人は、自分と異なる経験や感覚を持った人たちが繰り出す解釈や意見を吸い上げたいのだと思う。これは固定ではなく、同じ人物が、あるときはバカ騒ぎをしたいと思い、ある時は別の感覚を持っている人の意見を聞きたいと思うこともあるだろう。それにこの二分法が完璧だとも思わない。人はつねにバカ騒ぎ度とマジメ度の調合度合いをその都度調節しながら生きているものである。


騒がしいところに野次馬根性で顔を出したくなるのは人間の性だ。わらわら群がった野次馬を見つけたときは興味深々である。それも、人の不幸やウンコナゲアーイや痴情沙汰などであればなお一層興味をそそる。そういう発見的な意味ではブクマは役に立つ。ハテブでは「話題になっている」度合いはブクマ数でわかる。騒ぎを見つけたときの感情は、言葉というより「?」とか「!」という記号みたいなものだろう。当然「これはっ!!」というものを見つけたときも同じだ。この刺激をまた後で味わうためにブクマという「印」を付ける。言うまでもなく、個人のブックマークページは自分用のメモでもある。

うん。


ブ米が自分のメモとか群がった野次馬的な言葉がほとんどと仮定すれば、それを理路整然と表示しておく必要は無いような気がする。
とはいうものの、ブ米自体にも「うはー、これはすごひ」というものもあり、無くなるのもアレだ。

そう。そこなんだよね。


だから、騒動になりやすいhttp://b.hatena.ne.jp/entry/http://○○(←○○は記事ページのURL)で表される個別記事のブックマークページのブ米は一定期間後表示され無くなるとか、バッドスターみたいなのが沢山つくと次第に色が薄くなるとか、ニコ動コメントのような仕掛けをしても面白そうな気がする。

欲を言えばね、「自分にとって価値のないブコメは弾幕化という形でパッケージングされていて、自分にとって価値のあるブコメは「弾幕化していない」という形で内容が読める」というのが理想なんだけれども、全員がマジメな人だという仮定を置いたとしても、価値の有無の基準はてんでバラバラで、そこに統一的な多数決原理的な基準を持ち込んで次第に薄くなるコメントと薄くならないコメントが差別化されるというのは、ブコメの基本的な価値に対する侵害ですらあると思うんだよな。つまり少数派が擁護されるということもブコメの基本的な価値のうちの一つであると。

となってくると解決策は、それぞれの個人ページレベルでは、個人個人の「薄くなる基準」が適用されるってモデルが考えられるんだけれども、これだと、「全員で同じ情報を共有している」ということからくる満足感(これは決して「イコールバカ騒ぎ的満足感」ではないと思う)が殺がれてしまう。

「全員で同じ情報を共有している」という満足感を味わうことと、自分に必要な価値ある情報を効率的に摂取できるということは対立するのだろうか。
そもそも価値の有無というのが相対的にしか定められない以上、どんな外的な基準であらかじめ選別されたものを摂取しようが、そのなかで新たに「価値あるもの」と「価値なきもの」という区分けがなされることは避けられない気がする。
結局、価値ある情報と価値のない情報を自分で選別すること自体に、学習或いは情報摂取の本質的な意味があるのであって、その苦労を人間から取り上げてしまうことには実はあまり意味がないのではないか。
或いは、自分の内側にある言葉にしにくい「読みたい」と「読みたくない」の尺度でもってはじめてなされる判断を、ほかの誰かさん(機械でもよい)に担ってもらおうとすること自体がおこがましいのかもしれない。

しかし、「アシスタントの不在」という状況に耐えられるほど、私たちの置かれている状況というのは生やさしいものであろうかという疑義もまたよぎる。
情報の選別行為に情報摂取の本質的な意味があるというのは正論な気がするけれども、その正論と相対主義的な考えのコンビネーションが至るところで通用するならば、「我々にはいかなるアシスタントも必要でない」という結論が自動的に演繹されてしまう。

***(以下、未整理の記述)

たぶんこれは、「よきアシスタントとは何か」というところに落ち着いてくる話だと思うんだ。
ここでいうアシスタントとは、非ヒト的道具で、「気が利く子」という本来的な意味に加えて、「主人が気づかないところで、主人がより満足するように裏で手を回す子」という環境管理権力の行使をアシスタントに認めるという意味をも含んでいる。言うなればこれは、主人の手足の身体的な制限を取り払うために呼ばれるアシスタントと、主人の手足(この手足はアシスタントによって拡張された後のものでも前のものでもよい)の範囲内でできるだけ事が片づくように環境のほうにあらかじめバイアスをかけておくということをするアシスタントとの違いである。
そして、これらのアシスタントは、他の主人や、他の主人が持っているアシスタントとの利害調整もうまくやれるという機能を有していなければならない。
それは「有意義で充実した時間」というのを主人(或いは他の主人)に提供することに特化したシステムであるはずだが・・・!?
(あ、そうか、ここで言うアシスタントって言うのは、各主人に一対一で対応づけられているような存在であることを必ずしも前提する必要はないよな。)


コメント
この記事へのコメント
TB頂いたようなのにプラグインが蹴っちゃってるようで申し訳ありません。言及リンクもあるのに、なんで蹴ったんだろうなぁ・・・

はてぶは既に「よきアシスタント」になっているんじゃないかと思いますよ。やっぱり自分だけで面白い話題を探すのは時間と労力が掛かりますからねぇ。そのアシスタント的要素にプラスして話題になりやすい機能もあるから楽しいんでしょうね。

たまにはらわた煮えくり返りますけど、そういう刺激もまた楽しってところでしょうか。

つか、一つの機能がこれほど長きに渡って話題になるなんてあまりないですよねぇ。
2009/06/05(金) 00:19 | URL | おやじまん #-[ 編集]
> TB頂いたようなのにプラグインが蹴っちゃってるようで申し訳ありません。言及リンクもあるのに、なんで蹴ったんだろうなぁ・・

いえ、とんでもないです。
わざわざご足労頂きありがとうございます(^o^)

TB関連の技術的なトラブルはよくあるようなので、こちらも1回送って反応がなかったら、どうしてもとかじゃなかったらそのまま放置しちゃうことも多いです。


> はてぶは既に「よきアシスタント」になっているんじゃないかと思いますよ。
> つか、一つの機能がこれほど長きに渡って話題になるなんてあまりないですよねぇ。

長きにわたって話題になっているということ自体、革新的なサービスだった(おっつ、である、ですね(^^;))ことを裏付けているのかもしれませんね。

2009/06/05(金) 01:07 | URL | heis101(管理人) #QyEQ/AbM[ 編集]
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