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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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教育再生会議-塾は禁止 - 教育毒本
第3回 規範意識・家族・地域教育再生分科会(第2分科会)議事要旨P.23~
(野依座長)
塾をやめさせて、放課後子供プランをやらせといけない。塾は出来ない子が行くためには必要だが、普通以上の子供は塾禁止にすべきだと思う。
(野依座長)
公教育を再生させる代わりに塾禁止とする。それくらいのメッセージを出していいのではないか。昔できていたことが何故今できないのか。我々は塾に行かずにやってきた。大学も誰でも入れるようになっている。難しくない。塾の商業政策に乗っているのではないか。
(野依委員)
我々のころは、部活もやって、その後、休憩してご飯を食べて、勉強していた。塾も行っていない。
あのさあ、「我々のころは、部活もやって」って、

あんたが部活やってたの50年前の話だろ?

このご老人、驚いたことに塾は今でも出来ない子だけが行くと思っているらしい。
普通以上は公教育だけでやれって? 灘高校から京大出てるヒトにそんなこと言われてもねえ。
それにしても塾禁止とは驚いた。本当にそんなことしたら日本の教育システムは崩壊する
もう塾の商業政策だとか言っていられる状況じゃない。冗談にも程があるというものだ。
今の若い官僚で、公教育だけで育ってきた奴がどれだけいるか調べてみるといい。

現状を見れば、普通以上の子を育てる教育は公教育だけではとてもまかない切れていないのは疑いの余地がない。
普通以上の子やトップレベルの子の代表的な就職先である、官僚や、大企業やベンチャー企業の幹部、医師や弁護士などの高度専門職の人たちの中学時代高校時代をどの教育機関が育てているかということに私たちはもっと着目するべきである。

そう。私立中高一貫校なのだ。

そして、その私立中高一貫校の運営費を経済的に支えているのが、一貫校に通う子どもの親の財布から出る学費や、卒業生からの寄付だったりする。
そして、そういう私立中高一貫校に実際に入学している子の大部分が、学校の勉強だけで入学したのではなく、塾で勉強した結果入学できているという事実にももっと着目するべきである。

結局、公教育には金がないので上のレベルの子まで面倒みきれないから、実質的にそういう子が伸びるように支援しているのは進学塾産業で、実にこれは国のエリートの幼少期における教育は「親の財布」でまかなわれていることを示す事実でなくしてなんであろうか。

いいですか、親の財布が国のエリートを育てているのですよ。親の財布が、エアコンの効いた快適な学習環境、充実した図書館、優れた学舎、(家族が崩壊してるとかではない)家庭環境の充実した友人らを、その子どもに提供しているのですよ。

公教育or公立がもっとしっかりしていれば、つまり、国や自治体が金をケチらずにきちんと予算を教育現場に降ろしていさえすれば、公立学校でも私立一貫校なみの設備を整えることができるし、学校裁量がもっと増えれば学校ごとの理念に沿って学校運営をすることも可能になって、自然と教育商業は消滅するのです。(実際には、これに加えて、受験がなくなる、ということも必要だが。)
そして、私学と公立の学習環境格差が縮まれば、何も高い金払って私学にやる必要がなくなるので、親たちは、私学か公立かではなく、各学校の理念や、どういう子がその学校に集うかといったことを基準に我が子を通わせる学校を選び始めるでしょう。

もちろん、国や自治体にも金を下ろせない理由はあるので一概に公教育を批判するわけではないんですけれども、それこそシーサー先生の言われるように、金がない現状を望ましい教育環境であると錯覚してしまう、精神論的風習「このヒトたち、金あっても学校にエアコンつける気ない」などを参照は、やっぱり見直されるべきでしょうね。

さて…

大卒同士の相互扶助(3) - 考えるのが好きだった
 もしも学校の教育課程がしっかりとしたもので、先生たちもまた非常に有能で、学校外での学習の場が必要なくなったとしたら、高学歴の非常に多くの人々が「失業」という憂き目にあうであろう。

 そうなのだ、文科省の数々の政策は、実は、現代日本の失業対策の一環でもあったのだ。

公立学校に、私学並みに金と理念があれば、「進学するための、学校外での学習の必要性」は薄まるので、教育商業は自然消滅するだろう、ということはすでに述べた通りである。
しかし、そのことと失業ということとは、関係があるのだろうか。

教育商業の人たちが失業しないのは、我が子を進学させたい親御さんがたが彼らにお金を支払っているからであるが、ちょっと考えてみてほしい。
公立学校が私学なみに充実するためには、国や自治体にそれができるだけの十分な歳入がなければならない。その歳入はどこからくるのかとうと、税金である。その税金は誰が払うのかと、市民である。そしてその市民の一部に、我が子を進学させたい「親御さんがた」がいる。

ということはつまりどういうことか。

「子どものいない家庭の人が公立学校の運営のために間接的にお金を今よりも余計に払わなければいけない状況というものができる」ということ以外には、結局は「親御さんがた」が、子どもの幼少期の充実した教育のためにお金を出しているという事実は変わらない。
その支払い先が、自治体経由で公立学校に落ちるか、直接教育商業に行くかの違いだけである。

「親御さん」の金が直接教育商業に行く場合は、塾で働いている人は今のまま塾で働き続ければいいし、自治体経由で公立学校に落ちる場合は、人数不足でヒイヒイ言ってる公立学校に、今よりも多くの教員が採用されるということだから、それまで塾で働いていた人は、その採用枠で採用されればいいだけの話である。

どこにも失業者など出る余地はない。

経由する場所が多ければ多いほど、事務処理的な手数料がかかるから、そういう意味では、直接教育産業に行くほうが効率的かな。
手数料がかかる分、そういうのは、事務処理的なことだけをする小役人の雇用に使えるわけだが、そもそも今話してる税金は、教育のために使われるという名目で徴収していることが前提であるから、手数料がかかるのとかからないのとの両方を選べるのだったら、手数料がかからないほうを選ぶのが合理的だろう。

考えてみれば、「事務処理的なことだけをする小役人」を雇用することを名目として徴収することのできる税金などない気がする。みんな仕方なく、そういう小役人にお金を払っているのである。
だからもし金の移動に伴う摩擦(手数料)をゼロにできるのであれば、ゼロにするに越したことはない。
もちろん現状では、摩擦をゼロにすることは難しいので、小役人的仕事の需要がなくなるわけではないのだが、小役人を雇う名目で税金などを徴収することができないということが、本質的に、その手の小役人の給与が低く抑えられがちな原因になっているということは、ある気がするな。

誰も小役人の顔なんか見ちゃいない、誰も小役人の成果に期待しちゃいないってことか。
な割には、できないと叱責されて、できても褒められない。
(関連記事:「希望のない職場の労働者は低賃金になる」



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