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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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行進の謎 - 教育読本
まず、大正時代の体育教師の半数は軍隊上がりだったということ。

これはまあ、当時の国策の向いていた方向だから、あえて俺がどうこういうこともない。
しかしこれが日本の体育教師のあり方のルーツだったんだなと改めて納得。

俺が子供の頃、

「運動中は絶対水を飲むな。飲んだらよけい疲れる!」

学校ではこう言われていた。嘘じゃないぞ。みんな信じていたんだって。
軍の貧弱な補給体制を精神力で補う(ごまかすとも言う)方便だったのだろうと、
今なら思えるが、学校でもちゃんとそれを継承したんだろう。
熱中症で死人が出る昨今では考えられない話だ。

朝礼はどこでする? - 教育毒本
1.運動場  2.体育館  3.講堂または専用ホール(座席備え付け)
実はこれ、金のない順番。つまり後になるほど優れた教育環境なんだな。
3が理想的な形で、1.運動場は、実はお金がないから仕方なくそうなっているだけ。
「そんなもん朝礼は運動場でやるに決まっとろうが!」と思った児童生徒ならびに教師、君たちはごまかされているのです。
人の話を落ち着いて聞くには、屋内で椅子に座ってというのが最低限の環境だ。
なにもぜいたく言ってるんじゃない。体育とか実習とか実験とか以外の授業がみんなそうだろ?
「今日は吹雪いてビーカーの水が凍ってしまうので実験は中止します」なんて青空授業では困る。
だから学校には、3.講堂または専用ホール(座席備え付け)が最低限必要なのだ。
体育館兼講堂なんてとんでもない偽善だ

俺に言わせれば、本当にこう名乗っていいのは、ボタン1つで5分で椅子が並びます、とか、
全校生徒数百名が椅子に座って校長先生の話を聞いた5分後には体育の授業が始められます、
とかいう設備だけだ。前にステージがあるから講堂兼用なんて、おこがましくて口が腐る。

設備の整った私学で育った児童生徒は、講堂と言ったらちゃんと椅子が常設してあったり、
劇場のような布張りのシートが並んだなんとかホールで、落ち着いて先生方のお話を聞くわけだ。
学校と言うところは、毎時間の授業に始まって人の話を聞く機会がとても多い。
多いだけでなく、しっかりと人の話を聞くことはとても大切なことだ。
だから、そのための空間、環境はもっと大切にして金をかけてもいいと思うのだがどうよ。
授業時間を減らすことよりも、こういうところで心のゆとりは出てくるんだけどな。

温暖化と学校--エアコン - 教育毒本
いまどき街中でエアコンないのは公立学校だけ

金ないんだよ金。教育にお金まわさないのな。
かわいい子供達に快適な環境で勉強させようとは思わんわけ。
金ないならともかく、
「学校が地域の環境学習の拠点となるようなエコスクールを目指している」って、

このヒトたち、金あっても学校にエアコンつける気ない

さて、以上が前置き。


英語の予習:古くさくってどこが悪い - 考えるのが好きだった
教員なんて、ホントは、前に立ってるだけで良いのである。それで、生徒が勉強をすれば、良いのである。

でも、エアコン設備がないとか、全校生徒が集えるような講堂がないとか、そもそも学校内の教員数が圧倒的に足りないとか、そういう問題は、教員が前に立っているだけではまったく解決しない。

真夏に水を飲まずに何時間も運動し続けるだとか、真夏に汗だくになりながら何時間も勉強を続けるだとか、学校に金がないゆえに生まれてくるそういう類の価値を、ほんとうに価値として認めていいのだろうか。

「人間たるもの、熱中症で何度か倒れるような経験を積んでこそ一人前になるものだ」的な価値観の源泉は、整った学習環境を持たなかった古い世代の言辞であって、学習環境を整えられる余裕のあるときにまで、わざわざそういうことをするのは本末転倒ではないだろうか。

水があるのに水の飲まずに熱中症になるとか、エアコンの効いた部屋で勉強すればいいのにわざわざ汗だくになりながら勉強した結果、勉学に支障を来すようなことがもしあるのだとしたらそれこそ滑稽である。

当人からすれば、成績が芳しくない原因を、水が飲めなかったからとか、部屋の温度がまずかったからとか言って、責任を外部に転嫁できるわけであるから、当人と親や先生などの間に形成される一時的で非本質的な上下関係における軋みをやわらげることができるという意味では、そういう「滑稽なこと」にも或いは意味があるのかもしれない。

しかし、教授関係において良好な関係を結べることのほうが、勉学そのものを促進することよりも優先されなければならないような事態というのは、やはり本末転倒と言わねばならない。

水が飲めるなら水を飲んで、エアコンの効いた部屋を利用できるなら遠慮なくその部屋を利用しようではないか。
そしてそのうえで思うような成果が上がらないのだとしたら、もしかしたらその原因は自分の資質不足にあるかもという予断が頭をよぎってしまうかもしれないけれども、そういう予断に思考と判断を拘束されてしまうというのは、それもまた過誤である。
経験的な事実を直視し、本来の目的に鑑みて原因を分析する真摯な態度こそが人間とその人の主体性をはぐくむのではないか。
それをせずに、経験的な事実を直視することをせずに、安易に外部に責任を転嫁して安心してしまうのは私たちのよくない傾向である。

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