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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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「読み書きそろばん」と「基本的なしつけ」は、幼い頃に、本人の意思とは関係なくたたき込まなくてはならない、というのは、知られた常識ではないかと思いますが、そういうことが一応はできる、成人している人間に対して、本人の意思とは関係なくたたき込まなくてはならない事柄が存在する、ということは、まだ常識になっていない気がしますね。

私自身は、成人してからでも、たたき込まなくてはならない事柄が存在する、ということは、一応はそうだろうなと思っています。

たとえば、選挙権。だれに投票すべきなのか、選ぶ際に基準とすべき知識はなんなのか、ということのきちんとした知識がないと、「顔がいいから」とか、「握手してくれたから」などといった、政治遂行能力とはほとんど無関係と思われる要素に強く依存した、意思決定をしてしまいかねません。
これは、民主主義的な想定からはかけはなれた実態であり、望ましくないと考えられますので、やはり、なんとかして、たたき込まなくてはならない事柄、に相当するでしょう。

科学リテラシーもそうです。科学に対する基本的な知識が身に付いていないと、科学を装う悪徳商売人に簡単にだまされてしまいます。
だまされるだけなら本人が悪いだけ、となりそうですが、ことはそう単純ではなく、多くの場合は、そういう、科学リテラシーにとぼしい人たちがたくさんいることによって、ニセ科学的なるものが蔓延することが飛躍的に助長されているといった現実があります。

金融、或いは保険リテラシーというのもあるかもしれません。金融リテラシーがないと、自分の金銭的資産を、不当な手段でもって他人に奪われる危険性があります。

健康リテラシーというのもあるかもしれません。勉学も、仕事も、家事も、娯楽も、人間の活動は、基本的に健康あってのものです。個々人が自らもしくは周囲の人たちの健康を害するようなことをおこなっていると、その人や周りの人たちの、人間としての活動に支障を来す確率が高くなりますし、国も、医療費負担が増えるとか、生産人口が減るなどのしかたで悪影響を受ける可能性が高くなります。


要するに、

どういう商品を買うだとか、いつ寝ていつ起きるだとか、どういうところに住むだとか、どういう仕事に就くだとか、どういう本を読み、どういう娯楽をたしなみ、どういう空気を吸って、どういう人間たちの間で暮らしていくか、或いは、自分が過分に資金を持っている場合、それをどうするべきか、などなどと言ったこと、すなわち、「個々人の判断に任されるべき」というふうに考えられていることの背景には、
個々人はその判断をする能力を十分に持っている
ということが、前提として、あるわけですが、実際には、
それらの能力を十分に持っていないがために、与えられている自由を最大限に活用することができず、自らの意思で自らの破滅を招いてしまう
人々が後を絶たない現実があるわけですね。

これを避けるには、彼らから、過分な自由を取り上げるか、彼らに、その高い自由にふさわしいリテラシーを身につけて貰うかしかないわけです。


これらのことを理解している人は、(ふつうの現代人は自由を取り上げられたくないと考えますから)自然と情報に手が伸びる、自然と本に手が伸びる、わけですが ---要するに、自分に与えられている自由を運用するために最低限必要な知識や知恵や技術や術を、身につけなくてはならない、ということを自覚するから---、そうでない人は、その自覚が乏しいので、与えられたはぐれメタルの剣を自分で振り回して自分で怪我してしまうわけです。

じゃあどうすればいいか。

君ははぐれメタルの剣じゃなくてひのきの棒がお似合いだよ、誰かが言えばいいのかというとそれもまた違う。
彼のプライドに反逆することを言ったがゆえに彼を逆上させてしまう可能性があるからです。

当たり前ですよね。
「俺ははぐれメタルの剣を振り回すにふさわしい人間だ」と信じている人間が、それよりも何段階もランクの落ちるものこそ君にはふさわしいと言われたんだから当然ですよね。

ぼく思うのはね、実際に振り回して怪我したらいいと思うんですよ。致命傷にならない限り。
ただ、その最初の怪我で、自己認識が修正されるかどうか、というところですね。

1回の怪我で分かる奴と、100回怪我せんと分からん奴がいるわけです。もっとひどいのもあるかもしれませんよ。「なんかい怪我しても分からない」というやつね。
この辺りのことは、まだぼくもよく分からないんですけれども、長く生きれば生きるほど、あることを学ぶのに必要な回数は減っていくのではないだろうかと、思っています。
たとえば、幼児は100回振り回さないと分からないけれども、大人は3回で分かる、とかね。
幼児はそもそも、腕力も知識も知恵も術も乏しいですから、100回振り回しても、被害はそれほど大きくないわけです。
幼児同士のとっくみあいの喧嘩で、片方が死ぬということはないけれども、大人がそれをやったら死ぬ可能性が出てくる、というのと同じですね。

だから必要なことは、
(1)失敗する権利
、と、
(2)その際の被害を最小限に食い止めるためのバッファー(緩衝剤/緩衝装置)の整備
だと思うんですね。

で、幼児の場合は、腕力をはじめさまざまな能力が乏しいことによって、(2)が確保されているわけですが、問題は、大人でまだ学んでない奴について、(2)の条件をどう確保するか、というところではないかと思うんですよ。

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