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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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(略)

ところで、ある考えがその時代の人々のあいだに膾炙するかどうかは、ひとえに、その時代の側のレディネスがどのようであるかによって決まると言っても過言ではありません。

レディネスが整備されていれば、考えというのは放っておいても勝手に広まります。

歴史上の人物のなかにも、生前は見向きもされなかったが、生後しばらく経ってから爆発的に認められ出したというような例は枚挙にいとまがないと思いますが、これも、その時代のレディネスとは符合しない(その時代よりも何段階かあとの時代のレディネスには符合するような)考えを提示したがゆえだと思うのですね。


つまり、自分の考えが広まらないのは、なんらかの意味で、時代のレディネスに符合していないからだと考えられます。

すでに言い古されたことを言っているか(※1)、今の時代にしては斬新すぎることを言っているか、本質的に内容のないことを言っているかのどれかであると考えられます。

※1すでに言い古されていることでも、時代の側がそれを目新しさとして感知すれば、「それ」は、「レディネスに符合する、時代に受け入れられるもの」になります。
ここでいうレディネスというのは、何らかの点での目新しさを時代の側が感じるということです。
もう少し形式化して言うと、AがBに受け入れられ得るということは、AとBとの間に有機的な関連づけが成立し得るということです。
AとBとの間に有機的な関連づけが成立し得るというのは、AというものとBというものをひとまとめのものとして見たときに、単なる部分の寄せ集めにとどまらない意味が、観察者の内部に生起し得るということです。

広報活動というのは、要するに、自分の考えが受け入れられるような、時代や環境の側のレディネスを、自ら整備するという営みにほかなりません。



努力はつねに自然であるべきであるというのが私の考えで、自然体としてのたたずまいを感じさせない努力はたいてい不毛に終わることが多いと思います。

誤解を恐れずに言えば、広めるための努力をしないと広まらないようなものは、たいてい、ろくなもんじゃないです。

「なぜそれが広まらなければならないのか」をきちんと点検することをおこたる習慣のある、資金や腕力や権力に不自由することのない人間が、しばしば、この手の方法を駆使して、むりやりに広めようと画策しますが、血を見るような多くの人々からの反感を買いまくったあげくに、ほとんどの場合はリソースの無駄遣いで終わります。
そして、資金や腕力や権力が底をついてから、はじめて「点検作業をしなければいけない」ということに気づくのです。
これは、はじめから資金や権力が潤沢にある人間がしばしばおちいる罠と言えるでしょう。

初期段階において、資金や権力が不足していることは、決して慨嘆すべき要素ではありません。
むしろ、例の罠に陥りにくい状態にあるという点で好条件であると捉えるべきでしょう。



一人の人間が考えつくことは、その時々の時代のレディネスとはまったく無関係に決まります。
それゆえ、人は、その時々の時代にすぐには受け入れられないような考えや感じ方というものを少なからず持っています。
そして、そのような自分のもっぱら内的な感じ方や考えに関心がいく人といかない人がいて、関心がいく人がストレートに放つ言葉はたいてい意味不明なものになります

意味不明でない仕方で人々に受け入れられ、自らと自らの周りの人々と時代の進展とに寄与するには、自分の考えや感じ方を、じょうずに小出しにする努力が必要です。

それは出口の弁を調節する努力、ダダ漏れになっているものを絞る努力であって、「1のものを2にする」とかそういう線形延長的な努力でもなければ、「無から有を生み出す」と言った神がかった努力でもないのですね。
ダダ漏れになっている状態では意味をなさないものが、絞りをうまく調節することで意味をなすものになるということが多々あります。


どういうことを考えついてしまうか、どういうことを感じてしまうかが、あらゆる思考や行動の原点になり得ます。
それゆえ、そのことは、その人自身のアイデンティティを根源的なところで規定しています。
いかなる人も、その人の「感じてしまうこと」や「考えてしまうこと」からは自由ではないのです。だから、その自由ではない部分が、その人自体を特徴づけます。
その人がその人らしく生きるというのは、とどのつまり、「その人の内部にある、その人には自由にならない部分」にそのつど依拠する生き方を周りの人たちから承認されるということにほかなりません。





自分の考えを「広める」ということは、「協力者が増える」ということを意味します。

協力者が増えれば、より広まりやすくなります。

つまり、「最初の一漕ぎ」が一番大変なわけですが、この「最初の一漕ぎ」が、なかなか開始されないとすれば、それはどのような原因によってであると考えるのがいいのでしょうか。

表現方法がまずい中身がまずい。いろいろ理由はあるでしょうが、私は、時代の側のレディネスが整備されていないからではないかということも、頭の片隅に置いておくべきなのではないかと思います。

自分自身が、時代の側のレディネスを、自分の考えや感じ方が受け入れられるほどに十分に整備することができるのか、ということを問うたときに、「無い」という結論がもし出るのであれば、どうします?

そこなんですよね。


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