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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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法との付き合い方を教えてはどうか#com5 より

以前、都立航空高専の非常勤講師をしたことがあるんですが、採用の時に、条例を遵守し云々、といったことが書かれた紙に署名して宣誓することを求められました。それで、条例の条文を見せろ、とやったことがあります。事務の人が都条例の分厚いファイルを持ってきました。大体どの辺のことを想定しているのかがわからないと、宣誓するわけにいかないですから。


江戸時代以前、日本では、刑法は成文法でなかったらしい。
「なんか良くわからんけれど、悪いことをしたら暗いところにいれられる」ということだったらしい。
なんとなくわかる。
そのほうが効果がありそうだ。
なまじ「これとこれとこれはやってはいけない」と言うと、「じゃあ、これとこれとこれ以外はやって良いんだな。へへ」という風に解釈する輩が必ず出てくるからだ。

では、成文法が基本の現在においては、かつての司法側の方策は通用しないのかというと、実はそうでもないのではないかというのが、今回の主題である。

法体系が成文化されていても、量が厖大であれば、事実上全部読むことは不可能となり、読めなかった部分については、「推測する」しかなくなる。

そういう事例は、なにも高専採用時にだけ起こるわけではない。ソフトウェアのインストール時に出てくる、チョー長い同意書をはじめ、「厖大すぎて読む気がしない契約書」は私たちの身近にあふれている。

それでも私たちが「それほど困らずに」「ある程度」やっていけるのは、読まなかった部分について、ある程度適切に推測ができているからである。
ここへきて、江戸時代以前より私たちの祖先がおこなっていたであろう「推測の技法」、すなわち、「なにをやったらしばかれんのか」ということに関する察知能力が、今もなお、ふんだんに発揮されている証拠であると言えよう。

契約社会はまやかしか。
日本には、契約社会を形だけ導入しても、実質的には導入できなかったということか…。
まあもっとも、「厖大すぎて読む気がしない契約書」に圧倒される経験は、なにも日本固有のものではないだろうけれど。

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