@heis.blog101.fc2.com

分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
http://hisamatomoki.blog112.fc2.com/blog-entry-464.html
> > yamuyam 警察を盲目的に信用するのも危険だけど、己の主義主張のためには多少の違法行為もやむを得ないという考え方も同じくらい危険かな
> まぁ、この言葉に尽きるかと。

どっちの危険さのほうがより危険なのかを決めることは、できるのだろうかできないのだろうか?

まあ、そりゃ、或る条件を仮定すればできるんだろうけれど、「じゃあそれってどんな条件?」みたいな。




> > 例えば、小学1年生には「1-2(いちひくに)はできません。小さい数から大きい数をひくことはできないよ」とウソを教えることが妥当ですよにゃ。小学校低学年のうちは自然数概念を操ることを教えればよく、整数だの無理数だのというものを教えることは不適当。ガキの理解力にあわせて数の概念を教えるということは、要するにウソを教えていくということなんですよにゃ。
> いや、それウソじゃないので^^;
> 数の概念をどこまで拡張しているかの問題なので、ウソではないんです。
> 演算とは、その集合において定義されるので、自然数とゼロくらいしかその概念を持たない小学1年生では、1-2は(定義)できないと教えるのは至極真っ当でウソは一切ついていません。同じように、有理数まで拡張していなければ割り算も割り切れる数でしか定義できませんし、複素数まで拡張しなければx^2=-5のxは「解なし」(=定義できない)になるんです(この辺りは高校行けば誰でも味わうことかと)。
> なので、この件について「1-2はできませんというウソ」を引き合いに出すのは、これらの理由から不適当だと思うので、別のたとえ話に変えたほうがいいと思います。

ウソという言葉の定義が、猫さんと久間さんで微妙に違っているから、こういう論議になる気がする。

「「1引く2」はできません」は、小学校レベルの仮定(公理系)のなかでは真実だけれど、中学校以降のそれでは偽になる。

「「1引く2」はできません」が真か偽かは、ひとえにどういう仮定を採用するかに依っている。

仮定同士の間に偉さがあって、「中学校レベルの仮定のほうが小学校レベルの仮定よりイイんだぜ」ということが言えるのであれば、猫さんの主張は、まあそれなりに分があると言えるのかもしれない。

でも、数学は自由なので、どっちの仮定のほうが偉いかを言うことはふつうなかなかできない。
(「こっちのほうが美しいからこっちのほうが偉い」とかは言えるかもしれないけれど、美の判定基準は主観的なものである)

どっちの仮定のほうが偉いかを言いたければ、数学よりも不自由な自然科学を持ち出すのがいい気がする。

「「1引く2」はできません」に代表されるような命題を真ならしめるような仮定が、「美しくない仮定だからダメ」と客観的に言うことはできないが、「自然科学の観測結果と整合しないような仮定だからダメ」と客観的に言うことは、まあできる気がする。



ああ、あと、ウソであるかどうかの根拠は、仮定の妥当性に求める方法以外にも、許可されている性質かどうかというところに求めるという方法も、ないわけではないな。

1+2+3という計算を、2+3を先にやることが許可されているかどうかというか。
2次方程式の解の公式を習っていないうちから使うと先生にバツされるとか、そういうレベルの話。

ああでも、許可されている性質かどうかということと、許可されている仮定かどうかということで、本質的になにか違うのかねえ?

そもそも、「許可されている」という表現が、多分に喧嘩売ってる表現なんだよね。
より誠実には(笑)、「発見されている」という表現でいくべきだろうな。

ある性質またはある仮定を立てると嬉しいよということは、お前の内的世界においては「発見されている」のかもしれないが、「私たち」が共有している世界においては、まだ、発見されていないことになっている。だから、そういう、私たちによってまだ未発見の性質や仮定を使うことは、私たちのなかではやってはいけない ---- というようなルールには、一定の妥当性がある気がする。「勉強とは一人一人がやるものではなく私たち全員でやっていくものだ」というような原則があることが必要だけれども。

ああ、なんかどんどん話がそれていくな(笑)。

「「お前」は習ってるのかもしれないけど、「私たち」はまだ習っていないので、それ(上の例でいけば結合則や解の公式)は使ってはいけない」というルールは、けっこう馬鹿げたルールだよなって、これまでずっと思ってたけど(いわゆる「学校ルール」)、このルールがあることによって誰が得をするのか、このルールがあることによって救われる子というのはどんな子か、このルールがないとどういうかたちで困ったことが噴出するのか、このルールがないと先生はどう困るか、このルールの存在不存在が小中高的な勉強と大学的な勉強を決定的に区分けしているという可能性についてはどうかとか、このへんの話は、もうちょっと吟味する必要があるな。

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://heis.blog101.fc2.com/tb.php/145-76e1ccdc
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。