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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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ここのところ、現在の学校教育における、ランカスター方式の一斉授業の弊害を指摘し、寺子屋式に切り換えることのメリットを再三指摘してきていたが、一つ指摘し忘れていることがあるように思う。
それは、集団生活というものを学習するということである。
飯を食いたいと思ったときに飯が食えず、睡眠を取りたいと思ったときに睡眠を取ることができない。
こういった事況は、集団生活に特有のものである。


ところで、このような集団生活についての特徴を述べると、必ず出てくるのが、軍隊式への回帰が戦前への回帰を想起させるがゆえの憂慮という問題である。
そこでもの申したいのであるが、集団生活と軍隊生活は果たして同一であろうか。
集団生活の全要素から、軍隊生活のそれらを引き算したところに何も残らないと断じて問題ないのであろうか。
私はそうは思わない。
集団生活への回帰が軍隊生活のそれをいたずらに過剰に想起せしめるのは、軍隊式のそれがもたらした惨禍についての強い憤りを感じている人々が、集団生活それ自体が有する恩沢に対していささか盲目的になっているに過ぎないところが大ではないか。

人間生活とはもとより集団生活である。
集団生活に浸ることによってのみ学ぶことのできることを、かつて寺子屋方式に浴していた子どもたちは、地域社会からの、学びと名付けられざる学びによって、それを学習していたのではなかろうか。
そのように考えると、どうも、こんにちにおける学校教育ということが有する幾つかの問題に対峙するとき、ランカスター方式を一律に寺子屋方式に切り換えるだけでは解決の付かない問題がそこにはあるように感ぜられるのである。


さらに申し上げるならば、これに加えて、私たちには、工場労働者の育成としての教育という側面をどう考えるかという要素から自由になることはできない、といったことがある。
集団生活、工場労働者としての生活、軍隊生活、地域社会における生活、そして寺子屋。そしてこんにちにおいて特徴的な、個々人の能力にその生産性の有無が大きく左右される知識労働者的な生活。
こういったおのおののコミュニティの特色が、どのような興亡を果たしてきているかということの考察抜きには、これからの学校教育の在り方を考えることはできないような気がしてきているのである。
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