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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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私、中卒でもいいよ、勉強がそんなに好きじゃないから。 - 北沢かえるの働けば自由になる日記

一応、娘のスペックを書いておくと、バレエをやっているお陰で、えらくスタイルがいい。芸能人で言えば、数年前の蒼井優に似ているかなぁ。奈良未智の絵に似ていると幼児のころに言われた。親の目ではなく、仕事の目で見ても、かなり、カワイイ方だと思うんだが。

学校では、できない子ではないが、できる子でもないってとこかな。「もうちょっと努力しろよぉ」と親としては歯がゆい感じ


ありますよねー、そういうの。


世の多数派である庶民の親は、なにも金かけなくても、ユニクロクラスでいいだろと。

同意、同意。


カジュアルブランドはいろいろあるから、こぎれいにまとめるのは難しくないし、それなりの金でどうにでもなる。そういうテクニックは普及した気がする。

格安でそれなりの服装をするテクみたいなのは、結構広まってるし、実際にそれを実践してるっぽい人も街でよく見かけるし、ああ、こういうのが多数派というか、結構な人数いるよなってのは、思いますね。
もちろん、ファッショナブルな人が減ったというわけではないけれども、少なくとも、ファッションにそんなに拘りたくない人が、拘りたい人たちに半ば強制されるかたちで、割きたくもないことに限りあるエネルギーを投入しないといけない、というようなことは、一時期と比べたら減った、という気はしますね。
そして、そういうのに、ユニクロとかが、多大なる貢献をしているであろうと、その、インフラ整備的な部分においてね、貢献をしているであろうと、そういうことは、感じますねー。


娘の将来については、とりあえず、塾に行かせて、成績がどの程度伸びるものか、見て判断しようとは思うが、中学を卒業する辺りからはどういう道を勧めたらいいのやら、よくわからない。

大部分の親御さんは、そうではないかと、思います。


「私、中卒でもいいよ。勉強がそんな好きじゃないから」

って言われてもさぁ。夫は20を前に師匠と弟子という関係で業界に入り、私も一瞬はまともな就職したが、その後は専門外のことばっかやってて、潜在的失業者を続けているわけでw。イメージがないんだなぁ、まっとうな進学とか、まっとうな就職とか。

っても普通のご家庭でも、わからないだろうね。

イマドキの親たちは子どもらに語る言葉がない気がする。ここんとこの経済状況を見ていると、なんの罪がなくても失業しちまいそうだし。やっと大学卒業しても内定取り消しになっちまうようだし。

「なんとなく進学したら、なんとなく幸せな生活になるんじゃね~?」

って言うぐらいじゃ、夜遅くまで、週5日も塾には通えねぇよなぁ。

まったくその通りですね。
よく、お子さんを餌で釣って勉強させる親御さんがおられますが --- 今度のテスト90点以上だったら、あんたがほしがってた○○買ったげる、の類--- ああいう動機付けで勉強してきた子であればあるほど、「なんとなく」では、勉強しづらい、でしょうねぇ…。


中学受験を積極的にやろうとする子どもらって、なにをやる気の種としているのかなぁ。

まあ、「親が(塾に)行かせてる」ってケースが一番多いんですけれども、親の熱意とは無関係に、子どもの受験勉強に対する積極性、というのは決まっている、気がいたしますね。
いや、「熱意とは無関係」と言ってしまうと語弊がありますな。
結局、その、親が、「子どもの勉学意欲を金でコントロールできる」と考えていればいるほど、そういう親の熱意とは無関係に、かかる積極性は決まってくる、という側面は多分にある、気がいたしますね。
「子どもを塾に投げ込んでおけば、塾の人が子どもを育ててくれる」という宗教を信じていると言いますか(いや、実際こういうケースが一番多いように思うんですけどね。その理由は「だって、あたし勉強みれないもん。」の一言に集約されるのでないかと思いますが)、そういう、ところですね。それがダメだと、否定するつもりはないんですけれどもね。

少々ややこしいことを申し上げますと、その、勉強そのものの有用性を、なんとなく直観することのできるお子さんは、勉強そのものを楽しんでしまう、がゆえに、中学受験勉強を積極的にやってしまう、ということは、多分に効いている、と、思いますね。


というか、エリートでない子たち、学費をたいしてかけてもらえず、学力もそんな高くない、普通の子って、どうしたら楽しく生きられるのだろうか。特に、女。どうしたら、効率的に“幸福”を手に入れることができるのだろうかね。

これはその、最も需要の高い言明・問いではないかと思いますが(笑)、ざっくりと申し上げますとね、「大阪のおばちゃん」風味か、或いは、「キャリアウーマン」風味か、このどちらのほうが、自分に、合っているだろうか、それを吟味してですね、判断なさるのが、いいのではないかと、思うんですね。
あの、これを取り巻く最も本質的な問題は何かと申しますと、それは、「経済的に夫に依存して生きていくか、それとも、依存しないで生きていくか」というところだと思うんですよね。
よく言われるのがその、40歳くらいになってですね、その、「離婚したいんだけれども離婚できない、なぜなら私一人では金が云々」という例ですね。

その、民俗的な縛り、無意識的に個々人に実装されていた縛り、というものが、顕在化してきていて、かつそれを意識的に操作すること自体が、異文化コミュニケーションの最も基本的な土台であると、そういうふうに考えてきた人たちが、増えてきて、或る程度のマジョリティを構成するに至ったのが、こんにちの、その、20世紀後半の後半、から、21世紀初頭に掛けての、最もインパクトの強い「転換」の一つ、コミュニケーションを取り巻く在り方のコペルニクス的転回の一つ、として位置づけるのが自然である気がするんですね。
そういうなかにあってですね、女性というものが、どの程度、自立すべきなのか、といった、倫理学的な問題が、これはたぶんかつては問題にならなかったんですよ、いまから100年前は問題にならなかったんですよ、そういうものが問題になってくることでですね、各人にその判断がゆだねられている状況と言いますか、そういうのがあると思うんですね。
これは、ちょっと前まではなかったんですよ。いや、ほんとに。各人にその判断がゆだねられることはなく、その判断は、もっと強権者的な誰か、の手中に握られていたわけです。ところが、「なぜその強権者的な誰かはそれを握る資格があるのか」ということが問われ続けていくなかでですね、あるいはまた、個々人は生まれながらにして同じ権利を有する、という感覚が定着してゆくにつれてですね、いやおうなく、その判断を、各個々人が、担わざるを得なくなってきた、その各個々人以外に、どこにもその責を転送する宛先がなくなってきた、これまでは、ほかにも宛先があるとごまかしてたんだけれども、論理に強い奴らがそれをあばくにつれね、「個々人に帰するより他はない」という合意が形成されてきたというのが、こんにちの女性の幸福感をとりまく現状を鳥瞰するに当たって、まずは踏まえておかなければならないポイント、であると思うんですね。


とりあえず、age嬢とか、苦労はしていても、自分の道を歩いている実感がありそうだし、少なくとも食べているし、彼女らなりの言葉があるから、共感しそうだよな~。娘らは。ティーンズ誌全体がこんなキラキラなage嬢みたいだってのは、単にファッションの好みだけじゃない、エリートではない普通の子たちの生き方として、憧れられる要素がなんかがありそうな気がするんだが。

まさしく核心を突いた言明であると思うんですけれどもね。そう。単にファッションの好みだけではない、普通の子たちの生き方としてあこがれられるような要素がそこにはある、というやつですね。
要はその、個々人の共感性の多寡がどこに照準されるか、もうちょっと別の表現をすると、個々人の気分が、だれの気分にもっとも近いか、メディアを含めた自分たちの周りにいる人間たちのうちの、どこにいる人たちに最も、自分の気分は近いのか。そういう問いを無意識的に精査・回答していった結果が、彼女たちのキラキラに対する憧憬を帰結している、のではないかと思いますね。


ホント、「女の幸せ」ってなんでしょうかね。

「プ●ジデント」の家族版とかを読んで、実践できればさ、苦労ないんだよw。


たぶん、そういうのを読まなくても「女の幸せとは何か」に対する或る程度の回答を下せる人、下している人は、すでにして或る程度幸せなんでしょうね。それを本人が自覚しているかどうかは別としてね。


本気で「中卒で働こう」と思っている節もあるんだな。

それはそれで立派なことだと思うんですよね。なんとなく流されて高校に行っちゃう、というような人が多い中でですね、「家庭状況等が破綻しているがゆえに高校にいくかどうかの決定をすることすらままならないがゆえに高校に行かないという選択を結果的に強いられてしまう子たち」でない子たちが、15歳にしてね、「俺は高校にいかない」という判断ができるというのは、それが誰かの入れ知恵を鵜呑みにした結果ではないと仮定する限りにおいて、やっぱりすばらしいものではないかと、思いますね。


大学がなにをしているところか、想像つかないようだし、勉強したことが職業にどう結びつくかが、まだ理解できていないってのもあるんだが。

その、想像がつかないのは、ほとんどの子どもたちにおいて言えることであってね、むしろそれよりも重要なのは、「想像がつかないんだけれどもなんとなく言ってみたい」と思うか、そうは思わないか、の違いだと思うんですね。


学校で勉強をしている限りは、勉強の楽しさとか、大切さとか、我慢してやるとかは、身につきにくい気がするなぁ。親の教え方もよくないんだろうが、世の風潮として「学問の価値」みたいなもんが軽んじられているのかもな。「知識」はクイズ番組で役に立つが、その知識を基にしての「思考」や「考察」についてまでは踏み込めていないみたいな。

あのー、それは多分にあってですね、極論っぽく言ってしまうとね、「一斉授業は楽しくないもの」なんですよ。一斉授業をして楽しめるのはたぶん数%、だと思いますね。だから、子どもたちが、一斉授業を聴く子どもたちが、どうやってこれに対処するか、ということはですね、むしろ子どもたちの適応能力のほうが優れていて、たとえば、授業中にほとんど独習のような感じで授業に臨んじゃう子が出現してくる一方で(←これは大学の授業の聴講において適応した人であると言うことができるかな)、いわゆるその、テレビとして授業を受け止めている大多数の子たちにおいては、自分がたまたまその数%になれた場合には目を輝かせるけれども、なれない場合にはついウトウトしてしまう。こういうことが、全国の、高校、中学、などでですね、同時多発的に見られる常態、なんではないかと、思いますね。
だから一部の先生はこれに工夫をしてですね、「芸人肌を目指す」と、いう方向になってくるわけです。最もいいのは、現状の一斉授業という形態を踏襲しつつ、個々人の独習を実際的にはやる、やらせる方向に導くというのが、現状の制度のなかでの最適解、に近いのかなという気はしますけどね。

一番理想的なのはそれこそ文科省が崩壊してね、教育における中央集権体制が実質上機能しなくなってね、江戸以前の寺子屋方式に事実上なってね、中卒であるとか高卒であるとか大卒であるとか、そういうフィルタリングを利用することがほとんど価値をなさなくなる、という時代がくればですね、また「学校で勉強する」ということの意義も、変遷してゆくのではないかなと、思いますね。

たぶん、このように体制が転換するに当たってはですね、現実的には、「事実上の崩壊」というターニングポイントを経由するかたちにはなると思うんですね。いわゆるその「裸の王様モデル」の比喩で語りうるというか、文科省等省庁は絶対に、自分たちから自発的に権益を手放す、ということはしないでしょうから、事実上、だれかが、内部に入り込んでですね、シロアリが家屋を食い尽くすがごとく、形式的には維持されているけれども内部的には崩壊している、という状況を既成事実として実際につくりだして、それを、草の根的メディアを通じてバーンと公開しちゃう。裸にされた元権益保持者は、最後まで「俺は服を着ている」って言い張ると思うんだけれども、やがてその虚勢も「世論によるまごうことなき否認」という事実を経由して、倒壊せられてゆく、というストーリーに、なる気は致しますね。
ま、シロアリが現実世界の何に対応するのかというのは興味のあるところではありますけれども(笑)。


クイズ番組もまあ基本的には「6歳児にでも分かる価値観」に訴えるものでありますから、それはしかたなくて、でもその、そういうイデオロギッシュな価値観を生命線として必要とするメディアは、これから数十年をかけて需要がなくなっていく、という傾向が出てくるとは思いますから、まあいま個々人ができることというのは、「たまにそういう番組をみてワハハと笑えればそれでいいじゃん」とは思いますけどね。
あるいはその、クイズの答えの説明が不十分であると思われるような場合であってもですね、それをきっかけとして、より詳しいメディアを探索してみようという意欲が触発されるのであれば、その低級なクイズ番組にも意義はあったのだと言うことになりますから、あながちはなから侮ることは当たらないですね。


職業のイメージについては、「14歳のハローワーク」とかも読んだみたいだけど
「お母さんの仕事、先ないね」
とか言われて、うひぃいいいいいい。秘孔を突かれた。
わかったよ、成功のロールモデルがないってことだね、キミの周囲には。

(微笑)(苦笑)。
あのー、例えばね、その、いまちょっと前に薬学部創設のラッシュが続きましたけれども、そういう現象の動因がね、そういうお母さん及びそういうお母さん予備群を、薬局に就職させるための供給喚起としての役割を担わすことが企図されているというところにあるのだとしたらね、またこれも、いろいろと考えてしまいーますね(笑)。

現状ね、実際問題としてね、或る程度の、知識、技術、それなりに経済的需要のある知識、技術を大学その他趣味等あたりで身につけた人たちは、たとえば、塾の先生とかね、絵画教室だとかね、書道教室だとかね、そろばん教室だとかね、そういうのを独自に始められる、もしくはそういうのをすでにやっているところの先生として働き出す、というようなケースがある一方でですね、「それほどでもない」という人は、たとえばその、公文の先生とか、そういう道もありますよね(なんだか子ども相手の職業ばっかりだなw)。さらにそれすらも、となってくるとね、次は、小売店の販売員のパート、というのが、至極現実的な選択肢として浮上してくる、というところはありますね。文房具屋、スーパーマーケット、そしてコンビニですか。まあ内職の仕事や部品製造でもいいんですけれども、基本的には、新聞の折り込みチラシにある仕事案内の需要に応答するというフレームワークから脱出することはないわけですね。分かりますかね。新聞の折り込みチラシに総理大臣の募集はないわけです。「あなたも国会議員になりませんか?」とかいう募集はまず無いわけです。たとえばそういうことですね。

もちろんだから、あれですよ、こういうフレームワークを、そういう女性たちが積極的に脱出していくべきなのかどうか、という問題は、もちろん残りますよ。いまはとりあえず、この問題は保留してるわけですね。

そういう意味では、これもちょっと前に別のところで言ったんですけれども、戦後すぐくらいの時期における最も女性差別の少ない職場というのは、おそらく幼小中高の教員であったろうということは、言えるでしょうね。なんちゃらgo.jpにある統計データのなかにもたしかそのことを裏付ける資料があったはずです。
まあ戦後すぐくらいの混乱期においては、それこそあれですよ、大卒の教員のほうが少数派、であったようなところがあるわけですから ---助教諭という懐かしい言葉がありますね---、そういう文化的背景を参照することを以てしても、地域社会に密着した、学校の先生、ないしはそれに準じる、日常的に子どもたちの「おもり」をする役割を担ってきた人たち、ですね、そういう「労働」を、自然としていた人たち、というのは、子どもから見てね、一つの成功のロールモデルであったという気はいたしますね。でなかったなら、なぜ、小学生辺りの「なりたい職業ランキング」の上位に、学校の先生とか保育士さんとか幼稚園の先生とかが食い込んでくるのかの説明が付かないじゃないですか。だからこれは一つの指標になるんですね。日経平均株価というものが、現在の経済状況を俯瞰するうえにおいて一つの指標になるのと同じように、小学生辺りの「なりたい職業ランキング」の変遷を参照することは、非常に意味のあることなんですね。
そう、だから、女の子たちの成功のロールモデルが何かということを知りたければ、まずそういう指標を飽きるほど眺めてみるところから始めるのがやりやすいんではないかと思いますね。それこそ、衆愚に迎合的なお受験雑誌を読みまくるよりもずっと有益だと思われますね。

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