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分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
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身勝手な働く母親として、身にしみる新たな罪の意識について――フィナンシャル・タイムズ
この報告によると、英国の子供にとって最大のリスクは親の身勝手だという。英国の親たちは身勝手に、自分自身の成功を最優先して追及しているというのだ。今の大人が「個」の人格として自分の自己実現や満足を追及するあまり、今の子供たちは数世代前の子供に比べて、幸せではないというのだ。

この報告書は予想どおり先週、英国メディアを通じて大騒ぎを巻き起こした。社会的保守層は大喜びで大賛成。みんながみんな核家族で暮らし、女性はケーキを焼き、誰もが幸せそのものだった1950年代に時計を戻すべきだと。一方で社会的リベラルたちは激怒して、女性コラムニストたちは「子供たちは幸せだ」と(以前の私のように)力説。報告書をズタボロに批判し、説教臭いでたらめだと決めつけ、その中身に耳を閉ざした。

私だって同じくらい、この報告書の結論は嫌いだ。けれどもそうそう簡単に一蹴することもできない。普段だったら私は、働くお母さんたちを批判する内容のものは無視すると決めている。罪の意識は居心地が悪いし、無益だからだ。けれども今回の報告書が使っていたあるひとつの単語が、私の頭にこびりついて離れないのだ。その単語とは、「身勝手」

奇妙と思われるかもしれないが、働くことが「身勝手」だなんて、私は考えたこともなかった。一生懸命に働くのは、お金をもうけるためでもあるし、自分を伸ばすためでもあるし、刺激的だから。つまり、悪いことではないはずだ。フィッシュ・フィンガー(細長い魚のフライ)を揚げるかわりにこっそりマニキュアに行くのはわがままで身勝手なことだが、パソコンを前にガリガリ働くのは決して身勝手などではない

子どもを職場に連れていけ! 労働世界と育児世界の分離がもたらした大いなる不幸と非効率が、こんにちの、女性の社会進出をはばんでいるんだ。
え? 子どもは手が掛かるって? 大人だって手がかかる奴はかかる。子どもに限った話ではない。

あのさあ、教育も含めて、育児だけやる人ってのは基本的に不要だと思うんだ。しいて言えば爺婆だけがそういうことをやっていればよい。

育児する時間がなければ働く時間と育児する時間がかぶっていればいいわけだ。でもなかなかそういうふうにはできないのはなんでかって言うと、「子どもを職場に連れて行くことは、職場の規定に反することだから」とか、「そもそもそういうのは常識じゃないから」とか、「おもらしとか泣きわめくとか、子どもが社会的に非常識に振る舞うことによって自分や他人の仕事に迷惑がかかったら俺のせいになるから」とか、「仕事中にどうせ遊んで遊んでって言われるに決まっている、でも仕事中だから遊べない」とか、そういう意見が飛んできそうな気がしますけれども、これらにはすべて私は即答する用意があります。


(1)子どもを連れて行くのは職場の規定に反するから

そうですね。特に組織がでかいと、なんで子どもを連れてくる必要があるのか、を、きちんと上層部に納得させるまでにものすごく時間がかかっちゃうという問題があります。
そういう場合は、そういう、でかい職場からはさっさと足を引くか、こっそりやるかの二択になるでしょう。こっそりやるにしても一人でやると心理的ハードルが高いので、職場の同じような問題を抱えた人たちと組になってやるのがいいと思います。子どもを連れてくることの有用性、有益性を実践をもって示してやるのです。


(2)そもそもそういうのは常識じゃないから

常識であることばかりを遂行する結果として、こんにち、上記の引用部で考えられているような問題が浮上しているように思います。ここ以外に原因があると言うのならその原因の場所を教えてください。私は「そこ」に原因があると思っているので、「そこ」を変えることをもって、つまり、既存の常識の弊害ある部分を変えることをもって、問題の解決を図ろうとたくらむ所存です。


(3)おもらしとか泣きわめくとか、子どもが社会的に非常識に振る舞うことによって自分や他人の仕事に迷惑がかかってしまう

お子さんが乳幼児とかなら別ですが、そうではない場合、つまり2歳や3歳くらいになると、子どももある程度の常識を身につけていきます。何が食べられるのか何が食べられないのかとかね。その、子どもが身につけている「あどけない常識」をどうか尊重してあげてください。子どもだけが非常識に振る舞うのではありません。大人だって非常識に振る舞います。
(ちょっと言葉足らずですね。また書きます)


(4)仕事中にどうせ遊んで遊んでって言われるに決まっている、でも仕事中だから遊べない

そうかなあ。そういう場合もあるけどそうじゃない場合もあるでしょ? どうしたら、その「そうじゃない場合のパターン」に持ち込めるのか、っていうふうに考えて実践していけば、次第に「そうじゃない場合」が増えてくるんじゃないかな。


まだまだいろんな意見があると思いますが、とりあえずはこんなところで。
まあなんというか、私の言いたいことはその、ほら、炊飯器も洗濯機もなくて、家事が肉体労働だった時代、母親は、日々、肉体労働である家事に従事しつつ、同時並行で育児もやっていたんですね。あるいは第一次産業が主な職業だった時代、農業をやってたときでは、父ちゃんの仕事を見る機会というのが、いまよりもずっとずっと豊富にあったと思うんですよね。いま、それが切り離されている。分離されている。それから来る不幸っていうのが、こんにちのぼくたちの首を絞めている、気はしますね。


みんなが子どもを職場に連れてくるようになれば、そうやって集まった子どもたち同士で遊ぶようになっていくだろうし、そうなってくると、子どもも、「父ちゃん父ちゃん、遊んでよ」と来なくなる。
なんというか、こんにちは、「子どもの関心を親である自分以外のものに向くようにし向けるための手段」として、とりあえずテレビを見させておく、ということしか思いつけない親が増えすぎているということがあって(←つまり頭を使ってない)、だから、テレビなんちゃら症候群とかも出てくるわけですね。

コメント
この記事へのコメント
えーまぁ・・・・社会見学という実体験が日本にはあってですな・・・・
それはともかく、そっちよりもどこの国も(アメリカは比較的ゆるめですが)年代間の隔絶というのは起こりうる訳です。日本において卑近的な例を挙げるなら、本来子供の遊び場であるはずの公園を、老人が占拠して「子供の嬌声が騒々しい」という事で子供を立ち入り禁止にしたりする例がある。本来人間同士のコミュニティは奇麗事だけじゃ運営できない。それを次世代に語り継ぐ手段が現在は失われてるんですよね。
自分としての結論はですね、「分別のない大人が増えすぎた結果、道理を学べない子供が増えただけ」ですわな。
2009/02/28(土) 18:55 | URL | kaiou #uS2JIe22[ 編集]
> 子供の遊び場であるはずの公園を、老人が占拠して「子供の嬌声が騒々しい」という事で子供を立ち入り禁止にしたりする

たしかにこれは、分別のない大人の例ですね。

でも、昔の人間がみんな分別があったかというと、それは怪しい。
貧しかったから地域社会にすし詰めになっており、互いににこにこしていないと生活できなかったということもある気がします。
2009/02/28(土) 22:31 | URL | heis101(管理人) #QyEQ/AbM[ 編集]
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