分かり合えなくてもいいんだ。なぜ分かり合えないかが分かりさえすれば…
--- お知らせ ---

最近はtwitterにいます。ブログを書くよりも手軽なので。たぶんそれが理由で、ブログの更新頻度が落ちています。
あと、コンタクトはtwitterが一番はやいと思います。従来通りメールフォームを通じてコンタクトくださる場合で、かつ返事が必要な場合は、返事用のメールフォームをご用意ください。メールアドレスでは返信いたしかねます。また、必ず返信できるとも限りません。なにとぞご了承ください。(以上、2009.6頃の記述)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
http://www.wasedajuku.com/wasemaga/unipro-note/2009/06/post_451.html

リベラル・アーツについて書いた記事がホッテントリ入りしている。はっきり申し上げて、茶番だなと思う。記事そのものではなく、リベラル・アーツの本義が「商品」として、顧客のお眼鏡にかなうように加工されてゆく「さま」とその「加工品」が茶番だと言うのである。
[「このような人材を育てたい」という昔の夢を捨てきれない教師たちは、学生の勉学意欲を積極的に剥奪している]の続きを読む
スポンサーサイト
注意:以下の文章には不備があります。たぶんあとで追記などのかたちで修正します。以下の文章をあまり真に受けすぎないようにしてください。なおこの但し書きは修正後消します。




アウトライン。

全貌を見るために必要なことは何?
締め切りに追われてばかりいると、いつのまにか、無意味な仕事を延々と繰り返すスパイラルに陥ってしまうかもよ。それでもいいの?
締め切りに追われないためにはどうすればいいのだろうか
目的があれば頑張れる? じゃあ人殺しが目的だったらお前は人を殺すのか?
「私には謝意がありません。」という“誠実な”対応
子どもの「なんで勉強しなくちゃいけないの?」に答えてはいけないということと矛盾するのでは?


長文注意。以下にアウトラインを書く。

なぜを問わない人間は「非対等性」という前提を信奉している
なぜを問う人間は「経験」の語義を書き換えてしまう
上司と部下の関係は一時的な関係?普遍的な関係?
公理の変更に恐怖に感じる?感じない?
幼児が「立場の交代可能性」をいつどのようにして獲得するかというところにヒントはある
「自分には直接関係のない立場」の人たちが繰り出してくるさまざまな命題をどう扱うべきか



長文注意。

とりあえず長文のエッセンスだけを箇条書きするとこんな感じ。


(Q1)子育てという楽しい営みは女性が独占してきたのか?

(A1)「子育てという重要で楽しい営み」という発想そのものが男性中心社会の思想

○全体が見えていない男の利己的な行動が、傍目には利他的な功労者として映ることが有り得る
○利他的な行動を説明する原理は、男と女で違う可能性がある
○男は「支配」することに満足を覚えるのに対し(「ふはははは、世界は私のものだ」)、女は「共感」することに満足感を覚える(「ちょっと奥さん、これ見てみてよー」「ねえ聞いてよ、うちの上司ったらひどいのよ」)
世界征服が夢である典型的な男性は、本質的に孤独な世界を生きている
・「世界平和」という自己満足と、「世界征服」という自己満足は、根源的には同一の満足感なのではないか

男性中心社会的な思想に基づく行動は、「傍目には利他的な功労者に映る」ことがある一方で、「残忍で非道な侵略者として映る」こともある
○女性たちが日常生活を守るために手に入れた裁量権は男性中心主義的な思想もセットになっていた
○権力争いに熱中している男たちの命やその勝敗やゲームそれ自体が、家庭で「子育て」や「スーパーや公園での井戸端会議」に熱中している女性たちから、自分たちのゲームの楽しみを妨害されることが「悲劇」を引き起こす可能性はほぼゼロ
○妨害要因を排除するために取った行動が、「その妨害要因を繰り出している対象の価値観に自分自身が浸潤される」ということを経ずして達成されることは有り得ない
共感それ自体に満足感を覚えられる典型的な女性は、「相手の立場に立って物事を考える」訓練を普段から意識していないところで積んでいる。一方、権力争いにばっかり熱中して、そういう訓練をあまり積んでいない典型的な男性にとっては、「相手の立場に立って物事を考える」こと自体が大きなコスト
○女性にとってもスーパーマリオブラザーズは面白い。でも、典型的な男性たちほどには狂信的にハマりはしない。
○「全体が見えている」女性にとっては、「権力争いのほうに主眼が移ってしまって当初の目的を見失ってしまう可能性」が男性よりもずっとずっと低い
「俺、専業主夫なんだ。」って胸張って言える度は、「あたし、キャリアウーマンなのよ」って胸張って言える度と、果たして同じか?


(Q2)科学的な議論はときに人を傷つけることがある
(A2)個々人が自分たちの実存を確保するために必要とする際の「宗教」と、「学問的に真摯な態度が追求されるべき場」というのは、異なる次元で捉えられなければならない


(Q3)「科学は善悪を判定できない」と言ってるから、「悲劇」が繰り返されるのだ
(A3)科学が人間を幸せにするためには、科学が発達するだけじゃダメで、新しい科学に対応する新しい科学倫理が存在していないといけない。このバランスが大事なんだけれども、現実には科学倫理が追いついていないことが多い。
国同士がこぞって自分たちの国の科学倫理のレベルを高めることに勤しみさえすれば、科学と科学倫理のアンバランスさに起因する「悲劇」は激減する。


(Q4)人間が関連する学問は、「心」を抜きにしては語れない。
(A4)「心」は難しい。難しい領域が存在していることが、一つの学問が二つの学問に分かれる原因になっている。


(Q5)遺伝子を残す必要はあるの?ないの?
(A5)遺伝子を残すかどうかの自由は本人にあるのだから、残そうが残さなかろうが他の人がその判断の結果を社会的に非難することはできない。そして、社会的に非難することができない以上、「おまえそれは贅沢だろ。」というような言辞は、素朴な個人的感想にとどまるならば全然問題はないですが、それが正義のツラをしてそいつの前に躍り出るようなことはあってはいけない


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。